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『誰の決定を尊重する?』

「何か新しいことをはじめよう」ということがあります。そんなときはちょっと不安になったり、わからないことが多くて誰かに話したり、相談したくなるものです。

親や兄弟でしょうか?
今でも親交のある先生?
友人とか同級生、近所のひと?
会社の先輩とか同僚?

思い当たるところで、その中でも「信頼できるひと」をチョイスします。

あのひとなら詳しく教えてくれるかも?
自分の判断ってどうだろう?
これってどう思う?
単純に感想を聞かせて?
もっと違う案はある?

何をどう言われると安心するのでしょうか?それによって自分の気持ちに箔がつくのでしょうか?実行するための勇気が湧いてくるのでしょうか?
「すごく良いね!やってみたら?」
実のところ、そんな風な言葉を期待しているのでしょうか?

でも、あからさまに反対してくるかもしれません。行き過ぎた考えですが、反感を抱いて敵対してくる方もいるのです。
「何考えてるの?やめた方がいいに決まっているじゃない。」
なんて…。


僕は、そういうことを言われると、すぐにやめてしまいます。それでどうなるかと言うと、期待して応援してくれていたひとたちは残念な気持ちにさせてしまうのです。
そして。
反対していたひと達はと言うと…。

「へぇ、やめたの。なぁんだ。」

なんて反応です。これって酷いですよね。何が酷いって、やらないという選択肢を選ぶと、誰も喜ぶひとがいないんですよ。
反対していたひとでさえも、「あなたの言う通りにしました」と言うのに、「へぇ」とかで済まされる始末です。
「良かった〜君がそれをやらなくてほんとに良かった〜!」などと言う事など決して無いのです。


この点に関して、僕の家の近くの喫茶店でマスターが言っていました。

「ひとは、良いか悪いかしか言わないからね。」


その喫茶店は昔(20年くらい前)からやっていて、サラリーマンを一旦辞めてから営業しだしたそうなのです。それを聞いて僕は質問しました。
「それくらいの時代にサラリーマンを辞めるとなると周りからひどく反対されませんでしたか?」と。

それを聞いた時に“ひとは良いか悪いかしか言わない”ということを言われたのでした。話は続きます。
「ひとの意見を聞いてどうのこうのではなくて、“自分がやりたいかやりたくないか”だよ。結局自分がやるかどうかを決めなきゃいけないんだから、誰が何を言おうとも、必ずやるという意思が大切なんだ。


うん。
これは名言登録をしておきます。

家族の事や友達の事、学校や仕事のことでも、恋愛や結婚の事、趣味や習慣や、どこに住むのかとかもそうだし、感謝すべきか、謝るべきなのか、伝えるべきかそうでないか。
いろんな決定事項が、生きて生活しているとたくさんあります。何かにつまずくことや、悩んだり落ち込んだりすることだってあるでしょう。
それゆえに、いろんなひとからいろんな事を言われて考えさせられます。そんなとき。ふと、そんなときに、自分の決定がいちばん大切なんだと思い起こしたいと思います。

自分の決定を大切にする。これからの僕は。


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