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【映画批評】#5「関心領域」人は畜生として生きるほかない

話題作「関心領域」を徹底批評!
退屈さを感じるほど、興味深い。新手の自己啓発映画。


鑑賞メモ

タイトル
 関心領域(105分)

鑑賞日
 6月1日(土)10:40
映画館
 なんばパークスシネマ(なんば)
鑑賞料金
 1,300円(映画の日価格)
事前準備
 予告観たのみ
体調
 整体後チャリ移動、すこぶる良し


点数(100点満点)

75点

観客の想像力に委ねられる割合は大きい。
最低限の歴史知識と教養がないなら、観ないほうがいい。対象外だ。


あらすじ

空は青く、誰もが笑顔で、子どもたちの楽しげな声が聞こえてくる。そして、窓から見える壁の向こうでは大きな建物から煙があがっている。時は1945年、アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族がいた。第76回カンヌ国際映画祭でグランプリに輝き、英国アカデミー賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞、トロント映画批評家協会賞など世界の映画祭を席巻。そして第96回アカデミー賞で国際長編映画賞・音響賞の2部門を受賞した衝撃作がついに日本で解禁。
マーティン・エイミスの同名小説を、『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』で映画ファンを唸らせた英国の鬼才ジョナサン・グレイザー監督が映画化。スクリーンに映し出されるのは、どこにでもある穏やかな日常。しかし、壁ひとつ隔てたアウシュビッツ収容所の存在が、音、建物からあがる煙、家族の交わすなにげない会話や視線、そして気配から着実に伝わってくる。その時に観客が感じるのは恐怖か、不安か、それとも無関心か? 壁を隔てたふたつの世界にどんな違いがあるのか?平和に暮らす家族と彼らにはどんな違いがあるのか?そして、あなたと彼らの違いは?

「関心領域」公式HPより引用

ネタバレなし感想&X短評

能動性を常に求められる。
冗談抜きで疲れることが本作の価値。


ネタバレあり感想&考察

この映画を観に行っただけで一人前

ハッキリ言ってこれに尽きる。
現代人にあらゆる諸問題への関心を向けさせる本作だが、この映画が何の件を扱っていて、塀の中でどんな行為が行われていたか思い起こさせようとしていることを、観る前でも観た後でもわかっていれば、それで十分だと思う。そういった題材であることを理解している、または理解しようとしていることが尊いタイプの映画だ。

現在の諸問題に対して関心領域を拡げようという意志を持つきっかけになったり、退屈さを自覚することで逆に危機感を覚えたり、自分があえて無関心でいようとしたりする対象は何だろうと考えてみたり、意図は理解するけど説教くせぇな、と自分の場合、これらを含むあらゆる感想が頭の中に立ち上がった。

各人にとって良かったか悪かったかはさておき、観ただけで十分だと思う。
問題はこれを観て何を描いているかが全くわからなかった人だ。ネタバレレビューやこの映画に関する記事をみて、製作者の意図だけでも理解してほしい。何でもいいから、わからないまま放置するのだけは避けてほしい。ヘスが何をしている人かは、観れば何となくはわかるはずなので、全く理解してないはありえないとは思うが、いかに人類があらゆる失敗と許されざる行為をして成り立ってきたかを感じ取ってほしい。それさえできればみんな一人前。
わけもわからずに観てしまった小中高生は特に実践してほしい。
※大学生以降でわからないは問題あるゾ!

