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【願いの園】第二章 02

「こんばんは、藤田さん」

気づくと目の前に兎梅とうめちゃんが座っていた。学生服らしき姿で、歓迎とも迷惑とも取れない平坦な声と表情だ。その背後にはシックな内装――管理棟のラウンジと確認でき、奥にはガラスの壁があって、遠景に草原と雲海が見える。挨拶に対して真っ昼間の明るさだった。

ちゃんと『願いの園』に呼んでもらえたようだ。

昨日と逆で、入って左側の席にいるのだけど、これは単純に来客用と呼び出し用で分けてるだけかもしれない。そう。今回の私は従業員側なのである。
寝る前に練習していた感覚を思い出し、私は言った。

「こんばんは、トメちゃん」

良かった、ちゃんと出た。

「はい、本日はよろしくお願いします」

事務的に淡々と応えるトメちゃん。ヒューマノイドと言っていたけど、そういった無機質さではなく、担当者以外を相手に愛想なんて不要と割り切ってる感じだった。ある意味レイより人間らしく感じられる。


「そういえば、気がかりだから先に教えてほしいんだけど、私の身体――現実世界の肉体って魂が抜けてる間はどうなるの?」

「普通に活動してますよ」

「生命活動に問題ないってこと?」

「はい。魂の有無と肉体の活動は別ですから。例えば、仮に魂を戻さずに目を覚ましても、その肉体はいつも通りの生活をして、いつも通りの意識体験をします。なので周囲の人も、あなた自身も、魂が抜けてるなんて気づかないでしょうね」

それはそれで怖いんだけど。……ん?

「てことはもしかして、今って私が二人いるってこと?」

「そうとも言えますね」
 あっさり肯定された。

「じゃあ魂ってなんの意味があるの?」

「詳しい説明は長くなるのでまたいずれ。ただ、簡単に言うと、記憶媒体です」


「ハードディスクみたいな?」
「そんな感じですね」

「じゃあ、いわゆる心霊現象ってやっぱり嘘だったんだ」

「いえ、それはあると思いますよ」平然と言ってのけるトメちゃん。「自律的とは言えないでしょうが、記憶に従って勝手に動くことはありえますので」

「そ、そう……」
なんてことだ。

「この人が仕事をしたいと言ってた人だね」


急に声が降ってきて反射的にちょっとのけぞってしまいながら振り向いた。テーブルの横に三、四十代ぐらいの男性が立っていた。灰色の着物を着た日本人らしき見た目で、あごの先だけ髭が生えている。
トメちゃんは一瞥だけして、淡白な表情で手を向けた。

「こちらは迂舵津うだつさん。ここの最高責任者です」


偉い人だった。
私は慌てて立ちあがり、頭を下げる。

「は、初めまして。藤田知仍です。よろしくお願いします」

「迂舵津です。いやあ、そんな緊張しなくていいですよ。最高責任者と言っても普段は寝てばかりですからね。あはは。おっと、言い忘れてた。こちらこそよろしくお願いしますね」

気のいいおっちゃん、という表現がちょうどいいかもしれない。愉快そうによく笑う。トメちゃんがあどけない小学生の見た目で落ち着いた言動だから、随分と対照的だ。

「彼もヒューマノイドですが、私と違い専属のサポーターではないので、相談があればいつでもご利用ください」

「いつでもってことはないんだけどね。それと、『ご利用ください』って表現はちょっと引っかかるよ?」

「ヒューマノイドジョークじゃないですか」
「えー、なにそれ」

この人も普通の人と変わらないな。凄く自然だ。これでも人見知りする人間なので、そう思うと少し緊張してきてしまう。

「ところで藤田さん」と迂舵津さんが言った。


「あなたはどんな信念でここに?」

「え?」

「こんなところで人の願いを叶えようなんて珍しいですからね。それに従業員のことを知るのも大切な仕事ですから」

そういうものなのか……。
しかし参ったな。私は単に河西くんとの繋がりを断ちたくないだけで、信念なんて大層なものは持ち合わせていない。

「特に無いの?」
「いや、その」
何かないとマズい? なんて言えばいい?

「藤田さんはここの仕事に興味があるんですよ」

逡巡していたらトメちゃんが助け舟を出してくれた。
「なので信念と言うよりは職業体験ですね」

なるほどねえ、と彼は腕を組む。
「兎梅ちゃんがもったいぶるから河西くん並みの子かと思っていたよ」

「すみません」イタズラしたような笑みを浮かべるトメちゃん。「でも、これから化けるかもしれませんよ?」

「でもそれって、今のところ大役を担える保証はないんだよね」

「やってみないことには」

「じゃあ結果を待ってるよ」

彼は終始明るく会話していた。それが逆に怖かった。

「じゃあ私はこれで。お仕事頑張ってくださいね」

そう言って、直後、彼の姿は消えていた。まるでテレポーテーション。最初からそこにいなかったように跡形も無い。それでも空白を埋めるように風が流れて、ちゃんと存在したことを確信させた。

