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恋愛の距離感

恋愛がうまくいかないことについて考えている。


友人関係だとうまくいくのに、付き合いだすと関係がうまくいかなくなってくるという人は多いかと思う。


こんなことになるんだったら友達のままの方が良かったなんて思うかもしれないが、そうとも言えるし、確実にそうだとも言い切れない。

どっちかって言うと後者かな、最終的に別れる事になるとしてもだ、やっぱり一瞬でも「あなたのことが好き」だと思えるというのは人としての成長なんだと思う。ひとりの人が好きになるのはひとつの辞書を読み切るのと同じくらい何かを受け入れているような、そんな成長かななんて思える。
結果的に離れてしまったけど、それも進歩だと捉えられるくらいの関係性が生まれるならより良いのかもしれないね。


僕も結果的に離れてしまった人はいくらかいるけれど、こんな事なら友人のままでいれば良かったなんて思うことは案外と、ひとつもないものだ。
それは友人関係でもそう、あの人とは二度と会わないだろうという友人は過去に何人も置いてけぼりにしたけれど、思い出すとムシャクシャしてしょーがねーや!って乱暴な気持ちになることはひとつもない。


それぞれの出会い方があって、お互いに惹かれたところがあり、お互いにどこかでつまづいてしまって、結果的に距離を置いた方が良い関係よね、となったわけなんだが、案外とそれは「そういう関係が丁度良くなった」のではないかと思う。
僕は別に、嫌いになってしまったということはなくて、以前よりも”あなたが好きです”という気持ちが小さくなってしまったんだと自分で自分を理解して落ち着いている。
いや、相手はどうかわからないけどもさ…。



この人や恋人との距離感をたとえでうまく説明してくれた友人がいた。これもまた過去の友人だけど。



人は手を使って物をうまく掴んだりいろんな事をして生活しているが、指の一本一本がもしも、くっついてしまっていたらどうだろうか?

ちょっとやってみよう。
親指から人差し指から、隣同士すべてをくっつけてみたらどうだろうか?
ピタッとね。

じゃあそのまま物を持ってみよう。何でもいいよ、そのへんにあるものを手に取ってみて。

どうだろうか?
手に取れなくない?物をうまく掴めなくない?
こんなの全然自由じゃないなぁって思うでしょ。

そうだろうね。
僕らの指は、5本揃っててひとつの手として機能しているけれど、その指と指はピタッとくっついて働いているわけではない。
手のひらという場所を拠点としてくっついていて、それぞれがそれぞれの仕事をし、役割を果たしている。
決して常にいつでもピタッとくっついているわけじゃないのだよね。動いている時はくっついていなくて、それぞれが離れているからこそ物を掴めたり、何かに触れ、繊細な動きができるなんてことができるのである。


そんな僕らの手は時に「家族」として例えられる事がある。

親指がお父さん、人差し指がお母さん。
中指がお兄さん、薬指はお姉さんで、小指は赤ちゃん。

みんな家族なんだけど、お父さんはお母さんとくっついてなきゃいけないかというとそうでもなくて。
お母さんは赤ちゃんと一緒にいなきゃいけないかっていうとそんな事もないでしょ?お父さんも赤ちゃんのそばにいるわけじゃない。

僕も友人が結婚して、気を遣ってあんまり遊びに誘わなくなった事があったのだけど、そんな事しなくたっていいんだと言われた。
なんで?と聞くと、これも良い答えだったな。

「だってさ、奥さんって言ったって常に一緒にいなきゃいけない理由なんてないんだよ。恋人だってそうだよね。僕は結婚したけど、奥さんは僕と単なる”家族になる”という契約をしただけであって、いつでもどこでも二人三脚しなきゃいけませんって事じゃないわけだよ。 君が僕と友人でいると、他の友人と遊んではいけませんっていうルールができるわけじゃないでしょ。それと同じだし、君のお母さんは君の家族だけど、必ず一緒に食事しなきゃいけないなんてルールもないよね。…奥さんってのはそれと同じ事さ。奥さんは僕のお母さんじゃないし、僕の生活の”審判”でもないのよ。」

と言っていた。

なるほど…!


僕はこの話を聞いて、かなり納得したような気がした。


指の例え話に戻ると、家族の間だけでも、こうやって離れている事でうまく機能しているとわかる。(たとえの話だけどね)




じゃあ…恋人は?というと。

恋人というのは、また違う家族の話である。
右手の中指お兄さんが、左手の薬指お姉さんと付き合っているということにしようか。

左の薬指お姉さんが言うね。
「いつも一緒にいたい!」(逆もしかり)

そうやって右手のお兄さんがいつも左手の薬指お姉さんとくっついていたらどうだろう?もしかしたら動きにくいんじゃないかな?


片手の指同士がくっついていても動かしにくいのに、両手の指がくっついていたら、もっともっと動かしにくい。他の家族(他の指)ももちろん機能しなくなってしまう。そうなると、「あんた達何やってんの!いい加減にしなさい!」と叱られてしまう。
ほらね、ひと(他人)の生活に影響を及ぼしてまでして関係を続けるなんて事もないわけよ。だし、いつもくっついているのも不自然だと言えるかもしれない。くっついているのはせいぜいデートの時と夜のベッドのなk……(おっとその話は置いておこう)くらいだけでいいのよな。

好きだから、いっつもくっついていたい気持ちはわかるけどもさ。


たまにだけ一緒に行動できる幸せだってあるのよ。
遠くから見守っている楽しさだってあるのよ。
恋人がどこかで活躍しているところをこっそりと傍観、傍聴している喜びだってあるのよな。

距離感を楽しむ恋愛もあるってことよな。


そんな「自分とあなた」という距離感をつかむ事って案外と難しかったりするもんよね。だけどそれがおもしろかったりするものでもある。


僕は君の近くにいたい、だけど今はちょっとだけ離れていたい。
時には寄り添っていたい。たまにはひとりになって考え事がしたい。
友達と遊びに行きたい。だから束縛はして欲しくない。
君には守られていたい。ただ、離れていてもいつだって君の事を考えていたい。


そんなそんな。
付き合っていると、意外と話さないことだけど。

それぞれの距離感をバチッと掴んで、“お互いのちょうどいい距離”を見つける努力をするのが大切なんだろうなぁと、ふと思ったという話である。



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