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【願いの園】第一章 03

暑いでも寒いでもなく四月のようなほがらかな気温と柔らかな日差しを感じ、同時に、なぜか直立していることに気づき、私はすっと目を開けた。

燦々たる太陽の下、私は、断崖絶壁に立っていた。もっと言うと、あと一歩で転落する位置で両足を揃え、うつむいて見下ろしている。何メートルか下を雲が漂っていてスカイツリーよりもずっと高そうだ。その遥か奥にあるのは真っ青な海。

えっ……⁉

全身が硬直してしまう。
直後、わっと柔らかい風が吹き上げてきて、私は押されるように数歩後退あとずさった。背筋をゾッと冷たいものが走る。
続いて鼓動が早くなり、汗がドバドバ出てきて、脳を血液が勢いよく巡る感覚があったところで明瞭な言葉がポップした。

どういう状況⁉

あまりの驚きでまたも立ち尽くしてしまい、どのくらいか、心臓がやや収まったところで崖からもう数歩だけ距離を取った。すると、視界の端――右側に何かが立っていることに気づいた。一瞬幽霊とかそっち系かと思ってビビったけど、違った。私はやや興奮気味に振り向く。

それは、セラミックにも似た質感を持つ鈍色にびいろの人型。
ロボットだ――『天空の島ネシテニ』というアニメ映画に登場するロボットだった。

口をぽかんと開けてマヌケづらさらしてしまう。今にも動き出しそうな存在感にあてられてしまっていた。が、すぐに気づいて、短く息を吐きだし口を閉じた。

一拍だけ無心になって、もしやまだ何かあるんじゃないかと勢いよく右に向いた。これでちょうど一八〇度――つまり崖の反対の位置である。やはりと言うか。

大きな門が立っていた。私の身長の倍以上はある。重厚なたたずまいで、両開きの戸はガッシリと閉じており、まるで壁だ。質感は大理石が近いかもしれない、清潔感のある白で、私の影がくっきりと映っていた。

まさかまだ何か……と思ってもう一度回れ右したけど、そんなことはなかった。ただの崖だった。なるほど、随分と危ない場所にいるみたいだ。

という訳で調べてみた。

結論、ここは高飛び込みの飛込台みたいな岩の塔だった。私がいるのはその天辺で、僅か六畳ほどの面積が短い草に覆われている。ロボットと門が立っているのはその端っこ。周囲には何も無い。あるのは海だけ。全方位に水平線が見える。

また、門の裏にも何も無かった。試しに押してみたけど開くこともなく、十分な幅があるから倒れそうにもなかった。

あと、このロボットはやはりアニメ『ネシテニ』に登場したもので間違いない。同じ監督が以前の作品で似たロボット(名称はミュー)を登場させているけど、デザインが違う。ついでに言うと、これは汎用型と呼ばれるタイプで、人を乗せて運ぶ機能も備わっている。

そしてこれが居る意味は私の衣装で確信できた。

私は今パジャマではなく、ヒロインであるイータの服(スチームパンク風味)を着ている。ちゃんとペンダントも首からさげていた。親指の先ぐらいのサイズの、ピンクダイヤモンドのような桃色の石。アニメ通り不思議な模様が描かれていた。

それを胸元から取り出すと、すでにうっすら光っていて、次の瞬間、強い光を放った。それは一直線に、遠くの空を指し示す。

光を目で追うと、そこに、どでかい積乱雲があった。綿菓子のような形で、とぐろを巻くように渦巻いている。機械仕掛けの島――ネシテニは、きっとそこにある。

そして、このロボットに乗ればそこに行ける。

行きたい。
いや、行くしかない!

ほとんど悩むことなく私はロボットの胸元を見た。そこには模様入りの桃色の石が埋め込まれている。視線を下ろし、ペンダントの石を慎重につまむと、ごくりと唾を飲み、高鳴る心臓の音を鮮明に聞き取りながら、その胸元に近づけた。

ピピピ

電子音みたいな音が頭部から鳴り、ロボットは無音でこちらを見下ろしてきた。命令を待っている。

命令の言葉は……シンプルでいいよね。よし。と私は口を開きかけて、咄嗟にやめた。吸い込んだ息はひとまず吐き出して、手を顎に当てて考える。これはマズい。

とりあえず人差し指と顔を向けて、『あの島に行きたい』と意思表示してみた。しかしロボットはよく分からないと言うように頭部の小さなライトを点滅させるだけ。

どうしよう。
――いや待って。もしこれが夢なら、できるんじゃない? 今までも何度か夢の中で成功した実績がある。

それに、私が憧れるあのヒロインは、成人男性の後頭部をビンでぶん殴れるようなたくましい女の子だ。思い切るんだ私。変わるチャンスだと思え私。

今度こそと意気込んで、私は緊張しながらも息を吸った。一度大きく吐き出したけど、それから改めて吸って、勇気を出して、

「――――」

空気が抜ける音だけが聞こえた。
私にできたことは口を動かすことぐらい、それだけで。

あの島まで連れてって。
その半分で私は口を閉ざした。胸に痛みが広がるのと同時に吐き気が込み上げてきて、すぐに口を押さえる。即座に鼻呼吸に切り替えたけど吐き気は増長された。嘔吐手前の酸っぱさが口の中に溢れてくる。

