ムダな会議はなくすべきなのか?

最近よくいろいろなところで「ムダな会議をなくして時間の節約をしよう」という話を耳にします。それを聞くたびに私は疑問に思ってしまうのです。今回は私の会議についての考えを書いてみたいと思います。

システム会社でプロジェクトリーダーをやっていると、いろいろな会議があり、定時内はほぼ会議で埋まります。下記にざっと定例の打合せを書いただけでもそれなりの数はありますね。

チーム内:進捗確認のための朝会や夕会、成果物のレビュー会
外部委託先:進捗確認会、成果物の検収会
プロジェクト全体:進捗報告会、各種課題確認会
対他システム:仕様確認や調整のための打合せ
ユーザー:要件確認や成果物のレビュー会
印刷会社などの関係社:接続テストの調整など

大規模プロジェクトの場合、関係者が多くなるので必然的に会議の数が増えます。定例以外の会議が重なった場合にどうしようもなく定例の会議をキャンセルさせてもらうこともあります。ですが、私はこれらの会議は必要であると考えています。

例えばチーム内の会議。これらは私がチームメンバの状況を確認するとともにメンバが私に困ったことを相談できる場でもあります。なかなか会議が多くてつかまらない私に聞きたいことを各人が用意して待ち構えている場でもあります。私の方に確認したいことが特にない場合にも彼らの方にある場合もあります。双方にない日は特にないよねということを確認して早々に終了させればよいと思っています。

会議というのはそこに参加するメンバーそれぞれが必要な情報を入手する場です。参加するメンバーそれぞれが異なる立場であり、それぞれにメリットは異なります。ムダな会議と言っているのは、ひょっとしてその人にとって特に情報を得ることがないからムダと言っているのではないかと思うのです。自分にとって情報を得ることがなくても、相手が自分から情報を得ようとしているのならそれは必要な会議です。

とはいえ、都合がつかなかったり時間の制約上会議に優先順位をつける必要は発生します。私にとっての優先順位は「自分にとって有益かどうか」ではなく「自分でなければその会議の趣旨が達成できないかどうか」です。会議で話させる内容が、チーム内で私しか知らないあるいは私が最も深く知っている場合は私の出席が必要です。プロジェクト全体への周知のための会議など特に自分が出る必要がない場合は、他のメンバーに出席してもらい、チーム内に後で展開してもらいます。

そのため、私にとって「自分が出なければいけないが、ムダな会議」というのは基本的には存在しないのです。会議内で脱線してたまにムダな話をしている場合はありますが。。(そういう場合は会議の動向を横目で見ながら自分の作業をします。)

とはいえ、「それほど重要な打ち合わせではないが立場上自分が出席しなければいけない会議」というものは存在します。それは大抵外部との会議になります。そういう場を私は若手育成の場として利用しています。

私は他部門やユーザーとの打ち合わせには積極的に若手を連れていきます。そして必ずその子に議事録を取ってもらいます。提出する必要がある場合はもちろんですが、提出する必要のない場合も私はチーム内で議事録を残しています。過去の経緯がすぐわかること、そして若手の育成のためです。議事録を書いてもらえば、その子が何をどこまで理解できたのかがよく分かります。それを添削して補足説明することが当人の理解につながります。また議事録を書かなければならないと思うことで、会議の内容を必死で聞いて理解しようとするようにもなりますね。

ということから私には「ムダな会議をなくして時間の節約をしよう」という掛け声はなかなかしっくりこないのです。他の業種や他の会社のみなさんはそんなにムダな会議をされているんですかね?

会議というのは人と人との集まる場です。その集まりがムダだと断定できるということは、そのコミュニティに問題があるということだと思います。簡単な例でいうと、恋人。いっしょにいてもムダとしか思えないような恋人とは関係が破綻しています。会議をなくすという方法ではなく、相手との関係性や進め方をもう少し見直した方がよいのではないでしょうか。少なくとも私はビジネスはコミュニケーションだと思っており、いくら定期的にコミュニケーションをとったとしても認識相違や連携不足は起きてしまい、いくら会議をしてもし過ぎという状態になったことはありません。ただし、すべてを対面でコミュニケーションをすべきかという話はありますが、それについては別で書きたいと思います。

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