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どうして解らない?
 
俺の心には常にその感覚があった。
どうして俺が理解できることの半分も、理解しようという意欲が湧かないんだ。
 
親だろう?
 
 
俺は思う。
 
なら、思考を放棄すればいいのだ。そうしたら後は成り行きがどうにかしてくれる。
 
俺のように。
 
 
 
俺は体の体質上、鼻が利く。
ただこれは特殊能力でも、都合よく扱えるような万能アイテムでもない。
単に、『鼻が利く』だけなのだ。
 弊害もある。
 人のちょっとしたことが、俺には苦行だ。
 呼吸をすることで、臭いが体中に入り込み、体の中で内側から刺激をしてくる。
 さながら一寸法師に突かれた鬼の気分だ。

 これが生き続ける限り永遠と続く。
 生きるためには我慢と知恵が必要だというのは俺の自論だが、いくらなんでも我慢の限度ってもんがある。
 もちろん、日によって差はあるし、とんでもなく楽しい気分の時はそういうことを忘れることも出来る。
 ま、刺激の悪魔、こと、臭いが現れれば俺はなす術がなく、その日の気分は最悪になるのだけども。
 
 そして俺の親はこれに対して理解がない。
 特に父は、自分の常識に当てはまらないものは認識しない主義の人間。そりゃ、「臭いが刺してくる」なんて駄目ですよねえ。
 だから俺の生活は外に居ても内にいても、大差はなかった。
 でも家や建物って、安心できる場所だから留まりたいんだろう?って思うじゃん。
 そんなことはないんだよ。
 身内に理解がなければ、平気で俺からしたら殺人兵器である、「料理」をするし、「喫煙」もする。おまけに「香水」もつけたりする。これも俺は死ぬほど苦しいのだ。
 呼吸だけでも人間の体臭が流れ込んできて苦しいというのに、それに加えてより強く消えない臭いが体中をめぐり、俺は針ではなくチェーンソーで傷つけられる。

 だから家を出た。
 こんな非人道的な行いをするものが自分の親だとは思いたくなかった。
 だったら自分で動け、判断ができ、周りの許可の要らない生活の方がましだと感じた。
 

 これも判断を間違った。
 清潔にしなければやはり臭いがする。臭いがすれば息が詰まり苦しい。俺の体はまた内側から攻撃を受けた。
 しかしこの体質が原因で出てきたんだ。戻って事情を話したとしても、どうせまた理解されないだけだ。それ以上に、「理解できないものがある」ことが不愉快な親父はまた俺をないがしろにするんだろう。
 それどころか、前に打ち明けた時は『これも駄目なんか』とかいいながらタバコの煙を近づけた。
 
 その生命体の頭を疑ったね。
 まず、臭いが駄目なのだと話している最中に、臭いの出るものに火をつけたのも頭が狂っているが、事情を一通り聞き終えたタイミングでその行動に出るのもおかしい。
 
 もうあんな家、うんざりだ。
 でもこのままいても食い物には困るし、何よりにおいが辛い。何か打開策を考えなくてはいけない。
 考えるのが最優先なのに栄養の回っていない頭は、グルグルと親父の行動を繰り返し繰り返し映し出す。
「・・・・もういい」
 放っておこう。どうせ、臭いに苦しんでいる時は、頭も回らないし、体中が痛い。何か抵抗しても、抵抗して身をよじるたび、また臭いが鼻から入ってくる。何もしないのが正解だ。
 
 
 
 
 それで、強引に自分の体周りにまとわりつく臭いに慣れさせた――と、思い込ませた辺り。
 空腹をその辺のものを取ってくることで補い、息をすることがやっと、痛まなくなってきた頃。
 いつも寝床にしている場所に、死体があった。
 いや、正確には遠くにいたのに、臭いがし始めたタイミングも解るほど、過敏な俺の鼻が知らせたので理解した。
 
 住めなくなった。でもまあ行くあてもない。
 腹が減った。でももう臭いのあるものを口にしたくない。
 体中が痛い。めまいがする。近くの臭いも遠くの臭いも入り混じって、くらくらと頭をそれだけが支配する。
 こういう状態になった俺は、また思考を放棄し、何もしなくなった。
 数ヵ月後には、食人鬼になっていた。
 
