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【短編】鹿

 私は鹿だ。かねてより神として崇(あが)められている。

 一年前、世界に大きな革命が起こった。
 人類滅亡である。
 私はその経過を家電量販店でテレビを見ていた。

 最初は日本だった。『現代に現れたゾンビ』というタイトルで報じられ、おどろおどろしい姿に成り果て子供たちが取り上げられていた。すぐさま隔離され、襲われた人たちも隔離されたのだが、その日のうちに新宿で新たに出現。それ以来、日本各地でゾンビが現れ、更には世界中で確認されるようになった。

 ずっとテレビを見ていた訳ではない。実際に何度か出向いた。確認した限り、世界各地でのゾンビ化の発端は一人の人間だった。目的は不明だ。

 彼によって起こされたゾンビ化とゾンビによる感染拡大に加え、ゾンビになりたてだった頃の人間から血液を吸った蚊が他の人間をゾンビ化させていた。
 また、蚊が媒介した結果、人類以外の多くの生き物にも感染が確認され、そこから更に感染が拡大――そして多くの生き物が殺し合うことになった。

 単なるパンデミックであれば対処もできたのだろうが、人為があっては仕方あるまい。

 そして、いくつかの国が(都合がいいと判断し)彼らを焼き払うために核兵器を使用した。多くの人と土地が焼き尽くされ、汚染された。そして被害に遭った国が報復のために(感染爆発を抑えるためと銘打っていたが)核兵器を使用し、世界は混沌へと向かっていった。

 地球は破壊され、人類を含めて多くの生き物が息絶えた。
 今もなお、汚染された土地が残っている。

 神は中立である。
 時に恵みをもたらし、時に災いをもたらす。それは〝自然〟と呼ばれるものの一部であり、人類を救うことも滅ぼすことも神の役割ではない。ゆえに中立。
 人類など所詮、地球の一部にしか過ぎない。

 様々な神がいる中で、私の役割はこの世界の行く末を見届けることにある。世界が終焉を迎えるそのときまで、私はこの世界を観測し続ける。


 ある日、私は人類の生き残りに会うことになった。
「はて、人類は滅んだと思っていたのだが」
 尋ねると、情報を持ってきたカラスは、飛行しながら恭しく答えた。

「本人が人間と名乗っていましたので」

「ふむ。人語(じんご)を介する生物は今や人間だけではなくなっただろう」ゾンビ化にあたって突然変異種がかなり発生している。「虚偽ではないのか?」

「しかし彼は人間の姿をしておりました」
「では人間なのだろう」
「しかし少し、いえ、かなり、違和感があると言いますか」
「はっきり言ったらどうだ」
 すみません、とカラスは身を縮めて謝り、続けた。

「頭があって胴体があり、手足もあるのですが、どうにも機械のような肉体をしているのです」

「それはロボットと言うやつではないのか」

「と思ったのですが、しかし彼は、自身を『人間』と言うのです」

 ふむ。
 それはどういうことだろう。


 向かったのは北関東の某所。人家の点在するような田舎であり、その一つが彼の家だった。周辺の田畑ではロボットが農作業をしており、インターホンを鳴らすと、人間の形をした金属の塊(正確には合成樹脂なども使われているのだが)が現れた。

「どちらさまですか?」

 自然な言葉遣いだった。しかしその姿は、やはり……。

「私は人間に『鹿』と呼ばれている種であり、神として存在している個体だ」

「か、神様ですか⁉ それはそれはご無礼を」
 彼はとても敬虔なのか、恭しくその場に土下座した。限りなく人間に近い姿で、限りなく人間らしい動きをする彼は、なるほど、人間らしいと言えた。しかし近年の人間には神を信じなかった者も多く、ならば人間らしくないとも言える気がする。

「まあ神と言っても、比較的最近なったばかりだがな。立つといい。そこまで謙譲する必要はない」
「わ、分かりました」
 彼は恐る恐る立ち上がった。やや俯き気味だ。

「私がここに来た理由はそなたと話したいと思ったからだ。このカラスが言うにはそなたは自身のことを人間と名乗っているそうじゃないか。私は人類が滅んだと思っていたものだから興味が湧いたのだ」
「なるほど、そういうことでしたか」
 彼は納得して、そして顔を上げた。

