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コロナ"禍"を思い知った時

私が、現在の新型コロナウイルス感染症対策で、変形してしまった世の中の異常さを痛感したのは、ニュースから毎日流れる数字によってでも、コンサートが出来ないアーティストの声によってでも、増して政府の会見によってでもなかった。

五月頃に、生意気にもインターンシップの合同企業説明会に参加しようと自転車を漕いでいる時に見えた、と或る病院の前で、硝子越しに向き合って電話をしているお年寄りの姿によってである。

テレビ電話に慣れてないのか、それとも其処に備わった(グラフィックやデジタル其の物への)離散性に生気を感じられなかったのかは私の預かる所ではないが、直接に見舞えない事の悲しさと、まるでその空間だけがフィクション世界であるような悲劇性が重なり合って、嗚呼現状は異常なんだとやっと認識したのであった。

そういえば。私がマスクをしたのだって、世間がし始めたから其の流れに従ってであるし、リモートだって上層部が左様しようと決定したからで、自分自身で、真にコロナウイルス感染症が危機であると認識して其れに追従しているのではなかったのであった。

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