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君には友達が少ないだと?

「君の友達には面白いひとが多いね」、と僕は言われることがある。すごく嬉しいことだ。
ところで、どういうことでもしくは意味があってそんなことを言うんだろうか?
実際楽しいひとが周りにゴロゴロゾロゾロいるのはみんなだって同じじゃない?
それぞれ違う生き物なんだし、考えることも同じじゃないだろう。友達とは雑貨屋さんみたいなものだ。色とりどりで形も違うし用途も違えば大きさだって様々。

誰にだって気軽に話せるひとがいるだろう。それを友達と呼べばいい。そう考えるなら全く友達がいなくてリアル独りぼっちも、まぁまぁ珍しい。
変わり者であれば、それはそれで、そういう“君”を好んでくれる誰かが2〜3人いるはずだ。

僕も「友達が多い」とは言われるものの、親しく頻繁に付き合う友達はそこまで多くない。やっぱり2〜3人になってくる。
飲食店で食事をするのを見かけるのもだいたいのグループがそれくらいの人数だ。
みんな同じなんだと思う。


ただ、見てるとすごく楽しそうなグループっているし、みんなが“集まりやすい場所”を見つけていて、そこでよく集まって話したりご飯食べたりしている。もしくはゲームをしたり運動したり、映画を観たりしているのだ。
ということは。

場所が重要なんじゃないだろうか?

「自分には友達がいない」のではなくて、
それぞれの気に入った場所が無いから集まれなくて。本当はみんな仲良くて遊べるかもしれないのに、そういう「場所が無かった」というだけで、友人の枠から知らず知らずのうちに外に出てしまうことがあるのだ。もしくは仲良しで集まったとしても、そのうちそのうちバラバラになってしまうなんてことがあるのだ。

それってのはなんとももったいない事じゃなかろうか?

たとえば
映画やこどもの頃のように、誰かの家がたまり場になっていたりとか、秘密基地があったりとか、空き地で遊んだりしてみんなが集える場所で、ベラベラと喋ったり、連絡しなくても遊びに来たり…なんて場所があると、なんかこう…ね。いいじゃないか。
そういう場所があるといいなぁなんて話な
んだな。

つまり、それを考えた時に。僕には面白い友達がたくさんいると思われるということは、僕には「居場所」がある、ということなんじゃないだろうか?
そこへ行くとだいたい顔なじみのアイツが「おう!来たな!ゲームしようぜ!」なんて声をかけてくれる場所がね。

顔なじみのアイツに僕がなろう、これからの僕は。

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