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「悪人の話ばかりして、ザゼンベアのイメージ悪くならない?」

先日このようなコメントを頂いた。

「悪人の話ばかりして、ザゼンベアのイメージ悪くならない?」

確かに、リアル韓流ドラマの如し不浄で程度の低い者達についてばかり書いていては、可愛いザゼンベアのイメージが悪くなるのではないか?というのも理解出来ないことはない。しかし、以下のようなこと、これは拙著、『泥から蓮』の帯として書いた文言だが、このようなことを全て乗り越えてザゼンベアはある。私はそれらを乗り越えて、一笑に付し、ザゼンベアをデザインし、今も守り続けている。


同時多発テロ被災、苛め、差別、DV、パワハラ、モラハラ、家族崩壊、探偵調査、脅迫、刃物と灯油で恫喝、警察の聴取、暗殺依頼、警官と国税職員への暴行、国税庁調査、相続人廃除、数十件の嫌がらせ訴訟、裁判官への贈賄と買収疑惑、不当判決と資産の一時的強奪と会社乗っ取り、8億円強奪1回、5億円強奪1回、合計3億円盗難2回、受けた損害は推定数十億円。毒親、反社、巨額詐欺事件、濫訴、謀反、偽証、横領、悪徳弁護士チームとの対決、敵の意図的な民事再生、破産と刑事告訴。 認知症の父親から全財産を相続し相続税を払わずに一族の会社を軒並み潰し、夜の世界へ一族の全財産を流出させた邪悪な虚構系インスタグラマーとその取り巻き達。そして、2024年、日本で再出発するザゼンベアについて。


人間の心理というのは不思議なもので、別に乗り越えたという感覚も実は無いし、怒りというものもあまり起きないのだ。それよりは悪事を成した者達が”自業自得”で、つまり自ら谷底に落ちるのを単に観察しているような感覚になる。物理的には一応耳がついているのに、何も聞こえず、同様に目がついているのに何も見えないという特殊な生き物たち。そして彼らの抱えることになる残酷な現実、彼らが閉じ込められる極めて厳しい現実について哲学的な考察が進むのである。

そういった超越的な感覚、静けさ、忍耐でも、逃亡でもなく、しかし、挑戦や勝利でも無い虚空の如き心の状態を、カジュアルに表現しているのがザゼンベアであって、敵勢の裁判沙汰について書いたから汚れて朽ちるのであれば、そんなキャラクターは世に必要がない。可愛いだけのキャラクターは世に溢れているではないか。



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