私は目を伏せながらペンダントを放し、その手を喉に絡みつかせた。過呼吸気味に浅い呼吸を繰り返す。

結局、こうなる。
たった一言も言えない。

涙が出てきた。でもこれはただの生理現象。心の方はもっと虚ろで、むしろカラカラに乾燥しそうな勢いだから。……ああ、そうだ。久しぶりだから忘れていた。おまじないの言葉があるんだった。

ねえ、そうだろう。諦めると僕たちは、なぜか少し、楽になる。

今でも効果は絶大だった。途端に悪化が緩やかになり、ある程度したら反転し、吐き気が収まるのを感じるようになった。
ゆっくり、ゆっくり、回復していく。

喉から手を離し、汚いものを吐き出すように長い息を吐いた。それから、伏せ気味の眼差しで門を確認して、重心に振り回されるようにしてフラフラ歩き、最後は投げ出すように背中を預けた。ああ、つらい。

太陽が容赦なく照らしてくる。目を細めながら見上げると、遠く、高く、積乱雲。

柔らかな風が肌を撫ぜた。

はあ、ようやく落ち着いた。
吐き気も胸の痛みも引いて、リラックスした状態に戻ってきた。もう大丈夫。だけど、しばらくはこのままでいよう。夢がめるまではこのまま……。

がこん。

突如、背後にじょうが落ちるような音が聞こえた。

慌てて門から距離を取る。数メートルのところで警戒気味に睨みつける。門がズズズと重い音を立てながら奥にひらかれた。しかし向こう側は見えない。白いもやのようなものがその境界面に満ちている。

ぬっ、とホログラムをすり抜けるように何かが現れた。
男子だった。

同い年ぐらいか、大人びた雰囲気ながらどこかあどけなく、優しそうな顔立ちだ。ちょっと長めの黒髪で、帽子やピアスなどはしていない。背は私より頭一つぶんほど大きい。服装は、神社の人が儀式で着てるような古風で格式高そうな黒い和服、ズボンは紫色をしたとび職の人が履いてそうなゆるめのもの、あと黒い地下足袋を着用していた。
改めてその顔を見る。ふと既視感を覚えた。いや、見覚えがある。

「こんにちは」

彼はこくりと小さく会釈する。愛想のいい挨拶だった。その声で確信する――。

「はじめまして、私は河西かさい祷吏いのりです」

凄く落ち着いて物腰の柔らかい印象。でも明るくやんちゃな部分も隠しきれていない感じで、やっぱり河西くんだ。この二年で随分と大人びている。一瞬気づかなかった。
と感激するも、一転、俯いてしまう。私には気づいてなさそうだ……。

待て、私。
これは夢だ。

「お名前を伺ってもよろしいですか?」

穏やかに尋ねる河西くん。私は困りながら顔を上げて、首をゆっくり横に振った。夢ならもっとマシなシチュエーションにできなかったのか。いずれにせよ痛々しいけど、私は私に対してもう少し気を遣うべきだ。
彼は悩ましげに小首を傾げて、数秒、何かを判断したような表情になる。

「いくつか質問させてください。首を振って答えてもらいたいのですが、よろしいですか?」

事情を察してくれたみたい。こくりと頷く。
すると彼は視線をロボットに向け、それから空を見上げた。そして積乱雲を指差しながらこちらに向き直り、尋ねる。

「あの島には行きました?」

首を横に振る。

「このロボットは起動してますか?」

頷く。

彼は私の胸元を――ペンダントを一瞥いちべつして「分かりました」と頷いた。そして、小さな歩幅でロボットに歩み寄る。

「では、あの島に向かいましょう。ロボットへの指示は私が代行してもかまいませんか?」

まるで私に助力するためにやって来たような手際の良さだ。私の脳はこういった夢が適切と判断したと言うこと……? と呆れつつ、頷く。あ、でも、私以外の命令を聞くのかな。

「では」彼はロボットに命令する。
「私たちを乗せてください」

直後ペンダントが強く光って、応答するようにロボットがピピピと鳴った。そして崖の方へ膝をついて横たわると、関節の無い身体をしなやかに動かしてエビ反りになった。続いて肘を折った腕で側面を塞いで籠のようになる。最後に、側面の下部からトンボの翅にも見える半透明の膜のようなものが四枚、にゅるっと生えた。気球の籠に羽を生やした感じと言えば近いか――『空輸モード』へと変形が終了した。

