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青年たちは今いずこ

梅雨が明けておらずひどく蒸し暑い7月9日、私のX(旧Twitter)のタイムラインは騒がしかった。

私の好きな、既に解散したバンドである「ミッシェル・ガン・エレファント」という4人組。
そのバンドのデビュー前、インディーズ期、新ギタリストである鬼才・アベフトシさんの加入を発表したのが1994年7月9日なのだそう。
以前いたギタリストが脱退し、残った3人で不安定な時期を過ごしたバンドが、ついにピタリとはまるギタリストと出会えたこと。ボーカルのチバさんはあまりに自分たち好みの、しかもスゴ腕ギタリストが来てくれた事が嬉しすぎたのか、スタジオセッションの翌日には今は閉店したライブハウス「屋根裏」へ行き「早くライブやらせろ」と、ブッキングを無理やりねじ込み、数週間後に行われたライブが7月9日。だったらしい。

フォロー先の人達がたくさんそれをつぶやいていたことで気がついた私は、朝からずっとその事ばかり考えてソワソワしていた。

(そうか、30年前の今日、アベ期・ミッシェルが始まったのか)
(あの頃の4人ってどんな所でライブしてたのかなぁ)

そんな風に考え始めたら居ても立っても居られなくなり、ある人にメッセージを送った。

『アベさんのお披露目、30年前の今日だそうですよ』

すると、その人からこんな返信が届く。

『30年前はこんなに暑くなかったんですよね笑』


私がメッセージを送った相手は、30年前の7月9日、ギタリスト不在であったミッシェルがついに新ギタリストを迎えたという「下北沢・屋根裏」でのお披露目ライブを見たという人だ。

2021年秋、たまたま見つけたYouTubeの動画でミッシェルと正面衝突してしまい、ミッシェルが活動していた時には全く間に合わなかった「にわかファン」の私からすると、そのライブを見たなんて「歴史の生き証人」「伝説の生き残り」みたいな存在である。

その「生き証人」に当日のライブはどうだったかと問うと、こんな風に答えてくれた。

『アベさんを見てシンプルに、でかい人だな~と思いましたが、ライブを見て興奮しました。すごい人がきた!ついにミッシェルが完成した!と』
『あんなギターを弾く人を見たことがなかった。弾かない姿すら格好いいと感じました』

……はぁ。私もアベさんの鮮烈なミッシェル・デビューを見たかった。今すぐ1994年に飛んでいきたい。タイムマシンをおくれよドラえも~ん!


そんな叶わぬ願いを、信じられないほど暑い梅雨空に向かって嘆いていたら、ふと気がついてしまった。

(1994年には戻れなくても、屋根裏を見ることはできるよね?)

そう、当時ミッシェルが使っていた下北沢にある屋根裏というライブハウスは既に看板を下ろしているが、同じ場所で現在もライブハウス&バーとして営業している店がある。店名は「ろくでもない夜」。
旧、屋根裏のスタッフが中心となり、屋根裏を引き継ぐ形で営業が行われているらしい。
「らしい」というのは、私はまだこの店に行った事が無いから。

(そうだ!「ろくでもない夜」を見に行こ!)
(いつ行くの!今でしょ!!今日行かなきゃ意味がないでしょ!)

思い立ったら即、行動!こういう時、直情型の性格は都合が良い。

7月の薄暮の頃。外はまだ薄明るい。一度帰宅していたため多少の億劫さはあったが、とにかく7月9日に行かなきゃ意味が無い。だって30年前の今日、あの4人がそこにいたのだから。
そう思ったら居ても立っても居られなくなり、急いで家を出る。

平日18時半の下北沢は大変な活気だ。混雑する駅前を離れ、約3分。
京王・井の頭線の高架下と、あずま通り商店街がぶつかる辺りにある本多劇場。その向かい側、白いタイル張りの外観が昭和というほど古過ぎてはおらず、どちらかと言えば平成っぽい雑居ビル。
1階には中華料理屋、常に人が出入りし繁盛しているようだ。見上げると、2階はラウンジと思われる店の看板があるが電気がついておらず暗い。旧屋根裏は3階だったと聞いたが、更に見上げた3階は電気がついているのかよく分からない。

ビルの外、道路に面した壁をちらりと確認するとテナントの看板が出ている。

『ろくでもない夜』

横長の黒無地に、手書き風の堂々とした書体の白文字が躍っている。
テナント看板の前には、今夜のライブ情報が書かれた手描きの看板も置かれていた。ここで間違いない。

道路に面したところから一歩ビルの敷地に入ると、1階の中華料理屋の手前、左側に細い階段がある。雑居ビルらしく、看板や畳まれた段ボールなどが置かれている階段を上ると、2階から上は急に薄暗くなった。壁には所狭しとバンドのポスターが貼られた雰囲気が「正しいライブハウス」のにおいを漂わせている。

3階まであがると、右手には少し背の低いクリーム色の扉と、それを囲うようにこげ茶色の木枠がついた入口。その扉には、黒い文字で「ろくでもない夜」。
ドアノブは音楽室によくあるような、防音室用の太くて丈夫なタイプがついているが、ドア越しにも楽しげな空気が伝わってくる。店は盛り上がっているのだろう。

屋根裏へ行った事がある人たちに話を聞くと、屋根裏は舞台袖も楽屋口ない店で、100人も入れば動く余地も無いような小さなライブハウスだったという。その店の入り口で、30年前の夜を想像してみる。

あの4人がスーツを着て、一緒にこの扉をくぐったのかと。この低い扉では、背が高いアベさんとウエノさんは体をかがめて店に入ったかもしれない。
ライブは大変に盛り上がったそうなので、帰りは4人とも良い気分でこの細い階段をおりただろう。3人きりで不安定だったギタリスト不在期を乗り越えた安心感と、ライブをやり終えた高揚感で、チバさん、クハラさん、ウエノさんの3人は嬉しさを爆発させたかもしれない。打ち上げはさぞ楽しかったことだろう。
ミッシェルがメジャーデビューするのはこの1年半後だから、この時はバンドの将来なんて4人にはまだ見えていなかったかもしれない。ましてその後、伝説的な人気を得て、日本のロックを代表する存在になるなんて、誰も想像していなかったはずだ。

この先どうなるかなんて分からないインディーズバンド。それでも、とてつもない技術と才能を持ったギタリストが加入し、バンドが新たな一歩を踏み出した30年前の今夜。
20代半ばの青年たちはこの細い階段をのぼり、屋根裏の小さな扉を開けて羽ばたいたかと思うと、私の胸はミッシェルへの恋しさとせつなさと心強さで胸がいっぱいだった。

……涙がこぼれそう。

まずい。雑居ビルの階段の片隅で、ひとり涙を流す女なんて怖い。怖すぎる。

自分の妄想に浸ってはいかんいかん。用事もないのに居座る私は不法侵入なのだから。

見るものを見たらもう満足だった。長居は無用、さぁ帰ろう!
今宵は2000年に行われたブランキー・ジエット・シティの解散公演の配信がある。当時、日本のロック界において、ミッシェルガンエレファントと双璧を成し、日本のロックを背負ったブランキー。
あの男たちの雄姿を見逃す訳にはいかない。
平成というのは、どうしてこうも本物のロックバンドと本物の男たちを生み出す時代だったのだろうか。平成の男たちの魅力に、令和の私は心乱されるばかり。
全く、困ったものである。

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