呪縛開放⑤ 時間という鎖
チク、タク、チク、タク
秒針の動きが時間を感じさせる。
ということは「時間」とは「動き」であると言えるでしょう。
人は「動き」、つまり「空間の変化」を時間と錯覚しているのです。
また、時間を寿命と結びつけるのも「単純化」、「自動化」が生成する鎖です。
心臓の動きの残数が寿命なのですから、やはり私たちが「時間」と認識してきたものは「動き」であるといえるでしょう。
真実の時間というものがあるとするのであれば、それは「過去」も「現在」も「未来」も同時に存在しているものです。
現在から過去へ情報を送信し未来へ影響を与えることができる。
そして、現在は過去から繋がり、未来から情報を受けている。
これが同時に存在しているという意味です。
そういった真実の時間については後々多くの人々が理解していくことになるでしょうからここでは言及しません。
これまで人々が「時間」と認識していたものは「空間」でした。
空間は錯視によって歪みが生じるものであります。
故にこれまで「時間としていたもの」も同様に歪みが生じるものなのです。
嫌なことをしているとき、つまり嫌な気持ちになる空間にいるとき時間が遅く感じますよね?
それは認識が「嫌」に集中して視野が閉鎖的になっているためです。
空間の動きが時間なので、
閉鎖的な視野では動きを認識しずらくなる=時間が遅く感じる
楽しいとき、つまり楽しい気持ちになれる空間にいるとき時間が早く感じますよね?
それは「楽しい」という認識が気持ちを開放的にして視野を広げているからです。
空間の動きが時間なので、
開放的な視野では動きを認識しやすくなる=時間が早く感じる
もちろん、事はそう単純なものではないでしょう。
とある宗教では個人の持つ波動の高さにより認識できる幅は広がると言います。
画家が川の動きを静止画として表現することができるように、
手を滑らせガラスが落ち、割れる。その一部始終を詩人が美しく表現するように。
波動の高さによりスローモーションに物事を認識し、自らの持つ技術でその認識を表現するということです。
時間が空間であるとするのなら、そういった気持ちの良し悪しや、波動の高さ、そして観測位置の変更で好きに調整できるということです。
あなたがもし、時間に縛られている、と感じているなら。
そしてもし、そこから解放されたいと願うのなら…。
楽しいことを探しにいけばよいだけのことだったのです。
その空間の中にあったが今まで認識できなかったもの。
川のせせらぎや、鳥たちの話し声、木々や花々の視線、子ども達の笑い声。
それらに気づけばよいだけのことなのです。
もしくは観測位置を移動すればよいだけのことだったのです。
それができないと感じるのだとすれば、それは時間ではなく勇気の有無の問題なのかもしれません。
あなたは少しの勇気で時間をコントロールできるのだということを忘れないでください。
クロノスタシスって知ってる?
川合玉堂氏
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