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15年間悩んだ『自分を大事にする』ということ

21歳の時に当時働いていた治療院があった。
そこで言われ続けていたことが
『お前なぁ、自分を大事にせぇ』だった。

僕にとって自分を大事にすると言う事がどう言う事なのか全くわからなかったし、全くピンともきていなかった。

『自分を大事にするって何なんだ?』
『自分を大事にするってどう言う事なんだ?』

こんな感じで思ってはいたが、当時の僕はこの時はまだ深くは考えていなかった。

そして今、僕は36歳。
15年経ってようやく『自分を大事にする』という事が少しずつわかり始めてきた。

もしかすると僕が考えていることは間違えているのかも知れない!わからない!!
けど、こうなんじゃないかという事を書いてみたくなった。
読んでみてそういう事じゃないと思ったそこのあなた!!

教えてくださいwww

15年悩んでnoteに書いて違っていたらもうダメ男ですw
もう知っている人に聞くしかありません。
だから教えてください

でもそれはこの記事を最後まで読んでからにしてくださいね。
この『きんと』って人は何を考えていたんだろうかと一旦知ってあげてください。よろしくお願いします。

行き着いた、『自分と向き合う』という事

結論をいってしまうと『自分と向き合う』ことかなと考えた。

今自分は何を思っているのか?どうしてやりたいと思ったのか?
そしてどうなりたいのか?

これを考えなさいと言うことなのかなと思った。

確かにちゃんと自分に向き合って考えたことって今の今まで(あったかも知れないが)こんなに深くは考えてこなかったかもしれない。
どちらかというと成り行き任せの他人任せて過ごしてきた自分が結構割合を占めていたと思う。

どんな自分になりたいのか?
それにはどうしていけば良いのか?
何が必要なのか?

しっかりした分析や自分を知ろうと意識したのは本当に最近の事だと思う。

どうしてここに気づいたのかを話したいと思う。

コーチングを『受ける』『習う』からの自己変化

コーチングに出会って受けたり、習ったりする中で自分のことについて聞かれる事がある。意外とすんなり答えられる答えもあれば、めちゃくちゃ悩む質問もあるし、答えが出て来ない質問もある。

ただそんな中でゆっくり自分の心の奥底の方から湧き上がってくる思いが出て来る感覚はコーチングに出会っていなかったら体験できない事だったかも知れない。後で、自分ってそんなことを思っていたんだと思うことは少なくなかった。

最初は簡単に自分がそう思っているなんて認められなかった。自分から出てきたことなのに、自分のことじゃないような感じだった。もちろん認めたり、受け入れたりすることが怖くて何度も拒否している時もあった。

『自分はそんなんじゃない!』
そんな否定感情や納得できない時期が結構あった。

ただ一つ、その時期の大きな変化としては
『なぜあんなことを言ったのだろう?思ったのだろう?』と思うようになっていた。自分の内から出てきた言葉だという事実が僕にはメチャクチャ引っかかっていたからだ。

大きな変化と言ったのはコーチングを受けてその時で考えることが終わりではなかったからだ。

コーチングを受けている間だけならそうは思わない。しかし、コーチングが終わってからもずっと考え続けている自分がいたのを覚えている。
それだけ僕にとってはその問いかけがフックになっていたということだと思う。

どうしてそんなにフックになっていたのかは何となく心当たりがある。

帰宅中の車の中は独り言の時間

僕は車での通勤時間や職場からの帰宅時間がある。その中で独り言を言う事が多かった。その中でも帰宅中の車は周りも暗いし独り言を言っても気付かれないということで、ブツブツ独り言を言う事が多かった。

元々考えたりする事も多かったし、言いたいことは口にするようにしていたのかも知れないけど、毎回自己完結だった。

考えたい時に考えて、そこまで深く分析したりはぜず、ただ思った時の吐口にしていたに過ぎない。
ただ色んなことに感じたりはしていたからこそ、そういう事をしていたんだろう。

そんな自分にはコーチングで質問される質問の内容がメチャクチャ深く、ただ思っっていたことについて『どうしてそう思ったのか?』という問い掛けをされるのだから、そんなことを考えた事がない僕からしたら戸惑いでしかなかった。

『どうして思考』からの受け入れ

何度も『どうして?』『何があったら?』そんな質問を受けたり、自分の中でしたりしていると、だんだん受け入れないことへの罪悪感が生まれてくる(もしかしてこれは僕だけかも知れない)。

何度も何度も『こう思ったから』に否定している自分に対してだんだん嫌になって来る。そして気持ち悪くもなる。

なぜか?

前にも言ったが『自分の内から出て来る事実』がそうさせる

どんなに否定しても、拒否しても、出てきた答えは自分の内から出て来ている答えだということがとても大きい。

そうなると面白いものでこんな考えになってくる。
「自分に嘘をついているのではないか?」
だんだん否定、拒否している自分の方が信じられなくなってきていた。

そうなるともうやることは一つ。
自分を認めるしかないし、受け入れるしかない。

僕は『どうして思考』に負けてしまったみたいだw

『どうして思考』に敗北したからこそ気付けた自分

こうやって『どうして思考』に負けた僕は受け入れたり、認めざるをおえなくなった訳だが、負けて良かったと思う。

それは素直な自分に出会えているから。

今でもそうだけど、内から湧いてくる考えや思いはきっと素直な自分なんだろうなと思う。

『どうしてそう思う?』
『こう思うから』『だからこう考えていたんだろう』

『何があったら良いと思う?』
『こういうものを必要としているのかも』

そんな素直な意見が出て来る自分を振り返ったりすると今でもビックリする。
「こんなこと言っていたんだな」って

でも本音で話している自分がいるし、ちゃんと自分に向き合って出てきている言葉だから、そこをちゃんと認めてあげないと自分が可哀想だし、少しずつでも良いから自分に答えてあげようと思うようになった。

もちろん一人で考えて出てきた答えについても同様に考えているし、最近はなるべく書くようにしている。自分の考えが可視化出来るということがすごく貴重に思える。

『自分を大事にする』とは向き合って認め、進むこと

最初に向き合うことと書いた。
向き合う事も自分を大事にすることだけど、向き合って何もしないのはちょっと違う。考えて終わりでは大事にしていない。

向き合ったその自分が求めていることに対して動いていく事、
これが自分を大事にする事なのかなと思う。

「こうなりたい」「こうありたい」が叶う。
また叶わなかったとしても、「こうしたい」に答えた自分には少なくても大事にしているんだと思う。

それにはまず自分と向き合う事が最初の1歩になる。

僕はこれからも自分と向き合っていく。
どうしてそう思ったのか。何を感じたのか?

そこを知ることでより自分を理解し、自分という人間を全うしたい。

これが僕が15年悩み辿り着いた答えだが、今はこう考えているが5年後、10年後はまた変わっているかも知れない。

まだまだ僕も自分のことを知る旅の途中。
ようやく知ったスタートラインなんだと思う。

引き続き自分を知る旅を歩いていこうと思う。


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