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梅ケ丘「並木」

東京・梅ヶ丘という所に「洋服の並木」という店がありまして。

東京都世田谷区にある梅ヶ丘駅。小田急線という路線の中でも比較的新宿に近く、各駅停車の電車しか停車しない小さくてかわいい駅なんですよ。その近くにあるオーダースーツの店。それが「洋服の並木」。

そもそもは、普通のスーツを注文できる町の背広屋だったらしいのですけれども、90年代初頭、東京スカパラダイスオーケストラや、ミッシェルガンエレファント等のバンドが爆発的に売れる前の時期、予算が少ないバンドマン達のために「モッズスーツ」と呼ばれる細身でスリムなスーツを良心的な価格で提供し、音楽・芸能界で「知る人ぞ知る」という存在になった店。と聞いています。

この店の存在を初めて私に教えてくれたのは、私がかつてお付き合いをしていた男性でした。
私の記憶では200年程前、むかーしむかし、あるところに……という日本昔話レベルの古い話。
今、封印した昔の記憶フォルダを開放してこれを書いています。

私がかつてお付き合いしていたその人は、身長185センチ、体重62~63キロという、大変にスリムな体型をしており、会社での健康診断の結果は毎回「痩せすぎ」。
食が細く、食事はかけそば一杯で十分、あとはとにかくビールと、好きなウイスキーがあれば満足、というような男性でした。

これをお読みの諸兄姉の中には、ミッシェルガンエレファントのアベフトシさんを想起している方もいらっしゃるかもしれませんがね、当方、この頃はミッシェルに目覚めておりませんでした。
「たら・れば」の話ですが、この人とお付き合いを続けていれば、身長160cmにも満たない私が、アベさんと身長格差デートをする気分を味わえたものを……。などという不遜な考えが浮かんだり……しなくもないです。

H君。アベフトシさんの代理妄想に使ってゴメンやで。


彼の最大の悩みは「簡単に痩せるのに、頑張っても太れない」という、私からみると大変にうらやましい体質。
私達がお付き合いをしていた当時、彼は年に何度か1週間程度の海外出張があったのですが、出張から帰ってくると、毎回必ず、より一層スリムになって帰国するような塩梅。

ある時、彼が出張から帰国するタイミングと私の休日が重なったもので、成田空港まで迎えに行ったことがあったのですがね。成田の到着ロビーで待っていたら、到着口の向こうからガリッガリの「歩く骨」みたいな人が鞄とジャケットを手に出てきたんですよ。
白いワイシャツの上からでも分かる、出国前より明らかに細い上半身。いつもよりゆるそうなウエストのベルト、そして何より、こけた頬。
まるで、筋肉が無いボクサーのような体型になって帰国した彼。

一週間でまた痩せた?海外出張ダイエット頑張っちゃった?

今思い返しても、あまりの「骨っぷり」に思わず二度見したことを私は忘れていないし、それが私の待ち人だと認識できるまで5秒くらいはかかった気がします。
その大変な痩せように、「海外から帰国する彼氏を成田で待つ」なんていうロマンチックな気分は急に吹き飛び、一気にしらけてしまう私がいました。
そんな冷静な私を見て、向こうは不思議そうな顔をしています。

「こういう時さ、『おかえり♡』って駆け寄って抱きついてくれるもんじゃないの?そういうのないの?」

「何のサービスを期待して……。ドラマのワンシーンみたいな事をやって大丈夫?抱きつかれて骨折れても知らないよ?また痩せたでしょ。」

「あ?分かった?今朝、ホテルで量ったら5キロ減、58キロ。ミーティングとプレゼンがきつくてご飯が喉を通らなくて。」

ご飯が喉を通らなくて……。

古い少女漫画に出てくる病弱なヒロインのようなセリフを吐く30歳の社会人(♂)。
あ~あ、私も一度でいいからそんなセリフを言ってみたいもんだわ!

日本語を使えない海外での仕事、英語でのミーティングとプレゼンの連続で嵐のような一週間。仕事とはいえ、そんなプレッシャーにさらされてご飯が食べられなかったという繊細な人。
海外出張も、英語でのプレゼンやミーティングとも縁のない仕事をしている私にはちょっと想像できない話だけれども、その精神的圧迫の強さは少しは理解ができる。可哀想と言えば可哀想だし、それがあなたの仕事でしょ?と突き放してしまえばそこでおしまいだ。
しゃれこうべに皮だけ貼り付けたような”こけた”頬を見上げていると、なんだかちょっと痛ましくなってくる。

付き合っていた私が言うのもおかしな話なのですが、この人は仕事ができる大変優秀な人。普段は弱音などはかずに淡々と働けるし、外国語が大変得意で、特に英語に至ってはほぼ母国語のように使いこなしていた。
そんな人が弱音を吐くなんて……。今回の出張はよほど辛かったのだろうか。成田に着いた安心感でやっとこぼれた嘆きかと思うと、ちょっと気の毒になってしまいました。

「ったくさぁ~、仕方ないなぁ!ほれ!」

私が両手を広げ、精一杯斜め上に腕を伸ばすと、向こうはちょっと驚いた顔で「え⁉いいの?」なんて確認してくる。

「迎えに来た彼女に抱きつかれたいんでしょ?仕方ないから今日だけサービスしてあげるわっ!」

「ふふっ!サービスしてくれるの?ありがとありがと!」

持っていた鞄とジャケットを床に下ろすと、笑いながら185cmの長身をかがめ、私の脇に両腕をまわして持ち上げようとする気配。慌てて向こうの首にしがみつくと、よっこらしょ!という感じで持ち上げられてしまった。
地面から足が離れた感覚が怖くて必死にしがみつくと、あっという間に降ろされてしまう。私が宙に浮いていたのは2秒ほど……。

え?もう終わりかい!つまんないの~!

