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暴力と結束のバイブレーション

210422-45*教育現場での暴力、いわゆる体罰は当時から既に禁則事項ではあったものの、教師が生徒に手を挙げる事はまだまだ珍しいことではなかった。当時通っていた高校でも教師による体罰は定期的に問題視され、保護者に対して該当教師が謝罪会を開くというイベントは恒例だった。該当教師は常習犯で反省しては再犯し、また保護者会にて謝罪するの繰り返しだった。生徒もそこまで馬鹿ではないのでその教師に怒られないよう立ち回りに気をつけるも、毎週月曜に行われる風紀チェックで根掘り葉掘り指摘され最悪の場合、鉄拳という始末だった。風紀委員と学年主任を兼任していた当教師は学年の教師らも従わせちょっとした恐怖国家を形成するようなタチの悪いものだった。

一方で思わぬ効果もあった。記憶にある限り生徒の間で深刻ないじめは発生しなかったように感じる。たまたま仲が良かったと片付けるのもいいが、独裁者のような教師に対する結束力が生んだものだったのではないかと思う。眉毛に髪の毛が掛かっていて注意された、きちんと宿題はやってきたか、今日はあいつ機嫌が悪い。そういう情報を生徒同士で共有し合い、仲間意識より強い結束力を生徒たちが持っていたようだ。

ある日、授業中に携帯のバイブレーションが響いた。気づいて慌てて音を消した生徒も手遅れ、先生が近づいて来た。「今回は見逃してやる」。その先生もあの教師の教育方針に疑問に思っている一人だったらしい。もしこの時、携帯を取り上げ風紀委員を務めるあの教師に差し出したら鉄拳制裁の餌食だっただろう。そのことは先生も分かっていたのだろう。あれから時間が経ち、生徒間のトラブルによるいじめ問題で保護者会が開かれる学校があるなか、教師の体罰による保護者会が開かれる校風は今も維持されているのだろうか。既に革命が起こり母校に春が来ていることを願いたい。

絹掛

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