見出し画像

「生簀の中の魚だった頃」救いようのない人間の定義 vol.2

「小さい頃の遊びを覚えていますか?」

今日はそんな質問から始めるとしよう。

私はボンヤリした子どもだったので、幼い頃の記憶があまりない。しかし、それでも覚えている遊びがいくつかある。

近所の新築の家の周りに敷き詰められた丸い石を拾って集める「恐竜の卵発掘ごっこ」
傘やレジャーシートやダンボールを持ち寄って原っぱに基地を作る「秘密基地ごっこ」

そして、兄とその友だちの間で一時流行っていた「冒険ごっこ」だ。

まずは冒険ごっこの詳細を記そう。我が家のキッチンにあったテーブルセットの椅子を組み合わせて足場を作り、それを船に見立てる。兄とその友だち数人が船の乗組員となり冒険に出かける。そんな単純で少年らしい無邪気な遊びだ。

しかし、彼ら……特に兄には別の任務があった。幼い私の面倒を見る、という任務だ。我が家は共働きで両親共に夜にならないと帰ってこなかった為、その間は兄が家と私の安全を守らなければならなかった。
放っておけば平気で鼻くそをほじって咥えるような年ごろの妹を放置する訳にはいかない。しかし、友だちとも遊びたい。当たり前だ。当時兄はまだ小学校3〜4年生である。責任感の強い兄は友だちと相談した上で、素晴らしい解決策を生み出した。

彼らは船に生簀(いけす)を作って妹を入れておくことにしたのだ。ペットの魚役として。

かくして私は物言わぬ小魚となり、椅子と椅子の間に作られた小さなスペースに収まった。私は特に退屈することもなく、ボンヤリとその生簀の中で過ごしていた。ボンヤリするのが得意な私にはもってこいの役柄だった。おとなしくそこに収まっていると、船員である兄や友人の誰かが丸いチョコレート菓子を数粒くれた。エサである。魚はありがたく食べた。
船員はしばらく船の上で過ごし、新しい島を見つけると船を降りて冒険に出た。もちろん魚は生簀から出ない。誰もいない船の中でやっぱりボンヤリと過ごした。
時々、私の幼馴染みの男の子が遊びに来ると、その男の子も生簀に入れられ魚になった。エサは2匹で分け合った。

この遊びは暫く流行していたが、兄たちの遊びに入れてもらっているという感覚が嬉しかったのだろう。私はこの冒険ごっこが始まると嬉々として魚になった。そして徹底して魚を演じ切った。年齢を考えるとすぐに退屈して騒いでも良さそうなものだが、私は黙って生簀の中にいた。紅天女に選ばれてもいいくらいの名演技だったのではないかと思う。

私はあの、狭くて安全な生簀に何とも言えない居心地の良さを感じていたのだ。


1年以上前の話になるが、私はトータルで15年ほど勤めた会社を退職した。大好きな場所で大好きな仕事だった。大好きな仲間たちと過ごす日々に別れを告げるのは本当に寂しかった。辞めたら後悔するかもしれない、戻りたいと思うかもしれない。何度もそう思った。

ところが、外に出てみたら思いのほか快適な日々が待っていたのだ。新しい出会いや学びに胸が踊ったし、新しい仕事も好きになった。新しい生活リズムも体に合っていた。
前職のことを恋しく思う時はもちろんあるが、戻りたいとは思わなかった。あの場所は幸せだったが、外の世界もちゃんと幸せだったのだ。

生簀の魚の時は見えなかった世界である。

学校でも仕事でも、恋愛や結婚生活でさえも「もしかしたらここを卒業するタイミングかもしれない」と感じる事があるだろう。どんなに思い入れがあっても「自分には合わなくなった気がする」「なんだか息苦しい」と感じたら、それはタイミングが来たということだ。離れる時は寂しくなったり心苦しくなっても、新しい世界も案外悪いものではないとすぐに気がつくはずだ。

生簀にいることが悪いわけではないが、せっかくの一度きりの人生。勇気を出してみることで、今まで知らなかった別の世界に出会える。魚だって冒険に出ても良いのだ。

兄と仲間たちの愉快な冒険ごっこは、彼らの成長と共に回数が減っていき、やがて忘れられていった。
魚も旅立ち、テレビゲームをする兄たちの横でおとなしくお絵描きをするようになった。鼻くそはほじらなくなったし、お絵描きも楽しかった。生簀の外で新しい生きがいを見つけたのだ。

慣れた場所からの卒業は勇気がいるし、もちろん必ずしもうまくいく訳ではない。それでも世界が広がることは間違いないのである。

この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?