「確かに、私は人間です」

 ふむ。
「人間と言い切れる根拠は?」
「確かに身体は普通の人間ではないのかもしれません。しかし私は人間です。心は普通の人間なのです」

 普通の人間の心というのは何を指すのだろうか。……ああ、自分が人間であると自覚しているという点で人間には普遍性があるのか。
 だが。
 彼を人間と見るには、まだ尚早だ。

「ところで、君はここで何をしているんだ?」
「農家として生きてます」
「なぜ農家なのだ」
「食料を得るためです」
「君には食料が必要なのか」
「はい。食べなければ死んでしまいますので」
 食べなければ死ぬ……。

 そんな話をしていると、彼の背後――家の奥から一台の犬型ロボットがこちらに歩いてきた。

「鹿じゃない」
 女性の声だった。彼女は少し驚いた様子で(顔の液晶にそのような表情を映していた)彼の横で立ち止まる。彼が「神様だよ」と伝えると、彼女は続いて怪訝な表情を見せる。
「神様? どういうこと?」

「そのままの意味だ」
 鹿である私が言葉を発したことに驚いたのだろう、彼女は先程とは大きく違う驚きを見せた。
「へえ、本当に神様っていたんだ」
 感心したように彼女は言う。そんな彼女に手を向けて彼は少し弾んだ声を発した。

「彼女は僕のパートナーなんです。いくつか身体を持ってて、今は犬を使ってるんですが、よく使ってるのは胴長の可愛いやつで」

「えっと」随分な熱量を持って語る彼に彼女は呆れたような顔をして、遮った。「彼と違って私は人工知能なんです。私はシステム通りに応答しているだけです」

 ほう。

「面白いことを言うのだな。ならば君たちが具体的にどう違うのかを教えてもらいたい。私は彼のことを知りたいのだ」

「違いですか……。私はチェスで無敵ですが、彼は弱いです。私との相対ではなく、絶対値的に弱いですね」

「ならば彼は人工無能ということか」

「いえ、彼は人間です。私はシステムでしかなく、彼は人間と同様に思考しているのです」

「正しくは、彼女もほとんど人間ですけどね」
 と彼は少し不満そうに言った。まるで彼女に対して『自分のことを人工知能と言うな』と言わんばかりの言動だった。
 ふむ。
 自然言語は問題なく、チェスが弱く、そして彼女に人であることを求める。
 なるほど、これは確かに人間らしいと言えた。
 私は犬型ロボットを見る。

「しかし君には、何かファンタジーめいたものを感じるな」
「十分に発達した科学は魔法と見分けがつかない――ということではないでしょうか」

 そうか、と私は適当に言葉を返した。
 彼女を人間と定義するのはどうかと思うが、しかしどうだろう、彼女もまた人間らしさを感じるような気もする。
 まあ、いい。
「最後に聞かせてくれ」
 私は尋ねた。

「君たちはこれからなんのために生きていくつもりだ?」


 人間とはなんだろう。
 人間は猿の一種だ。群れを成す。我々『鹿』も群れを成す生き物だ。そして猿も鹿も、全てが異なっており一つとして同じ個体は存在しない。
 だが、鹿と言えば思い浮かべる鹿がいて、猿と言えば思い浮かべる猿がいる。種類を複数思い浮かべることもあるだろうが、その中にすら共通項を見つけ出すだろう。

 それがその種の〝らしさ〟と呼ばれるものであり、つまりは特徴だ。

 鹿も猿も群れを成す。中には孤立したがる個体もいる。しかし鹿は鹿であり、猿が猿だ。つまり一般的に特徴とされることから外れる場合もあるが、それでも鹿や猿と定義できる何かがあることになる。
 それはつまり、種を決定づける無数の項目の中から多くの要素が該当していれば、それは鹿であり猿と言える――ということだろう。全てが当てはまる必要はない。

 ただ、絶対に当てはまる項目がある。
 動物であるということだ。

 いつかは死んで、腐るということだ。
 鉄や紙で鹿や猿そっくりなものを作ってもそれはやはり鹿ではないし猿ではない。そして、それが鹿や猿のような行動を取ろうとも、やはりそれは鹿ではないし猿でもない。
 それらは動物ではないのだから。
 そして人間も動物の一種だ。

