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【願いの園】第二章 07

まだ生きてるかもしれない。警戒してしばらく浮いていたけど、泡の一つも立たず、どうやら無事に倒せたようだった。これで安心できるだろう。

ちょうど抱き留める力が緩んでいたから、私は彼女の片手を握ってから脱出した。彼女が驚いた顔をしていたからもう一方の手も握る。

「一人で飛んでみなよ」


私は言った。

ビビリといじっていたときは随分と快活だった彼女も、いざ一人で飛べと言われたら緊張するらしい。すっかり青ざめていた。

さてどう説得しようか。

思案を始めようとしたところで、ふらっと妖精がやって来た。茶色や鈍色をしたのが五人。

「あ、これ、返すね」

逃げるようにして吉岡さんは剣を差し出した。妖精たちは恭しく手を掲げてそれを受け取った。直後、一人を残して、ぱっと小さな光の粒に変わってしまった。まるで蛍のようなそれらは、するすると紐を巻くように刃を包み込む。そして一瞬強く発光したと思ったら、金属のレリーフがあしらわれた革製の鞘に変貌していた。

そして最後の一人が吉岡さんの腰にそれを持っていくと、自らも光になって、今度は本当に紐になって剣を彼女の腰に結び付けた。


「あなたのもの――ってことじゃない?」


なんとなく思ったことをそのまま口にする。
吉岡さんから嬉しそうな笑みがこぼれた。

「感謝しないとね」

それから決意したように短く息を吐いた。
彼女は大きく羽を伸ばすと、

「手、離していいよ」


震える声で言った。パッと離すのはマズそうだ。

ゆっくりと、握る力を緩めていく。そして鳥の雛を自然に帰すようにそっと離した。

その状況に、彼女は信じられないと言わんばかりに驚いた顔をした。


でも間違いない。
ちゃんと浮いている。


まだ受け止め切れていない彼女は、おっかなびっくり身体の隅々をチェックする。胴体も、羽も、足も、全てちゃんと確認して、それから改めて私に向いた。
ぱああっと花が開くように笑顔が咲く。

「すごい!」


喜色満面で叫んだ。

そして、すいっと横に移動した。羽は動かしていない。もうその必要はないようだ。すいっと今度は後ろに移動して、また横に動いて正面に戻ってきた。

「すごいすごい!」


その場で跳びはねるように動く。そこからくるっと宙返りして。

そのまま大空に飛び立った。

すいすいと天衣無縫といった具合に空を翔け回っていた。羽は飾りのようでありながら若干輝きを放っている。あれが自由を与えているのかもしれなかった。

「あはははは」


子供のように無邪気に笑っている。
子供のように自在に飛び回っている。

楽しそうだ。

遠く離れて、ぐるぐるとアイススケーターのように回転してたら、急に何か思い出したように「あ」と声を上げて、止まった。くるっとこちらを向いて、怖いぐらい一直線に突っ込んできた。満面の笑みだ。