「あはは!ごめんごめん!抱きあげて回ってみたかったけど、力が出なくてダメだ。機内食も大して食べられなかったから。」

どうやら、映画「アルマゲドン」のラストシーン、ベン・アフレックのように振る舞ってみたかったらしい。
無事地球に帰還したA・J(ベン・アフレック)に婚約者のグレイス(リヴ・タイラー)が駆け寄り、A・Jに抱きついてクルクル回りながら帰還を喜ぶ感動的なシーン。
あれを成田空港でやってみたかったようだ。ロマンチックな男だなぁオイ。

今、あなたの目の前にいる現実のグレイス(私)は、羽のように軽くはないんだよ。すまないねぇ。
お疲れ様の意味をこめ、ワイシャツの上からでも分かるほどに浮いた背骨が波打つ背中をそっとなでてやると、「お?これサービスに入ってる?別料金でしょ?これ後でお金取られるやつだな~。」なんて軽口を叩いてくる。
まぁ、そんな冗談を言える余裕があるなら、精神的には大丈夫だろう。とりあえず、空港でご飯を食べてから帰ろうか。そばか、カレーか、お寿司か、口にできそうなものはなんでも食べておかないと、この骨男がますます骨になってしまう。



そんな風に帰国直後は「骨と皮」になるような人であったけれども、普段はそこに薄っすらと肉ものっていた彼。それでも、背が低い私から見れば、信じられないほど背が高く、痩せてほっそりとした格好の良い男でした。
すらりと細長く骨っぽい手足と細い腰、横から見ると薄い体。まるでコレクションサイズのスーツを着るために産まれてきたような、ランウェイモデルより少しだけ筋肉が少ない体型。
その体型の上、物静かな性格と、都会育ち独特の少しノーブルな雰囲気も持っていたため、仕事用に着ているオーダーのスリーピーススーツ姿が大変サマになり、繁華街で待ち合わせをすると、遠くからでも分かるその締まった立ち姿が眩しかったのをかすかに覚えています。

世田谷の一軒家生まれ、世田谷育ち、幼稚園から就職先まで東京23区内で済ませてきたという、地方出身の私から見れば、まるで絵に描いたようなボンボン。

ボンボンはボンボンなりに、自分が持たないものに憧れがあったのでしょうか。
彼はとにかく、自分とは縁遠い「不良・男らしい」という存在になりたがり、もう30歳にもなるというのに、「ヤンキー」や「暴走族」といった単語にやたらと興味を示す変わった人でした。
地方出身で、夏の深夜に国道を爆走する暴走族なんて珍しくもない存在だった私に「暴走族を生で見たことあるの!?すごいね!どんな感じ?」と、子供のように瞳を輝かせてたずねるような、そんな変なところがある人。

そんな彼が憧れるお洒落が「モッズスーツ」。梅ヶ丘の並木の代名詞である細身のスーツでした。
モッズスーツなんて仕事では着られないし、あなたの雰囲気では似合わないだろうから伊勢丹で三つ揃いでも作れば?と冷静に提案する私に対し、

「男のロマンが分かってないなあ。」

と困った笑顔で笑うような、私には到底理解できないセンスを持っていました。

そんな人と梅ヶ丘を歩いていた時、存在を教えてくれたのが「洋服の並木」。
いつかこの店でモッズスーツを作りたいのだ、裏地は「風神雷神」みたいな派手なのを入れたい。そうはっきり言ったのを覚えています。

ダサ……。
田舎のヤンキーのセンスじゃん、それ70~80年代の不良の学生服でしょ。

あなたの「都会っ子」の雰囲気に田舎ヤンキーは合わないよ?都会っ子が背伸びすると身長2メートルになっちゃうよ?足が伸びすぎて履けるスラックス無くなっちゃうよ?
そんな風に茶化しながら見上げる私のことを、少し困った顔で笑いながら見下ろしていた185センチマン、H君。

H君、私たちが解散して月日は流れましたが、並木で派手な裏地のモッズスーツを作る夢は叶えましたか?

私は今、並木のスーツを着用したミュージシャンの代名詞、ミッシェルガンエレファントというバンドを周回遅れで追いかけています。ミッシェルは、都会でボンボン育ちのあなたが憧れた「不良」や「男らしさ」が詰まったバンドです。
こうやって文字に起こすと、私とあなたが分かり合えなかった理由が明確化して気持ち良いですね。あなたの事をおさめた記憶フォルダはもう削除してしまうけれど、健康で生きていてくれることを願います。

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