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「はじまりの男」救いようのない人間の定義 vol.1



この世にはびこる「救いようのない色々なこと」を記録する為に、私はエッセイ(と言えるのかは分からないがそんな風味をたたえたもの)を執筆することにした。

第一回目は、こんな男の話をしよう。

二十代で結婚し、二人の子どもに恵まれ、職場でも順調に昇進。本部長にまで上り詰めたが給与はいっさい家に入れず、長年付き合っていた妻ではない女性に新築のマンションを購入。平日は家族が住む中古の一軒家で妻の働いた金で暮らし、週末は愛人とマンションで過ごす日々を送っていた。
妻から離婚か女と別れるか決めろと詰め寄られても、男は「どちらとも別れたくない」と言い好き勝手に振る舞った。

やがて勤めていた会社の社長が亡くなり、新しい社長は男の早い出世を面白く思っていなかった人物だった為、男は窓際族に左遷された。仕事がうまく行かなくなり、居場所を見失い、やがて精神的な病を理由に退職。退職金を湯水のように使い、最終的に自己破産。中古の家は男が集めたガラクタだらけの状態で妻に名義を移し、マンションは処分した。しかしその後も愛人との逢瀬は続けながら、妻の金を頼りに朝から晩まで酒漬けの日々。酔って突然怒鳴り出すこともあった。
その状況を見かねた子どもに泣かされるほどに説教され、男はついに妻への依存をやめて愛人の元で暮らすこととなった。

まったく、救いようのないほどの「ろくでなし」である。鼻に入れた豆を飛ばしてやりたいくらいに。

こんな男が実際にいたのかと思うとゾッとするし、どんな教育を受けてきたらこのような仕上がりになるのかと首を傾げる話だが、この男は実在したし、二年前に死んだ私の父だ。そして彼は厳格な両親の元で不自由なく育ち、県内ではそこそこ名の知れた大学を卒業していた。

では、何が彼をここまで救いようのない人間にしてしまったのか。

私は今まで、それはたくさんの人と出会ってきて、その中にはもちろん何人もの「救いようのない人」がいた。そもそも、私だって「救いようのない人間」のひとりに他ならない。誰も彼もが「救いようのない何か」を抱えて生きている世の中である。
それでも道徳的に生きようと努力する人が多い中で、父のように道を外れて生きる人間もいる。


しかし彼は「悪人」ではなかった。
人一倍、繊細な男だったのだ。

彼の元妻、つまり私の母はよく言っていた。
「お父さんはね、小さい頃に両親にとても厳しく育てられたからずっと怯えて暮らしてたんだって」

確かに父方の祖父母は厳しい性格だと思う。冷淡な訳ではないが、子どもや孫を甘やかすタイプではない。そんな両親の元に生まれた繊細な父はさぞかし辛い思いをしたのだろう。とはいえ、しっかりと衣食住を与えられ大学まで進学できたのだ。恵まれてはいる。
父親に愛人がいて両親が不仲でそれなのに無理やり家族を続けている家に育つよりはマシじゃないかと言ってやりたかったが、辛さの種類が違うので比べるものでもあるまい。

そして彼は、酒飲みだった。
仕事のストレスやあれこれで、父には浴びるように酒を飲む習慣があった。大量の飲酒は判断力をなくさせ、身体も精神も蝕む。加えてヘビースモーカーで1日に何箱も吸っていたのだから、いつも何か依存するものがないとダメな男だったのだということが分かる。

そして、彼をダメにしてしまったもうひとつの原因は……これは悲しいことではあるが……妻、即ち私の母の存在だと思う。

ここで大事なことを伝えておくと、私は父のことも母のことも好きである。
しょうもない家庭環境に育った割には、私は心から両親に愛を感じているし、二人の不器用な生き方を愛しく思うし、彼らの不器用な愛も器用に受け取ってきた。

しかし、ここでは敢えて、父をあのような状態にした一因は母にあるという私の考えを告白させてほしい。

母は忍耐強く情の深い女性だ。そんな母はダメな男代表のような父を完全に見限ることが出来なかった。そしてやはり、一度は心から愛した男である。いつかは気持ちが戻ってくるかもしれないと信じていた部分もあるのだろう。自分を犠牲にしてしまいがちな母は、ダメな夫の為にありとあらゆるものを犠牲にしてしまったのだ。
母が耐えれば耐えるほどに父の好き勝手な振る舞いは増長され、反省する機会も与えられず、天下一品のろくでなしが出来上がったのである。


ここで、原因のひとつに「父の愛人」を上げないのはなぜかもお話しておこう。大抵の人は思うはずだ。不倫相手の女も悪いじゃないか、と。

父の命がまもなく尽きようというとき、父の弟、すなわち私たち兄妹の叔父から連絡があった。その一年前にも、父が末期癌であることを知らせてくれていた。私たちは十年近く父と会っていない状態だったが、最後の手続きなどは我々でないと出来ないということで、話し合いの為に叔父と、そして父の愛人と会ったのだ。

私たち兄妹をみとめた瞬間、彼女は深く、深く頭を下げて泣いた。そして、何度も何度も謝った。彼女は父が仕事を辞めたあとも、病気が発覚したあとも、父を捨てることなく働きながら世話をし続けてくれたのだ。そして金銭管理が出来ない父の代わりに年金を貯金してくれていた。私たちからしたらむしろ感謝したいくらいだったが、彼女は何度も深く頭を下げて「私のせいで辛い思いをさせてしまってすみませんでした」と謝ったのだ。
何十年もの時、彼女はずっとこの罪の意識に苛まれて暮らしていたのだろう。大切な女性にこんな思いをさせて、父は本当に罪作りな男だなと私は思った。彼女に対しての怒りや責める気持ちは1ミリも浮かばなかった。

考えてみれば、彼女には子どもはいない。入籍もしていなかったから、父と一緒の墓に入ることも出来ない。
私が小学校に入学した頃からの関係だと聞いたから、女性として一番輝いていたであろう時からずっと、父と一緒に過ごす時間だけを支えに生きてきたのだ。
母と同じように、この女性もたくさんのものを犠牲にしてきたのだろう。
見るからに優しく儚げなその女性は、臆病で繊細な父にとって、自分を男らしく頼れる人間だと感じさせてくれる唯一の存在だったのではないかと思う。

ここでも父は、依存していたのだ。
自分の幸せにだけ一途に生きた救いようのない男。

しかし、そうやって生きることしか出来なかった父を、それでも私は憎むことが出来ないのだから、やっぱり私も救いようがない。


家庭環境の影響なのかは分からないが、私はずいぶん小さい頃から周囲の人間を観察してしまう癖があり、たくましい想像力を駆使してその人の人間性の出来上がる過程に思いを馳せてしまうことがあった。


今後もこのエッセイでは、そんな私が長く人間観察をしてきた中で出会った「救いようのないもの」を、細々と残していこうと思う。
まだまだ話し切れていない父のこと、仕事や生活の中で出会った人々のこと、そして私自身のことも。

救いようがないけれど、愛しい人々の物語。

きっと、あなたの近くにもいる誰かの話。
もしかしたらそれは、あなた自身の物語でもあるかもしれない。

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