直前で減速して、完全に停止する。
そしてすっと手を差し伸ばしてきた。

「藤田さんも」


断ることなんてまるで想定していないような天真爛漫な笑顔。
やや呆れつつ、私は笑顔を作ってその手を取った。

彼女は手を引いて、無限に続くような空へと私をいざなった。


「なんて楽しいんだろう!」


彼女は本当に無邪気に笑う。
大空にきらきらとした声が散りばめらていく。


やがて世界が白く染まっていき。
何も見えなくなった。



「お疲れ様です」
 気づけばあの芝に立ち、管理棟を前にしていた。
 隣でトメちゃんが微笑を向けている。

「人助けというのはいいものでしょう?」

まだ空を飛んでいた感覚が抜けきらず、そわそわ落ち着かなくて周囲を見渡してしまう。あの門の前にいて、吉岡さんはいない。私は仕事をやり遂げたんだ。

ようやく実感が湧いてきて、改めてトメちゃんに向き直った。でも答えはパッと出て来なかった。ざっと今回を振り返ってみたけど、出てきたのは溜め息だった。

「そうだね、役に立ったっていう実感はあるよ。でも、疲れたって気持ちが強いかな。たぶん、私にはあまり向いてないんだと思う。河西くんのためなら頑張れるけど」


「彼女は喜んでましたよ」

「もちろん、それはそうなんだけど。ただ――」
 喜んでいいとは思えない。と言いかけて、私は気づく。

「ただ、どれだけ善良であろうとしても悪人であることからは逃れられないんだって――そう自覚した。そういう意味では、良かったのかもしれない」


「素晴らしいですね」

トメちゃんは随分と満足そうに言った。ただのろくでなし宣言に対してこの反応はちょっと意外と言うか、もはや怖いぐらいだった。

「怪訝な顔になるのも当然ですね、すみません」
彼女は笑いながら言う。

「自分を善人であると自覚することはあまりに危険ですからね。藤田さんは素質がありますよ。その感覚を大切に育ててあげてください」


「どういうこと?」


「ここで活動する人間にとって大事な第一歩なんですよ」

言って、スタスタと歩いていく。心なしかその足取りは機嫌が良さそうで、スキップにでも発展しそうだった。
そんなに私に期待してるんだろうか。

「どうしたんですか? 会いに行きますよ?」
「……? 誰に?」

返答は無かった。よく分からないけど、私はひとまず付いて行った。

管理棟に入ると、向かって左のラウンジで、河西くんと迂舵津さんがテーブルを囲って談笑していた。

テーブルの真ん中には大きなお皿があって、スティック状のチーズケーキとフロランタンがある。それと取り皿が一枚ずつ。

あとグラスがあって、これが風鈴を引っくり返したようなデザインで涼しげだった。河西くんのは青緑色が渦潮のように渦巻いているがらで、迂舵津さんのはお猪口だろう。小さくて、底の辺りが緑や黄色に筆で点描したように着色されている。どちらも透明な液体が入ってるけど、サイダーと日本酒の香りが漂っていた。

「グラスが気になるかい?」
 視線に気づいたのか、迂舵津さんがそう尋ねた。

「これはねえ、津軽びいどろと言うんだよ。祷吏くんのお気に入りでね、綺麗だろう?」

「はい、とても」

個人的に好みだったけど、河西くんも好きなんだ。……ちょっと嬉しい。

「ていうか、なんで河西くんがいるの? 今日はお休みって聞いたけど」


ふんと彼は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「別に、暇だったから」

見るからにわざとらしい。

「藤田さんが心配だったんだろう?」

イタズラな笑みを浮かべる迂舵津さん。

「は?」
 彼はギロリと睨みつけた。優しそうな顔立ちが任侠映画ばりの強面こわもてとなって、向けられていない私も身がすくむような迫力だった。

しかし迂舵津さんはとぼけた顔で、ましてやおどけるように肩をすくめた。

「そんな態度取っても無駄だよ? どうせ見抜かれるんだから」


「忠告も聞かずむやみに首を突っ込むバカ女になんで心配なんかかけなくちゃいけないんですかね?」


「そんなこと言ってぇ……頑張って遠ざけようとしても兎梅ちゃんがバラすだけだと思うけど」

「……」
言葉に詰まったのかジト目だけを返す河西くん。やっぱり図星らしい。

隣でトメちゃんが呆れたように笑っていた。


「そうですよ河西さん、私はあなたの努力を全力でへし折ります。誰も喜ばず、誰も得しない努力に価値はありません」


「俺が喜ぶじゃないか」
「どうでもいいです」

バッサリだった。

「トメちゃんは俺のサポーターなんだから、もう少し俺を贔屓するべきだと思うんだけど」

「それ以前に私はここのヒューマノイドです。ルールが優先です」

あー、と参ったように頭をガリガリ掻く河西くん。苛立ちの溜め息を吐き出した。

それから困った笑みを私に向けて、今度は観念したような溜め息をついた。


「悪い藤田さん、酷いこと言って」


私は小さく首を振った。

「ううん、演技なのは分かったから」
「それはそれで傷つくんだけども」

自嘲気味に苦笑する。でも次の瞬間には感心したような笑顔になって、毛布のように柔らかく温かい調子で言った。

「改めて言わせてくれ。お疲れ様。初めてでうまくいったんだから凄いよ」


うう。

「ありがと」

口元が緩んでしまう。
私は照れくさくて頬をかいた。やっぱ嬉しいなぁ。

「聞いてくださいよ河西さん」トメちゃんがイジワルな調子で言う。「藤田さんってば、『疲れたって気持ちが強い』とか言いながら、願いの主が喜んでるのを見て満足げに笑ってたんですよ」

はい?

「そりゃ仕方ないよ。藤田さんは素直じゃないからな」

ここぞとばかりにイジワルなノリに同調する河西くん。少し前までの――私の知る河西くんだ。と安心のようなものを感じつつ、

「河西くんには言われたくない」


私は口を尖らせて言った。
はっきりと言ってやった。


「あっはっはっ、そうだな」


彼は可笑しそうに笑う。

私もつられて笑みを浮かべていた。

最後まで読んでいただきありがとうございます