見出し画像

子供達の競走の是非

こんにちは。吉田です(´・ω・`)
今回は競走についてお話ししたいと思います。

競争というと、運動会のかけっこが印象的ですね。運動会の時期が近づくと誰が速い、誰が遅いということは私の小学生時代では当然の話題であり、私自身はそこまで足が速くなかったので憂鬱だったのを覚えています(´・ω・`)

赤組勝て!白組勝て!という応援合戦や、それぞれの得点を競い合い、○組が優勝です!という放送アナウンスが運動場に響いていた記憶が20年前ですが、かろうじてあります。

しかし、私が学校を卒業してしばらくすると競走をやめて仲良くゴールというニュースを見た記憶があります。当時はそこまで深刻に捉えてなかったのですが、実際に私が小学校で働き始め、初めての運動会に参加した時、衝撃を受けてしまいました。

赤組、白組といったような色分けが無くなっており、もはや子供たちの体育の授業の参観日&ダンスの発表会となっていました。そこには競走の影はもはやなかったように思います。

他の学校ではどうなのだろうと調べてみると

東京都の一部の公立小学校でもでも同じような動きがありました。そして私のコメントと似たようなコメントもありました。

なぜこのようなことになっているのか、地元広島の2021年の記事がありました。

保護者から 「なぜ順位をつけるのか」「本人や親は順位を分かっている。それなのにわざわざ付けるのは、みんなに知らしめるだけ。速い子はいいけど…。理解できない部分もある」という意見があったそうな。

つまり、足の遅い子がビリだと学校の仲間に向けて知らしめるスタイルが 可哀想 なのだということなのだろう。

しかし、その子の幸せを願うのであればそれを可哀想だと思うことは間違っていると私は思う。

なぜなら、小学校、中学校を卒業すると高校受験、大学受験、就職試験、出世競走と、人生を辿る上で競争は避けて通れないからである。いや、高校受験に内申点が必要になってくると中学校から、中学受験を、小学校受験をする子になると、よりもっと早くから競争しなければならないからである。

と、私は思うのです。競争に縁のない小学校、中学校時代を過ごした子供たちは受験という壁がとても大きく映るかも知れません。

また、私は学校で行うテストについても競争意識を持たせるべきであると考えます。平均点が何点、クラス最高得点、最低得点、なんならテストの順位表を出しても良いかも知れない。しかし今これをやれば、運動会の理論で行くと間違いなく批判殺到するだろう。

仲良くゴールする一方で、自分の実力が今どの立ち位置にいるか不明、これで子供たちは自分を振り返り改善しようと自ずから動くだろうか?『うわぁーやべえ、クラスでビリじゃん、このままだったらやばい』という危機感は生まれるだろうか。

競争をなくすことは子供達にとってとても残酷なことをしていると感じています。

順位を公表されるのが可哀想なのか、
将来の競争に対応できず落ちぶれていくのが可哀想なのか。
保護者、先生含めよく考えていただきたいものです(´・ω・`)

自分の学校はこうだった!とか自分の息子の運動会こうなっているよ等ご意見お待ちしてます。(´・ω・`)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?