片腕――折り畳まれてドアのようになったもの――が肩から動いて、つまり開いた。

おお、と感動していると、河西くんがいつの間にかポリエチレンっぽいロープを手にしていた。
「先にこれを結ばせてください」

言いつつ一方を自分に巻きながら近づいて、「失礼しますね」とインストラクターの手際でもう一方を私の腰に巻いた。すぐ横での作業だった。えっと、その……こ、このロープどこから出したんだろう。

「では、乗りましょう」

促され、踏み出す。思わずぎこちない足取りになってしまったけど河西くんは合わせてくれて、感謝しつつロボットに乗った。縦長で狭いため縦一列に乗るしかなく、まずは私から。

わあ、と素直に感動する。

実際に主人公たちが乗ったロボットだ。
私の胸元まで高さがあって、触ってみると、ゴムのような弾力を少し感じるけど金属のように硬く、セラミックのように肌ざわりがいい。不思議な材質だった。

私がそんなことしてる間に、河西くんはまたいつの間にかロープを手にしていて、正面で突き出ているロボットの首に一方を巻いた。そしてもう一方を「命綱です。失礼しますね」とまた私の腰に巻く。それから私の後ろに乗った。

「あの島まで運んでください」

ドア(腕)が閉じられる。
直後、ふわりと、重力の影響を少しずつ弱めるように宙に浮いていった。グラつくことなく一メートルほど上昇すると、続いて羽を蜂のように高速で振動させて斜めに進み始めた。崖から出て、徐々に加速しながら大空へ。

風のせいでロボットが少し揺れる。つい籠の外を見てしまい、自分のいる高さを再確認してしまった。落ちたらパラシュート無しのスカイダイビングだ。

怖い。ジェットコースターよりも圧倒的に怖い。

ロボットの腕と命綱をぎゅっと強く握る。しばらくは我慢できたけど、道のりの半分を越えた辺りで限界が来て、ロボットに頭を押し付けるようにして丸くなった。それでも、せっかくの体験を見逃すのも嫌で、横目で外を見る。

「失礼しますね」
言って、河西くんが覆いかぶさるように肩に腕を回してきた。もう一方の手は命綱を握っている。意外としっかりした身体をしていて、不安が少し和らぐ。けど、密着する形になって少し緊張してしまう。

顔を上げると、彼は前を向いていた。その表情は精悍で。

不意に、これは夢じゃないのではと疑った。単なる直感と言えばそれまでだけど、なんて言うか、私の持つイメージよりもしっかりし過ぎていると言うか。

もしくはあの男の影響か。

そうこう考えてる間にロボットは加速して、揺れも強くなっていた。比例してロープを握る力が強くなる。気圧差で耳が詰まり、何度も唾を飲んだ。

不意に彼が密着度合いを上げた。直後、視界が一気に暗くなる。ベタベタした空気に包まれ、龍のような稲妻と咆哮のような雷鳴がほとばしる。雲の中に入ったんだ。

目を開けていられなかった。
ただひたすら強烈な揺れに耐えるばかり。

嵐の中、ロボットは突き進んだ。

それから、どのくらい経過しただろう。体感では三十分、実際は数分かもしれない。まぶたを閉じても分かるぐらいに明るい場所に出た。風と音が収まり、乾いた空気に晒される。

「藤田さん、見てください!」

興奮気味に促され、私は目をほっそり開けた。でもロボットの背中しか見えない。

「上です! 上!」

私は怯えながらも、目を向けた。……あぁっ。
その存在感に心臓がどくんと脈打つ。

歯車の回転。

おびただしい数の機械に埋め尽くされた島の底が見えた。巨大なパーツ――例えばタワーマンションサイズの歯車、例えば一軒家のような要塞砲、そういったものがゴテゴテと備わっている。その隙間に逆さの塔が突き出ていたり、桃色の石があったり。

アニメで見たあの島だ。
本物だ。

ロボットは旋回するように上昇していく。ついには島の一番高いところを遥かに越えてしまい、眼下にその全体像が捉えられた。

クジラをイメージして設計されたらしい。
楕円形で、後ろには尾ひれのような形がある、その姿はまさにクジラだった。

全長が五十キロメートルを越えて、淡路島がすっぽり入るくらいと言われている。広大ゆえに様々な街並みや自然環境が構築され、下とは対極的に胸ビレの辺りは木々に覆われ、所々公園や池などがあって、生命の営みが成立している。一方、端の方は機械まみれで、人間は居ないけど、ロボットは暮らしている。

ふわっと内臓が浮くような感覚がして、続いて置いてかれるような浮遊感。ロボットが下降を始めた。河西くんが強く抱きしめる。
ふと思い出し、私は彼を見た。

私の名前。


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