ほんと、なんでもありだね……。

「さて藤田さん」


呼びかけられて向き直る。
トメちゃんはどこか挑発的な笑みをちらつかせていた。

「ご理解いただけたと思いますが、こちらも無限の善意を与えることはできないんですよ」

それはもう充分と理解した。

「ちゃんと有用性を示せってことだね」

「はい。ただ、老婆心ながら言わせてもらえば、早いうちに、自分を衝き動かしてくれるような手に入れることを勧めますよ」

「信念か……」

私には縁遠いものに思える。相対性理論、量子力学、相対論的量子力学をいつかは真に理解したいと強く思ってるけど、これは違うもんね。

「考えてみるよ」
「はい、そうしてください」

少しだけ真剣に言うトメちゃんだった。
随分と気に掛けてもらっている。流石にこれは適当に流せないな。

「そういえば河西くんは?」

「彼なら今日はお休みです。負担を考えて一日置きにしてるんです」

「あ、そうなんだ」
会えないのは残念だけど、避けられてる訳じゃないってだけでも安心できる。

「だから今日は藤田さんに付きっ切りです。姿を隠して同伴するつもりなのでご安心ください」
「それは助かる。ありがとね」

「いえ、仕事ですからお気になさらず」信憑性のある平坦な声だった。「ついでに言うと、仕事さえやってくれればいくらでも呼びますから、あとはご自由になさってください。もちろん公序良俗に反しない範囲でお願いしますね。そこら辺を全裸で走り回られても困りますから」

「そんなことしないよ」
「冗談です」
真顔で言う。この子結構冗談言うんだな。それも分かりづらい。

「さて、いい加減仕事の説明をしましょう。と言っても、願いを叶えるお手伝いをするだけなので、注意点ぐらいですが」

大きく三つです、と彼女は言った。

一つ、サポートに徹すること。例えばアドバイスなどは出来るだけ避ける。

二つ、夢の中という印象を出来るだけ崩さないこと。例えば『願いの園』に関する情報は明かしてはならない。

三つ、相手が暴力的な態度を取ってきて、耐えがたいと判断した場合、無理せず撤退すること。

「こんな感じですね」
「分かった、気を付けるね」

しかし改めて思うけど、これは私には難しい仕事だ。

「別に気負わなくていいですよ」
 トメちゃんが微苦笑する。

「いきなり難しい願いはやらせませんし、ここはあくまで願いを叶えられる状況を提供するだけであり実際は叶えらない方が当たり前なんですよ。なので失敗しても誰も困りません」


「そう言ってもらえると少し楽かな」

気遣いには素直に感謝する。だけど、一応自分でやると決めたことだし、出来る限りやってみよう。それに、適当にやったら相手に失礼だ。

「さて、そろそろ稼働しましょうかね」とトメちゃんは立ち上がり、歩き出そうとして「あ」と何かに気づいた様子で私を見た。
「服はどうしますか?」

どうって……ああ。

昨日と同じスチームパンク風の衣装を着用している。有名な作品のヒロインの恰好だからコスプレと思われるのは避けられない。それを気にしませんかという話かな。それとも、着たい服はあるかってことかな。どちらにせよ、

「これでいいよ。動きやすいし」

どうせ夢と思われるんだし。

「分かりました」
 トメちゃんは今度こそ踏み出した。ロビーの中心にあるフロントの内側に入っていく。
 指示が無かったからとりあえず付いて行く。

デスクには薄いモニターが設置されていた。彼女が黒い画面に触れると専用のアプリケーションらしきものが映し出された。『施設一覧』と左上にあって、二つの横長の枠が縦に並んでいた。『1』『2』とあるうち下の『2』に触れる。

「事前に選出済みなので施設はすでに建築されてます。あとはボタン一つで」

言って画面右下にある『start』と書かれた赤い丸に触れた。すると色が緑に、文字が『working』に変わった。……それ以上何か起こった感じはしない。

キョロキョロする私にトメちゃんは「もう稼働してますよ」と微苦笑した。

「今回願いを叶える人は今まさに気が付いたはずです。さっさと向かいましょう」
 たったとフロントを出ていくトメちゃん。そのまま管理棟の外へ。

「今回呼んだのは藤田さんと同い年の女性です。願いは『妖精になって自由に飛びたい』というものです」


「教えてくれるんだ」
「じゃないと大変ですからね」

ということは、河西くんも私の願いを分かったうえだったんだ。そりゃああれだけスムーズに進められる訳だ。……いや、もちろん腕があるからこそだけど。

管理棟を出て草原を歩くこと数十メートル、雲海の手前まで来た。大地の円弧に沿って雲が密集し、地続きにも見える。ここは昨日もいた場所だ。

「門よ!」

トメちゃんが高らかに叫んだ。
すっと陸と雲海のちょうど境目に太い直線が現れ、布がめくれ上がるように門が出現した。私のときと同じ白い門だった。改めて見ると結構物々しい雰囲気がある。

「戸に触れてください。掌をべったりと」

指示に従い、数歩近づいて恐る恐る手を伸ばす。指先がつんと触れ、ちょっと安心して隙間を埋めるように指から掌へと押し付けていく。やがて根本まで触れたとき、がこんとじょうが落ちるような音がした。軽く押してみると、ズズズとこすれる音を立てながら門が奥にひらかれていった。その境界面はもやのような白いもので満たされている。

「私は透明化して近くで見守っていますので、何かあったら声を掛けてください」

言うと同時に魔法少女に変身して、すぐさま見えなくなる。「さあ、入りましょう」声は同じ位置から聞こえてきた。

私は門に向き直る。

「頑張ります」

大きな歩幅で踏み入れた。

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