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最近おもしろくないことばかり

ちょっと鬱っぽいのかなと思ったりもするが、別に体調は良いし、特に落ち込んでもいない。なんとなく感じているのが自分が楽しいと感じる“娯楽”が少なくなったんじゃないかってことだ。

最近もうこれはいいなと自分が身を離しているひとつは「音楽」。近頃はなんか、やかましいなとすら思えてきた。

聞いてても頭に入ってこないくらいが丁度いい。頭に入ってくると記憶をムリクリ掘り起こしてしまって今目の前に起こっていることが手につかなくなってくる。
年配者が癒やしの音やゆっくりな曲を聞きだすあれに近いかなと思った。


YouTubeを見てみたり映画を見てみたりするが、結局のところ消化していく娯楽だなと感じる。話題になることもあるかもしれんが、みんな流行っているから見ているものだって多い、流行っているとおすすめに出てきたりするでしょ。
道端で絵を描いているおじさんがいたが、その周りにすげーすげーと言って小学生が群がっていた。めちゃくちゃ可愛かったんだけど、ここではあんまり良くない例えとして使わせてもらおう。
言うなれば流行っているものってそんな感じである。

見ているだけ、傍観者。

負けてられん、自分も家に帰ってやろう!とかそんなふうにはならない。単なる感想を吐き出すマシーンになっている。

それは消費者でもないな、ただ見ているだけで味わってもいない。
そういう娯楽って増えたなぁと思う。

見て、面白かった。
聞いて、良かった。
食べて、美味しかった。
来て、実感した。
触って、すごかった。


なんだろうな。たとえばコーヒーを飲んでみて、おいしいってなるんだけど、自分でも家で淹れてみたいとはならないというのは、単なる傍観者なんだなぁと思う。

自分もああいうコーヒーを淹れてみたいと思って器具を買ったりするとプレイヤー側になると思うんだけど、自分は人に淹れてもらうだけがいいんだってなると、感想しか言えなくなる。

あの味が再現したい!とか、自分も珍しい豆を買いに行ってみたい!現地まで行って畑を見てみたい!
そう思うくらいの人って極々一握りで、群がる小学生に変わるものではないなぁと、そう感じた。



僕自身も何かあるのかと言われたら…何もないのだけど、でも僕でもなにかやってみたいとか思って本を買ったりもしている。


見る娯楽に満足していては家にこもりっきりになってしまうね。





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