 無機的な肉体を持つ彼らを人と呼んでいいのだろか。

 また、例えば、羊飼いの羊の中には自分を羊だと思い込んでる犬が混ざっていることがある。それは羊飼いが羊を守るために犬を紛れ込ませているのであり、そして犬はそんなことを知らぬままに自分を羊と信じて疑わない。
 別の種であると認識している場合、その犬は羊なのか。

 犬だろう。
 羊と勘違いしている犬でしかない。

 ただ、羊と思っているならば羊と思っていいと考える者もいるだろう。そういうのはやはり人間的だ。

 人間――正確にはホモサピエンスの特徴は、『虚構』と『噂』を扱うことだと言う。これは人間が見つけたことである。

 人類種は狩猟時代から殺し合いをしていた。
 かつては多くの人類種が存在しており、彼らは全員言葉を持っていた。道具も炎も扱えていた。しかし生き残ったのはホモサピエンスのみ。彼らは、例えばネアンデルタール人よりも劣っている生き物だったが、しかしある日、突然変異で脳の回路が変わった。

 言葉の使い方が変わったのだ。単なる情報伝達のツールだったものが、論理的なことや、噂や嘘などを話すようになり、その結果、大きな括りによる《仲間》を識別する能力を獲得した。

 例えば、鷲を神とすると定義づけた集団と、ライオンを神とすると定義づけた集団が発生した場合、お互いの神を称え合うことで殺し合いを避けることに成功した。
 虚構による連帯感が生まれ、また信仰によって戦い続ける力を手に入れた。

 その結果、肉体的に遥かに強かったネアンデルタール人にホモサピエンスは勝利することが可能となった。

 また、人類は噂を用いることが身を守る手段となった。

 人間は狩猟時代から足手まといを殺していた。要は群れにとって迷惑な存在を排除していた訳であり、それは群れとしての生存戦略であった。食料の確保が不安定だった時代だからこそ、無益な人間は群れ全体の命に関わったのだ。

 それを本能として脳を構築してしまった人間は、他人からの評価が生存に関わる一大事となり、自分がどれだけ有用であるかをアピールする必要ができた。同時に、他人をいかに陥れるかが生き残るために必要なこととなった。

 農耕時代になったとき、生活の形が変わったのと同時に人間関係の悩みが悪化して、やはり迷惑な存在を排除することが必要となった。しかし、噂を手に入れた人間は、仲間を殺した人間を『悪く言う』ことをするようになり――つまり噂が流れ、その人もまた排除されるようになった。この性質はSNS社会で顕著に現れていたと思う。

 そして最後に、肉体を手放すことを考える人間がいたことを考えよう。
 いわゆるSF作品において、人間は肉体から解放されて電脳体へと移ることが描かれている。そしてその電脳体になっても、人間は人間である、と看做していた。

 しかし、霊魂への考えはどうだろう。文化圏によるが、霊魂を信じない人間は多く存在する。つまり肉体と精神は同居しているものと認識しているのではないか。いや違うか。SF作品においての電脳体は生者から変換されたものだったはずだ。それに、自由に対話できる霊魂を描いた作品においては、人間はそれを幽霊であると同時に人間と認識している。

 人間は猿であり、動物だ。しかし人間が思う人間というのはもっと精神的なところを指しているらしい。
 なるほど、つまり。

「確かに、私は人間です」

 この言葉に集約されるのかもしれない。


 私の質問に、彼はこう答えた。
「私には両親がいます。一年ほど前に亡くなってしまったけれど、その理由を私はよく知っているけれど、でもせめて二人の想いの分だけは生きたいと思います。それに僕にはパートナーがいますので、寿命が来るまでは一緒にいたいと思うのです」

 これを私は、人間らしいと思ったのだ。

 人間が犯した大罪も、人間だけが滅んでいることも、全てを彼は知っていると言った。それでも彼はこう答えたのだ。それがプログラムによって出力されたものだとしても、プログラム自体が人間のような回答をするように組まれていたとしても、彼の言葉を人間らしいと思うことにした。

 正直なところ。
 彼が人間であるかロボットであるか、そんなことはどうでもいいことなのだろう。強いて言うならば、どちらでもあるのだ。

 私が鹿であり、神であるように。

 だから。

 もはや二人だけとなってしまった彼らを、私は最期まで見守ろうと決めたのだ。



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