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つぐないとあがない

悪い物事をしてしまった時に許されるようになる行為というのは「償い(つぐない)」もしくは「贖い(あがない)」です。

やってしまった行動がある特定のひとにとって迷惑だったり悲しい思いをさせてしまったり、痛い思いをさせてしまった場合、それが回復するまで、もしくは自分の悪い行動で得られなくなってしまった益なんかを保証するような、そういうものです。
だから、単純に「ごめんね」とか「もうしません」とかって言ったって許されるわけではないのですよね。それが大人の世界。


だから、もしも警察に厄介になった時に牢屋に閉じ込められてはい終了、なんてことには至らないのです。
牢屋に入れられている期間というのは、言うなればペナルティです。サッカーで言えばイエローカードですね。

しかし、テレビとかではあんまり報じられないけど、その後があって被害を受けた方への償いがあるのです。
よく聞くのが賠償金というやつでしょうかね。それなら聞いた事があるかも。



実は聖書の中の物語もそれが大きく絡んでいます。

最初の人間アダムとイブが蛇にそそのかされて禁断の実を食べてしまいました。それが「罪」です。神様からやっちゃだめって言われていたのにやってしまったのですね。
その結果、人間は死んでしまうようになってしまいました。完全な命を失ってしまったわけです。
食べかけのアイスクリームを地面に落としてしまったら、拾い上げて汚れた部分を取り除けばいいなんて言うひとはいませんよね。新しいものを買うのがいちばん良いのです。それです。

神様の目的は人間を地上の楽園にて永遠に住まわせ、地上に反映させるためだったので、犯した罪によって楽園を追い出され人間が死ぬようになってしまうのは、非常に残念な事だったのです。
じゃあ人間は許してあげて、蛇を罰したら良いじゃないかと思うのですが、ちょっとそこが複雑なんです。
人間には神様から与えられた“自由意志”がありました。それを利用して罪となる方向に進む事を“自分達で決定”してしまったので、神様は泣く泣く人間夫婦を罰する事にしたんですね。残念。


じゃあどうするのか?


「完全な命」は実はたくさんありました。み使い、いわゆる天使はみんな死なないので、完全な命を持っています。それを犠牲にして人間の完全な命を取り戻す事ができるんです。

「じゃあいちばん下っ端のお前ヤレ!」なんてことは言いません。確実に成功を収める者を任命しなくてはいけないのです。蛇を使って人間を騙したサタンも言ってみればみ使いのひとり、サタンのようにまた反逆してしまっては失敗です。

そこで手をあげたのがイエス・キリストだったわけですね。結論を言いますと、それは成功しました。
キリストと言えば杭にかけられて殺されてしまった印象がありますね。あれです。
あれは実を言うとかなり重要な事だったのです。

殺されるのは簡単じゃないか?と物語を見ていると思ってしまいますが、神様に最後まで忠誠を保ちつつも亡くなるって事が重要だったのです。そうやって、失ってしまった最初の人間アダムの完全な命は取り戻されたのでした。
でも、今の人間は完全じゃないじゃないか?だって死んでしまうんだもの。

それにも理由があるんですが、ここでは語る必要はないでしょうね。

おお…
話が随分とそれてしまったので、もう聖書の話はしたくありません。


つまり、悲しませてしまったり傷つけてしまったら、ちゃんとそれなりの償いが必要なんだという話なんですよ。
スーパーでバナナを買うときも、ちゃんとお金を払うじゃないですか。それと同じ事です。


つまり。
謝って済むことばかりならいいのだけど、謝って済む問題を引き起こしてしまったのなら、償わなければそれは良くないよって話なんですよね。なぜかそういうことをふと考えたのでした。


悪いこたぁしねぇこったぜ、これからの僕は。

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