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自己否定感が強かった人が変化した、「それで良い」という言葉の効能

自己否定感の強い人がいます。

何かがあるとどうしても自分を攻めてしまいがちになりますよね。

また、そこまで自分を落とす必要がないのに落としてしまうことってありませんか?

僕もその一人なので、無意識にやってしまう行為の一つです。

もう浸透しすぎてクセのようになってしまっているのかも知れません。

そんな僕が少しずつ自己否定感を緩めることが出来ています。

なぜか?

それは「それで良い」という言葉に助けられているからです。
そう言ってもらえる人に出会えているからです。

今回は日頃助けてもらえている人に感謝の気持ちをこめて、
自分の変化「それでよい」という言葉の効能について書いてみたいと思います。

こんにちは、きんとです。
はり・きゅう整体師をしております。

いつもTwitterでは体や心のことを呟いたり、自分の体験から感じたことを呟いております。

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興味がある方は覗いてみて下さい。

自己否定に埋もれてしまった自分

僕はいつからか自己否定に埋もれてしまっていました。

心当たりがある事柄を思い出そうとすればいくつか出て来ますが、どの時から自己否定が強くなったかと聞かれれば答えられないほど、当たり前になっていたようです。

何かをやってできなければ
「なんて自分はダメな奴なんだ」
「自分は〇〇だからできないんだ」

と否定したり、自分を落とすような表現をするようになっていました。

前向きに考えることは出来るのですが、やってみては出来なくて、
出来なくなっては自分を責めることのループにハマっていたと思います。

そんなループにハマった結果、僕の心の中ではまるで花開こうとする蕾が凍らされてを封じ込められた状態のように感じていました。

凍らされた蕾を持った僕はそこから人と距離を置くようになったり、
自分のことを表現することが少しずつ出来なくなっていったように思います。

もしかすると、どこかで溶けかかった時があるのかもしれません。
感じてはいたけど、今よりも気に留める事をしなかったのかも知れません。

相変わらずそこにいたのは、褒められると素直に嬉しがることが出来ない
自分がいたし、素直にありがとうと言うことが出来ない自分がいたのは確かです。

そう過ごしてきた僕が最近「それでよい」に出会い始めたのです。

出会った時の感情や気持ちを次に綴ろうと思います。

出会った「それでよい」は不安がたくさん

最初に「それでよい」に出会った正直な気持ちを書こうと思います。

受け入れ切れるものではなかったと感じています。

今まで何かあることに自分を攻めて過ごしていた人にとって「それでよい」という言葉は困難が多すぎるのです。

更に性格上、頑固な自分もいたので余計受け入れられなかったのでしょう。

なぜか?

そんな自分で良いはずがないという思いを心に刻みつけて、刻みつけながら心を凍らせてきた人からしたら、そう易々と溶かすことが出来ないからです。

また自分を受け入れることの恐怖と自分を受け入れなければならないという責任感に呑み込まれる感覚から襲われる感じがしていたのです。

本当はそんなに怖いことでもないし、責任感なんてないはずなのに、必要以上に感じていたのは抑圧していた部分があったからでしょう。

しかし、否定感が強いかったり自分を攻めることが多い人はフィルターがかかった状態になります。

簡単な答えも複雑化して見えなくなってしまうのです。

その時に感じたことをここにそのままの言葉で残しておくと

「それで良いってなんだよ!そのままで良いわけないだろ!」
「それでよいってどういうことなんだ!?」
「こんな僕でよいなんてありえないだろ」

こんな事を思っていたと思います。

多分、ある時はその場では「それでよい」と言われて納得したが、後になり我に返るとまたその考えに戻され、

あの時は納得したけど、やっぱり納得出来ていないし「これでよいわけないんだ」と考えていました。

それだけ体や脳に染み付いたクセはそう簡単に抜けないし、凍った心も中々溶けないのです。

体の専門知識を持っている人の考え方からすると、何年も何十年もそうしてきた人は、1つ1つの細胞レベルで記憶されてクセになっていた可能性があるのかも知れません。

自分にそういう言葉をどれだけ浴びせ続けてきたかがわかります。

「それでよい」「そう感じたならそれで良い」が凍った心の蕾を溶かす

最初は怖かった僕も、何度も言われてくると面白いもので変化してくるものです。

言葉が悪いですが、麻痺してくるのでしょうか?笑

きっと「それでよい」を自分にダウンロードしようとするのでしょうね。

こう書いている僕も簡単にダウンロードできたわけではないんです。

「それでよいんですよ」
「そう感じたならそれでよいんですよ」
「人なんて気にせず、そのままでよいんですよ」

この言葉を今でも何度も言われています。

僕の感覚的には答え合わせをしているような感覚に近い気もしますが、明らかな変化が起こっています。

「それでよいはずがない!」から「それでよいのかな?」に変わってきているのは今でも感じている感覚です。

それは何年も刻みつけて凍らしてきた心の蕾を少しずつ少しずつ溶かされていくように感じています。

心の花はまだ花開いていないけど…

まだまだ僕の花が開くまでには時間はかかると思います。

そしてこれからもたくさんの「それでよい」を受け取っていくのかも知れません。

僕が受け取って変わってきているからこそ、伝えたいのは

「あなたもそれで良い」

ということ。

僕は「それで良い」の言葉の効能を知り始めています。

受け入れてくれること、寄り添ってくれることというのは僕の心に効能があります。

・自由になれる
・自信が持てる
・余裕ができる
・行きやすくなる
・シンプルに考えられる

etc…

そしてまだ感じられていない効能はたくさんあると思います。

きっと、夢を掴むことや誰かを信じることにも繋がるだろうし、その人の生活や人生を変化させる可能性もあります。

「それで良い」の可能性は無限大なのです。

「思えば叶う」という言葉もあります。

その言葉を借りるとするなら
「それで良いで叶う」のかも知れません。

「それで良い」「そう感じたならそれで良い」の効能を感じたからこそ、自分自身からも「それで良い」が言えるようなっています。

僕自身も認めていけるように受け入れていきたいと思っています。

最後に

このnoteを書くにあたって様々な方に出会い、様々な方に「それで良い」と言っていただいたと思います。

特にstand.fmで出会った方々には感謝しても感謝しきれないくらいお世話になり、今も尚、受け取らせていただいています。

本当にありがとうございます。

まだまだ全てを受け入れきれていない僕がいますが、ここまで自分を認めてこれているのは、関わらさせていただいた人たちのおかげだと思っております。

ありがとうございます。
これからよろしくお願い致します。


追伸…

皆さんがこれを読んで何かを感じて
唯一、寄り添ってくれる人を見つけたら、
全てを受け入れる、この記事のコメントに
記入してみてください

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