人は畜生としてしか生きていけない

ちょっと別口から話をしたい。
自分はヴィーガンでもベジタリアンでもないし、そういった方々に非難や強制されるのはすごくイヤだが、家畜制度への指摘として一理あるなと思えた、とあるヴィーガンの方の主張がある。何の記事でみたかはわからないので、うろ覚えだがこんな感じだ。
「不適格とされたり、食べ残しや期限切れ等で大量の食肉が廃棄される。これは食べられることさえ叶わなかった生命が大量に人間都合で発生していることに気づいたのがヴィーガンを始めたきっかけだ。」(この人自体は他者にヴィーガンを強制しないスタンス)

正直ハッとした。
自分自身は食べ残しや期限切れ等はしないよう、できる限りの努力はしているが100%はムリだ。しかも、自分のコントロールできない範囲(外食等)はそれで成り立っているような状態。これも関心領域を拡げるきっかけはもらえたが、各個人が拡げても止められない無力さも敏感に感じ取るきっかけにもなった。
人は所詮、自分たちの利便性向上や経済合理性を盾に、生命を自分たちの都合の良い風に捉え、利用している。現代は特にあらゆる制度(家畜制度、労使関係、国民国家 etc)が生まれた時から当たり前のシステムとして効率的に運用されているので、人は生きているだけでみな平等に畜生と言える。この世界があらゆる生命の犠牲の上に成り立っていることを改めてこの映画で感じ取ることができた。

ヘス夫婦や当時のナチス軍人や従事者は、このことに自覚的だったはずだ。しかもそれは意図的にユダヤ人に向けられていた。あれは無自覚に関心領域が限定的なのではなく、自覚的に無関心を装っている。
カナダ(←調べてください。あの国のことではない)から取り寄せたあらゆる金品や贅沢品をあの妻は使う。川遊び中に川に灰が混ざったあと、ヘスがある女性と会ったあと、彼らは必要以上に身体を洗う。【民族浄化】という名の国家犯罪の非人道性を全く決定的ではない風景と動作で表現している。あわせて現代の博物館化されたアウシュビッツの清掃の様子も描かれ、決して洗い流すことのできない過ちであることを殊更に強調しているのは、本当に巧みな映像表現だと思った。

常に決定的ではない、日常の風景や行動で観るものの心をつかんで離さない。観客に能動的に映画に参画することを義務づけ、新たな視点をつけ加えることを目的とした、新手の自己啓発映画といえるだろう。

自分自身はニュースやワイドショーに即物的に反応するのはやめようと心がけているし、それは継続するつもりだ。ある種自分の心を守るために、意図的に情報摂取に制限をかけている部分もある。
ただ、そんな状態からでも目に触れざるをえない、思いを馳せるべき事象や諸問題は数多くあるだろう。それらに少しでも、ない頭を使って、想像力を働かせて、考える時間を少しでも用意したい。まずはその程度から関心領域の拡大を試みたい。拡げすぎて抱えきれないほどの負担を課すのも考えものだから、お互いムリはしないようにしましょう。


まとめ

どう考えても許されざる存在でしかないとはいえ、ヘス一家を悪と捉えて、安易に非難するのは彼ら同様、箱庭=安心安全な場所から、物事を文字通り上からみていることと何ら変わりはないと思います。

自分は特別な存在だと無自覚に考えてはいないか、と注意深く自身のことを捉えないといけない、までマジメに受け止めてしまうと大変ですが、頭の片隅には入れておいた方がいいかもしれません。

ただ改めて言いたいのは、各人の感想は一旦置いて、この映画を観ようとした、そして実際観た、これだけで十分尊いと思います。観た方はまずそのことを誇りに思っていいんじゃないかと。私はそう思います。
↓は鑑賞後の補強材料としてオススメです)


最後に

マジメにならざるを得ない。笑
実は妻のヘスの転勤命令に対する反応から『渡る世間は鬼ばかり』との共通項を語ろうかなと考えたんですが、さすがにユダヤ人虐殺を題材にした映画で触れる話題じゃないなと想像力が働きました。もちろん茶化す気はなく、本当にそう思ったんですが、さすがにやめようという判断になりました。自分も一端の大人に近づいたかなとムリやりの自己肯定感アップに繋げたいと思います。

いまシーズン1をちょくちょく観てるんですが、渡鬼マジですごいんですよ!橋田壽賀子の世間を見る目はホンモノだと思いました。
興味ある方は、渡鬼もぜひ。(↓をみて、火がつきました)

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ご拝読、ありがとうございました。

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