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【短編】雨の日のインターホン

 五月初めの昼過ぎだというのに照明をつけないといけないレベルで室内は暗くなっていた。急速に発達した雨雲のせいだ。空は断続的に光っており、唸り声のような音を撒き散らしている。あられ混じりの大粒の雨がマシンガンのように打ち付けており、道路もベランダもうるさいぐらいだった。
 こういう日は漠然と嫌な予感がするものだが、今のオレには些細なことだった。

 オレは猫を焼いていた。
 別に食べるつもりはないのだが、オーブンに入れて丸焼きにしていた。

 窓の外を見下ろすとこの土砂降りの中を懸命に歩いている人がいた。傘がもはや役に立っていない様子で、とはいえこのゲリラ豪雨に対応している辺り用意周到だ。オレとしては素直に雨宿りを選択すべきだと思うが、急いでるんだろう。

 猫が焼きあがった。
 オレはそれをじっくり観察する。

 ふと、空が思いっきり光を放った。直後ゴロゴロと大きな音が鳴り響く。どうやら近くに落ちたみたいだ。まあ、どうでもいい。
 このゴールデンウィークのうち、ゲリラ豪雨が起こったのは二回目になる。夏日近くまで気温が上がる日が続いており、そのせいもあって上空は不安定になっているのだろう。仕事は家で済ませられるオレにとってはあまり関係のない話だ。それより猫の焼け具合が素晴らしかった。苦しんだ後がよく見て取れる。命を感じる。ああ、見事だ。

「……」

 不意に、何か嫌な予感がした。こういう日の漠然とした嫌な予感……にしては、妙に、なんと言うか、いつにもまして漠然としている……と言うより、形容しがたい不吉な何かを感じると言った感じだ。その形も定かではなく、しかしまとまりを持っているような感じもする。輪郭がはっきりしてるのかぼやけているのかも曖昧な、寝惚け眼で眼鏡をかけず認識するよりも遥かに得体のしれない何か。

「おそらく錯覚だろう」

 焼きあがったそれを見てもやはり食べようとは思わず、オレは猫をゴミ袋に捨てた。きつく縛ってゴミ箱の蓋を閉めた。換気扇を回し、僅かに窓を開ける。

 ピンポーン。

 インターホンが鳴った。

 誰だろうか? 宅配は頼んでいないし、誰かが来る予定もない。何かの勧誘だろうか。
 面倒だったが、とりあえずモニターで外の様子を確認する。
「うん?」

 長い髪をした子供が立っていた。

 傘を持っておらず全身がびしょ濡れで、黒い服が身体に張り付いている。手が隠れるほどの長袖で、肌の露出はない。身長からして小学生か中学生といったところだが、俯いて顔が見えないため、判断できない。
 じっとしている。何かを待っているように静か。

 濡れているのは雨のせいだとして、しかしなんの目的だろう。ああ、部屋を間違えたんだな。突然の雨で慌てて、うっかり違う家のインターホンを鳴らしてしまい、それを謝るために待っている、と。これだけ小さいなら鍵を持っていないこともあるだろう。
 となると、早く出てあげた方がいいな。

「はい、どちら様ですか?」

 …………。

 反応がない。もしかして聴覚障碍者か?
 仕方ない、オレは玄関に向かい、ゆっくりと扉を開けた。
「………………あれ?」

 誰もいなかった。

 廊下に出て左右を確認するが、やはり誰もいない。

 微かに焦げたニオイがした。おそらく猫のニオイだろう、風も雨も酷いためすぐさま扉を閉じた。

「それにしても、どういうことだ……?」
 モニターには確実に女の子が映っていた。仮にモニターから目を離したのと同時に立ち去ったのだとしても、少女の家がお隣だったとしても、その姿を捉えられないことはない短時間だった。つまり、不思議なことが起こっている。
 それに、廊下に足跡が無かった。雨で濡れているとはいえ、足跡ぐらいは残りそうなものなのに、誰の足跡も残っていなかった。
「…………」

 よく分からないままだったが、とりあえず玄関に鍵をかけ、再びリビングに戻った。

 外は相変わらずの雨で、吹き付けられた雨で窓が少し濡れている。雲も相変わらず黒いままで、まだしばらくは雨が降りそうな様子だった。
 焼いたニオイはまだ残っている。窓はそのままにしておいた。

 さて、とりあえず仕事でもしようか。

 ポタ。

 何か聞こえた。

 ポタ、ポタ。

 断続的に水が落ちる音がしている。

 ポタ、ポタ、ポタ。

 それと同時に、猫とは別の焼けたニオイが漂ってきた。嗅いだことのないニオイだが、肉であることは間違いないだろう。それはそれとして、どこから水の音がするんだ? まさか雨漏(あまも)りなんてことはないはずだが……。

 音はキッチンの方からだった。しかし蛇口から垂れてはいない。見れば、ゴミ箱の横が濡れていて、そこに水滴が落ちていた。天井に異変は見られない。

「へえ、これが心霊現象か」

 人生で初めての経験に少し興奮気味だったが、しかし残念なことにそれ以上のことは起きず、その日はそのまま終わってしまった。せめて金縛りにでも遭えば面白かったのだが、そんなこともなかった。


 後日、霊能力を持っていると有名な人のもとに出向いて、どういう状況なのか確認しに行った。というのも、あれ以来、ずっと肉の焦げたニオイが鼻に付き纏って離れないのだ。フルーツの香りも干した布団の匂いも、その焦げたニオイのせいで台無しになってしまう。それに少し身体が重い。
 そこは家の一部を相談所として利用しているところで、入ってすぐが相談所となっていた。

 霊能力者の彼は、会ってすぐ、オレが何も言ってない段階で、じーっとオレの肩を見た。

 しばらく睨むようにして、「どうぞ座ってください」と椅子に促された。
対面してすぐ、彼は言った。

「猫――殺しましたか?」

 素直に驚いた。まさか第一声がそれだと予想もしていなかったからだ。
 はい、と答えると、彼は目を伏せて言った。

「びしょ濡れで身体の焼けた女の子も一緒に憑いています。おそらく雷で亡くなったのでしょう。他にも、焼け死んだ霊がたくさんあなたに憑いていて、その中心に猫がいます」

「やばいですか?」

「危険だと思います。数が増えて、徐々に力を増している様子です。早めに対処しないと本当に呪い殺される可能性がありますよ」
 深刻な様子で彼が言った。


 ピンポーン。


 インターホンの音がした。


 今日は雨の日だった。

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