 食べるものに困り、しかし何をするにも臭いがついてまわり、パッと見たら一固体がそこまで臭いのしなさそうで、大きな体の栄養のあるものを欲したのかもしれない。
 しかし死にそうになりながら取る食事は、たまらなく美味しかった。
 『楽しいことがあると、臭いを忘れられる』と先にいったように、俺は臭いとして最上級の物に齧り付き、臭いの渦に食われながら、ぐちゃぐちゃになった思考の中、色々な能力が鈍った瞬間、耐え切れずそれを『快楽』だと認識するようになったようだ。
 
 そうしたら止まらなかった。
 あのぐちゃぐちゃした時間の中、あの瞬間だけは何も考えられなくなる。思考を放棄するのとはまた違う。
 思考しながら、その思考内容自体が、もみくちゃにされ細切れになり、快楽が押し寄せてくる、あの感覚。
 アレが、いいのだ。
 
 ソレにどっぷりと浸かっていると、幼馴染が現れた。彼女はネグ。彼女は臭いが控えめで、体臭は小さい頃に一緒にいたからか、さほど気にならず、むしろ好感が持てるくらいだ。
 彼女は昔、俺の臭いに対する理解者だった。俺の説明を利いて俺の体質を納得してくれた数少ない人間だ。
 そして今度は、食人に対しても理解を示してくれた。
 どういう事情かを話せば、彼女はおっとり微笑んで匂い袋を作ってくれた。中には新鮮な死体の切れ端。
 
嗅いでいると同じ感覚になれて気持ちが落ち着くのだ。
 
俺は、久しぶりに楽しかった。袋などなくとも、臭いが苦にならなくなっていった。
 ネグは俺の事情を大体聞き、『私の、普通の家に行く?』と尋ねてくれたが、俺は首を横に振った。
 もう、戻れなくなっていた。あの、考えようとするたび、考えられず、食事を取れ、快楽が押し寄せてくるアレを、手放せないでいた。
 
 
 
 そんな時。
 
 
 
 ネグが消えた。
 
 
 姿が見えなくなった。ということは、死んだ?近頃町を歩いても、似た匂いもしない。
 俺はもう、貪る時間がより一層多くなった。
 
 
 
 あの時間で全て忘れたくなった。
 
 
 それを、完全に意識がなくなるまでずっとずっと続けていた。
 
 
 
 神様に聞けば、ネグが生まれ変わるよりも先に、俺のほうが早く次の人生を送るための審査が通ったらしい。
 
 まあ、あれだ。それはお得意の思考放棄でどうにかなった。
 
 そしてピンク髪の少女が言うには、ネグには俺とはまた違う種類の食いたい衝動があったそうな。
 俺のは体質や状態を無視するための手段。
 ネグのは――そういうの一切関係なく、人を食べたかったそうだ。
 俺の行動を見るたびに、『栄養』として認識が深まっていったらしい。
 彼女のソレは、どこからやってきたのだろうか。おそらく、俺の行動を目撃したことによって元々あった素質が出てきたんだろう。
 
 申し訳ないことをした。
 そしてネグが狙われたのすら、俺の所為のようだ。
 でも全く恨んでいないそう。今はおっとり、眠り姫をしているそうだ。
「それでさあ・・・出来たらでいいんだけど」
 彼女はニヤニヤと俺に、資料を渡してきた。
 
 そうして再現された世界へのオファーが決まった。
 生前と変わらない様子で、ネグに接するだけの簡単な仕事だ。
 久々のネグは相変わらずぼうっとしていて、でも見た目も心なしか雰囲気も少し、大人びた感じだった。
 しかしまあ、出番はすぐ終わり、その後のネグを見届ける暇もなく、俺は扉の奥に通され、また人生が始まろうとしているらしい。何処までも俺は他人事だ。
 
 ・・・今度こそは
 
 体質に苦しまず、放棄をせず、生きられますように。

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