悟空みたいになれんのか
「オス!オラ悟空!」
ドラゴンボールの孫悟空のようになりたいと思ったことはないだろうか?
僕はある。今もなりたい。
僕は小さい頃、喘息で体があんまり元気じゃないこどもだったから、元気な悟空にかなり憧れた。
強いってのもいいんだけど、いつも楽しそうにしているってところが好きだし、ハキハキといろんなことにチャレンジする元気な悟空が好きだった。たくさん食べてたくさん寝るところも好きだった。
ま、漫画だしな。
オトナになると悟空の魅力はより一層わかるようになってくる。こどもの頃に思っていた単純な考え方とは違って、“オトナが見る悟空の魅力”を見て、より一層羨ましく思えたりした。
孫悟空の良さというと、こどもの頃は絶対に誰にも負けないど根性みたいな底力とか、師匠から吸収する純粋さのようなものを見ていた。
オトナになってからだと、「自分の事はいい意味でいろいろと棚に上げて話をしている」ってところが好きだったする。
久しぶりに仲間と会った時は、「絶対に自分の方が強い」とかそんな風には微塵も思っていないのである。
純粋にその人の“以前会った時と今”を比べて、「おめぇ、すげー強くなったな」と言うのだ。
俺よりもどうだ、あの人よりもこうだな、なんて絶対に言ったりしない。
嫌味など全く無く“純粋に君は前よりもすごく良い”と思っているのである。
これ、実はなかなかできない。
自分のことも他人を見るときも。
僕はけっこうなんでもいろんなところを自分と比べてしまいがちだ。
いや、お前なんかより…とか、いう感じではなくて、人の成長を見ると「自分はどうだろう?成長しているんだろうか?」と俯瞰して自分を上から見てしまい、結果的に落ち込んでしまうことが往々にしてよくあるのだ。
しかもそれって意外と多くの人がやっている(らしい)。
別に他人と比べることはないと思うかもしれないが、「あいつが邪魔なんだ」とか「あの人のせいで…」と思っていることもたくさんあると思うのだ。それはある意味で自分と比べて見ているという事でもある。
自分だったらあんな事言わないのに、とか、なんであんな事してくるんだろう?と思っているのは自分とは違う考え方をしているからだし、自分の行動からの予想とは反しているからそうなる。
いろんな人がいて、自分と同じように行動する人ばかりではない。
そして、この世の中にいる人間は自分の気に入る人ばかりではない。
寛容になれずに狭い価値観の目で見ているといろんな苦手意識が自分の中に飛び込んで来る。そうなると、自分の世界観に反した人は人の評判や評価も全て関係なくして跳ね除けてしまうのだ。
それというのはつまり、自分の価値観で人を比べて見ているからにすぎない。
あの人はいい人なのに、この人はそうでもないな、と、そうやって優劣をつけているのかもしれない。それが寛容でない自分を生み出しているのだろう。
そういった考え方をしないためには、自分と自分の価値観を通してその人を見ず、純粋に「その人だけを見る」事に限る。悟空はそれができているというわけだ。さっぱりとしていて気持ちがいい。
過去の自分と今の自分を比べるって簡単なようで意外と難しい。
どうしても、「しっかりできるあの人」とか「たいしてできない不器用なあの人」のことを見たりして、それらのことを自分と重ねて見てしまってすこぶる良くない。
たぶんその見方って、
延々と成長できないパターンなのではないかと思うのだよ。
だから僕は悟空を見習いたいと思った。
悟空はそんな事は絶対にしない。
自分が成長するか、お前は成長するのか、ああそうかすげーな。
シンプルにそういう考え方がどうやら成長するみたいだな。
悟空みたいになりてーな。
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