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【願いの園】第二章 03,04

ホワイトアウトした視界は数秒で色彩を取り戻した。

眼前に広がるのは、新緑の生い茂る森。比較的背の高い広葉樹から木漏れ日が落ち、抜け感があって輝かしい雰囲気を持っている。よく晴れて少し高めの気温、風が吹けば涼しいぐらいで、五月って感じだった。正面には遊歩道らしき道が通っていた。乗用車一台が余裕を持って通れそうな幅で、ハイキングにちょうど良さそうな緩い傾斜。

さて、人はどこだろう。

ざっと見渡してみる。四方八方に森が続いているけど、門の周囲は草一本ない裸の土地だった。人は見当たらない。足跡もないし、どうやら私とはスタート位置が違うらしい。

「とりあえず真っすぐ進めばいいのかな」

短く息を吐き出して、遊歩道へ踏み出した。
大らかに蛇行する一本道であり、林冠の陰は涼しく、自然の香りが充満していた。まさにハイキングだ。

しばらく人に出会わなさそうなので、改めて情報を整理する。

『妖精になって自由に飛びたい』
ここはそれを叶えると言う。

私と同い年――つまり高校二年生にして、なかなかファンタジーな頭だと思う。ただそれを言ったら私にブーメランが返ってくるので、ここはあえて前向きに、私と仲良くできそうな価値観の持ち主と捉えなおしてみる。でもそうすると、『自由』が引っかかる。

私だって自由は大切だ。不自由はできるだけ排除したい。
それでも現実的な観点から否定せざるを得ないなら、私は容赦なく否定する。

何より、母さんのような人間と二度と関わりたくない。本当に心の底から無法地帯だけは嫌だ。

しかしこの願いの文言からにおい立つ気配は……。

――五分ほど経過。

未だ遊歩道は終わらず、まだ人と会っていない。それどころか動物すらいない。鳥や虫すら見かけず、植物と菌類ばかりだ。

何億年前の生態系だろう? と思っていると、小川に差し掛かった。進路を遮る向きに流れていて、木製の平橋が渡されている。その畔にきらきらと光る何か。

妖精だ。

基本的な形は人間そのものだけど、てのひらに乗るぐらいの大きさで、虫のような羽が生えている。蝶やトンボや他にも様々。肌も服も羽も色とりどりで虹が架かってるみたいだった。

綺麗だ。
と見惚れてる場合ではない。もしかしたらこの中にいるかもしれない。

喋っていたり(言語が不明だけど)、遊んでいたり、こちらに恐れる様子もなく楽しげにしている。願いの主なんて見つけられるの……?
じっと目を凝らしていたら、

「ここにはいませんよ。藤田さんより少し背が高いのですぐ分かります」


頭の上あたりからトメちゃんの声が聞こえた。まさか飛んでるの? つい見上げてしまったけど透明化してて見えなかった。それはさておき、

「分かった、ありがと」
私は橋を渡って、更に奥へ進んでいった。

次第に木々が低くなり、林冠の密度が増して鬱蒼となる。幹が太く禍々しくうねるようになり、ダークファンタジーの気配を漂わせていく。と思ったら今度はメルヘンなものに変わった。無数の光の玉が宙に浮いている。幻想的な淡い発光で、赤、青、緑、黄……妖精と同じく色とりどりに木々を染め、空間を彩っていた。

妖精に相応しい世界観。それは増々濃くなっていき。

数分後、ついにひらけた場所に出た。

眩しいぐらいに太陽が燦々と照る草原だ。サッカーコート半面ほどの広さで、腰ほどの草花がみっしりと埋め尽くし、陽を反射して海のようにきらめている。周囲は幹の太いじれた木々であり、光の球が果実のようにっていた。

草原の更に奥には大きな池と小さな滝が見え、そこにも妖精がいるようだった。ただそれよりも、その境目に注目せざるを得ない。

とりわけ無骨な大樹がある。背が高く、数千年の樹齢を思わせる太い幹を持ち、強靭そうな枝を四方八方に伸ばしている。そこにツリーハウスが建っていた。板張りの、しっかりした作りだ。

まるで絵本の一ページ。
それこそ夢にふさわしく。


草を掻き分けながら向かってみる。時折掘り返されたように地面がデコボコしており何度かつまずきながら、ハウスの下に到着。マンションの五階ぐらいの高さだろうか。改めて見ても、やっぱり素敵だ。

児童書に、ツリーハウスから様々な冒険に出る作品があるんだけど、小学生のときに全巻読んだのを思い出した。主人公たちは梯子を上ってハウスに入り、そこにはたくさんの本があって……。あれ、そういえば、梯子が無い。それどころか上るためのものが無い。これじゃあ階段すら無いマンションと同じだ。まさか木登りしろってこと? いやいや、幹が太すぎて無理だって。えー、どうする……。
「あ」

うってつけのものが私の首からさがっているのを思い出した。

さっそく桃色の石に命令して上昇する。そのとき少しだけ斜めに跳び、デッキに向かって一直線だ。手摺りを越えたところで石の力を弱めて下降し、勢いで一度壁に接触したものの、無事デッキの上に降り立った。

