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枕崎の台風(その2)

前回のブログで書いた枕崎の台風の続編です。前回は停電中に書きましたが、ここからは東京に帰ってから書きました。

翌朝、僕のパソコンのケーブルをつなぐときにする音が何度かして目が覚めました。電気が不安定になって停電になったりついたりしているんだと思いました。携帯を確認すると朝の6時過ぎ、外は台風がうねっている風の音がしました。いよいよ来ているんだな、どうせ今日は家から出られないし、することないから寝られるだけ寝ようと思ってもう一度寝て、次に目が覚めた時は7時半ごろで完全に停電していました。
部屋は雨戸が閉めてあるので真っ暗で、懐中電灯を立てて上を照らすと電気のように光が広がった。停電で一番心配していたことはエアコンが停まって暑くなることだったけど、それは思ったほどでもなかったです。

前日の枕崎駅。指宿枕崎線は運転見合わせ。

少しだけ窓をあけ、雨戸も開けると、恵みのような光が差し込んできました。ちょっと考え、ものが飛んできても窓にあたらないくらい雨戸を開け、その反対側の窓をまた少しだけ開けると、雨も入ってこないし、風もいい具合に入ってきた。しかしヒューヒューいう風の音がうるさく、湿気も入ってきた。このどっちを取るかは難しい選択だったが、前者を取りました。

子供たちも起きてきて、停電の話をしたけど、僕が光を入れたり懐中電灯をつけたこともあって、いつもとそんなにかわりがないような感じでした。朝ごはんはふくれ菓子という僕が大好きな鹿児島の蒸しパンのようなものを食べました。

朝ごはんの「ふくれ」

昼頃になると僕が枕崎に来ていることをしっている知り合いが「枕崎、テレビでやってるけど台風大丈夫?」ときいてきた。嫁さんのところにも何人かから同じようなメールも来た。しかしこっちはテレビがつかないので今、枕崎がどれほどなのかがまったくわからない。防災無線で何かアナウンスも流れましたが、風の音でまったく何言っているかわかりませんでした。

とりあえず午前中は何もすることがなく、ゴロゴロしてました。外にも出れず、テレビもつかない。台風で一番大変だったのは、することがないということでした。本を読んでも、PCをひらいて台風のことを書いたり、wi-fiがあるときにダウンロードした仕事のチェック(日めくりのネタの確認)もしましたが、長続きせず、台風の様子をうかがってばかりいました。

お昼はカップラーメンを食べました。子供たちはふだんあまり食べないカップラーメンを食べられることに喜んでいました。午後になると、台風が少しおさまった気がして、雨戸をもう少しあけると、雨が小止みになっているのがわかりました。玄関のシャッターを上げて、少しだけ家の外に出てみると、風はあいかわらず強く、子供なら飛ばされるくらいでした。
台風の勢いがおさまってきたのは夕方の16時ごろ。本当に荒れていたのは8時間くらいかな。僕のいたところは海まで歩いて1分のところなんだけど、海の荒れぶりは今まで見たこともないものでした。

台風前日はどこも準備をしている。土嚢をシャッターに押し当てるとガタガタいわない。

夕方になると雨も風もだいぶおさまったので、親戚の人が家の前に集まったりしてました。そこで聞いたのは、停電の復旧は明日以降になるということでした。風が強くて高いところの電線の修理ができないとのこと。まさかこんなに長くなるとは思いませんでいた。そして同じ枕崎市でも駅の近くは停電になっていないという話も聞きました。それで夕方にコインランドリーに洗濯に行き、待ち時間の間、近くのジョイフルで夕食を食べました。これは実感なんですが、お米が食べたくなりました。カップラーメンは大好きで、無性に食べたい時があるんだけど、自分が求めていない時は本当に欲しくないんだなと思いました。災害があってそんな贅沢言ってられないときもあるだろんだろうけど、市内のファミレスがやってるとわかってそこに行くことにしました。

ジョイフルでハンバーグを食べて、コインランドリーに洗濯を取りに行き、滞在していた家に戻る時は台風の吹き返しで雨や風が強くなった。戻ったら電気が復旧しているのではないかという淡い期待を抱いていたが、やはり街はまっくらだった。駅の近くの地域は電気が付いているのに、川を渡り、僕たちの滞在している火の神という地域にいくと、街灯も消えていた。海の近くは霧のような感じで先が全然見えなく、視界のない道を慎重に運転しました。

風で木が倒れ、それを守るコーンも倒れてる。

真っ暗な家に帰り家族一人一人が一個の懐中電灯をともし、子供にとってははじめての、僕にとっても何十年ぶりのサバイバルな夜になった。電気は停まっているけど、水は出るので水風呂に入りました。もう夜9時くらいだと思って時計を見るとまだ7時すぎで、時が進むのが本当に遅く感じました。
僕たちは次の日に帰るので、暗い中で少し部屋を片付けて、10時くらいには寝たと思います。ジョイフルの帰り道、じいちゃんが「今は携帯があるからだいぶ違う」と言っていました。台風の位置や明日の天気などはわかる。昔は情報が入ってなくて災害情報もわからず、今だったら携帯があるだけで防げる被害もあるんだなと思いました。ただ、数分おきにこわい着信音とともに災害警報のメールが来て、不安が増したのも事実です。情報の管理は難しいね。携帯の情報で県内で1万戸以上、枕崎市内では1230戸が停電中で、そのうちのひとつがうちなんだと知りました。

僕らは翌朝早く枕崎を出て、鹿児島市内で一泊して吉祥寺に帰りました。14時過ぎに、嫁さんに「電気が復活した」とメールがたくさんきました。よかった。みんな喜んでいるんだと思いました。僕も子供のときに停電を経験して、電気が復活した時の喜びは今でも覚えている。子供は今回それを経験しなかったけど、そもそも停電をあまり大変なことと感じなかったみたい。
朝、6時ごろ停電して、電気が復活したのが翌日の14時すぎだから38時間近く停電したんだね。

鹿児島の市電は芝生の上を走る。

というわけで貴重な体験をした夏でもありました。
8/27(日)に町田の旧白洲次郎・正子邸の「武相荘」で「旅に学ぶ人生」というトークセッション(完売御礼)を行いますが、まさにこのテーマでもあるので、この話をもっとリアルに説明したいと思います。

僕のトークイベントは10/8(日)に立川で、10/21(土)に飯能であるんで、ぜひそちらも会いに来てね!

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