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インスピレーション
私は斯うして落書きをしているが、この時に思い出すのは如何せんネガティブな事が多い気がする。斯く斯くのことが嬉しかった、という事を大事に抱えている事が余りないのだ。
創作家にはタイプがあると考えてる。1つ目は、自身の経験を生々しく描くタイプ。私小説が是に当てはまる。この創作方法は、インパクトが強くなるのが良いところだろう。ロジックを考える必要はなく、ワードを丁寧に選び取ることに時間を割けるのがよい。
2つ目は、物語を描き出すタイプ。私はこちら側だろう。この創作方法は、かなり選択が広がる事が利点だろう。世界の設定そのものを弄れるので、所謂「世界観」のアジが出るのだ。
私は昔っから物語を作るのが好きで、此のことが後者の選択を執らせるのだろう。自分の経験から派生させた二次創作なんかを一度ゲーム化しようかとも考えていたくらいだ。実は、高校生時代に、3DCGを使ってアニメーションが入ったゲームを作ろうとしていたが、何せ美術の成績が悪かった。人型モデルを作る練習で、髪のない頭を作っていた時点で1か月以上掛かって仕舞い、計画は立ち消えた。
この、ベースにした経験がかなり暗いものであり、中学高校時代の人格にも尾を引くほどであったので、私の創作を強く動かすのはネガティブなのだろう。自身の経験を曝け出せる人はかなり自己肯定感があるのじゃなかろうか。ポジティブなことを綺麗に昇華出来る人が羨ましい。私がポジティブで溢れた世界を作ろうとすると、頭の中の寺井監督は、軽薄だ、と陶芸家のように、焼きかけの壺をバラバラにしてしまう。
ポジティブな作品を、作家の能力として、作れるようにしたいのだが、如何も作品として弱い、と自分は感じてしまうのだ。同じ面白さのスプラッター映画とラブコメ映画を同時に観れたとしたら、恐らくグロテスクな方を印象に残してしまう脳なり心の仕組みに、私は組み込まれているのだろう。若し他人との関係が良好に行っている人はラブコメの方を面白いとするんじゃないか。
兎も角、私はお人形遊びの楽しさが骨に焼き付いてしまったのだ。他人に役を割り当てて遊んで大怪我を負った人間は、頭で他人そのものを作って遊ばなければならなくなるから、一人で遊ぶことを熟知してしまったもんだ。そして頭で他人と向き合えば古傷が痛んでくるから、ネガティブがインスピレーションになるのだろう。
陰陽アカクラのラベリングをしてもしょうもないのでもう寝る。良い週末を。
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