数歩で左端、入口の前に立つ。

ここにいる保証はない(窓が無いから確認できない)。それでも、いるかもしれないというだけで緊張して心臓がドクドクとわめく。嫌だなぁ。今すぐ帰りたい。

……大きく深呼吸。

コンコンとノックして、返事を待つ。五秒ぐらい数えても返事が無かったから、把手とってを回してドアを開けた。

ハウスの内装は外見と同様にログハウスのようで、八畳くらいはありそうだ。光の玉が一つ白熱電球のように天井に浮いていた。右手には天蓋付きのベッドがあって、正面には四人掛けのテーブル。その奥で、彼女は身構えるように立っていた。

ミントグリーンのキャミソールの上からシースルーの白いTシャツを重ね、青緑色のロングスカートと濃い緑のパンプスを履いている。髪はまっすぐ腰までの黒髪。ダイヤモンドのティアラとエメラルドのイヤリングが存在感を主張しているけど、それよりも、背中から生えている羽が凄かった。まるで揚羽蝶のようで、付け根から先端にかけて緑から黄色へグラデーションになっている。

妖精の姫と称するのがちょうどいいかもしれない。化粧も含めて全体的に優雅な印象だった。それでいて運動部に所属してそうな健康的な身体つきであり、人の良さそうな雰囲気を有している。

しかし。

私は血の気が引くのを感じた。表情はきっと石灰のごとく白くなってるに違いない。

私には会いたくない人が二人いる。一人は母親。私を絶望に突き落としてくれたとても親切な人だ。

そしてもう一人は、母親が常に比較対象とした人だ。彼女は何も悪くないけど、母さんのせいで私には悪い印象しかない。

そう。
その人が目の前にいた。

この二年のうちに髪が伸び、より可愛くなり、よりフレンドリーな印象になっているけど……ああ、彼女も私に気づいたらしい、幽霊にでも遭遇したように顔が引き攣った。

「藤田さん……?」

確かめるように尋ねてきた。


吉岡よしおかさん。
吉岡みなとさん。


彼女はつらそうに唇をゆがめ、後悔したようにあははと溜め息混じりに力無く笑った。
「変な夢見てるなぁ……」

独りちる彼女に、複雑な、と言っても間違いなくネガティブな感情が、嘔吐のように込み上げてきた。自ずと後退あとずさり、そして逃げ出して、乱暴にドアを閉じた。ドアに背中を押し付けて、深呼吸する。現実逃避するように呼吸に集中する。

私は左を向いた。
トメちゃんが立っていた。

「どうしたんですか?」
心配そうな微笑をたたえている。いや、挑発的と捉えた方がしっくりくる。

「わざと?」

蚊の鳴くような声になりながらも問い掛けた。

私が苦しむ姿に満足したのか、それとも単に理解したことに対してか、彼女は嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、

「やめたければいつでも呼んでください。無理強いはしませんから」


丁寧な口調でそう言うと、すぐに姿が消えた。もうどこにいるか分からない。


「やってくれたなぁ……」


腹立たしいね。
試そうって訳だ。

トメちゃんは結構性格が悪いらしい。もしくは、私の性格を理解しての仕掛けか。いずれにせよ不快なことに違いない――それでも私はニヤッと笑ってしまう。まったく私は、本当に、アホらしい。

いいよ、やってやる。


前と同じだ、この件を以て先に進んでやる。
怯える自分は叩き潰してしまえ。

自分に対してアンチになれ――だ。

炎が激しく燃えるようだった。しかしこのままではマズい。元気がいいときほど危ないと言うか、昔のように色々口走ってしまう。それを受け止められるのはレイだけだから、一度落ち着かせなければならない。私は焚火ぐらいがちょうどいい。

ふう、と吐き出して。
私は改めてドアを開けて、普段通りの冷めた表情をする。

「久しぶり、吉岡さん」


04


「どうしたんだい?」
迂舵津うだつは門の前で立ち止まる。目の前には、和装に身を包み、門を睨むように見つめている祷吏の姿があった。

「藤田さんは本当にやってるんですか?」
「そうだよ。健気だねえ」

感心したように迂舵津は言う。よその子を褒める父親のような態度だが、祷吏はむしろその素直な様子に怪訝な表情を向ける。

「健気と言うには別の意図があるように思えますが」

「そうかもしれない。だけど、健気だよ」

「まあ、苦手分野に取り組むという意味では、そうかもしれません」

「私はいつだって中立だからね、ルールに基づいて彼女の意志を尊重する」

「それで俺の邪魔をするようになったら?」

「良くも悪くも情はかけないよ」

祷吏は苦笑いをせずにはいられない。
今まさに、この状況も、容赦ないと言える。

「彼女はきっと後悔しますね」

「それは彼女が決めることさ」


それは一理ある。けれど、不幸になると分かっていて放置するのはモヤモヤする。
しかしそれでも、そこに幸福を感じるのであれば止める理由が無い。

はあ、と溜め息をついて。

祷吏はポケットから一つの石を取り出す。手のひらに収まる程度の黒い御影石の立方体だ。
それをぎゅっと握りしめて、祷吏は目をつむる。

何かを願うように。

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