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Breakout the Internet Dream's Library self liner notes/金聖


2021年某日、梅雨が明けつつ夏の暑さを待ち望んでいたその日、私はとある公園を訪れていた。そう、光が丘公園だ。



Chanceのmvが完成して,一喜一憂していたのも束の間、大衆の耳に留まらせるには、楽曲リリース、そしてプロモーションといった音楽という名のルールに乗っ取らなければならなかった。たとえ将来売れるミュージシャンでも、そうでない者でも、プロモーションを行うことは一貫しているのだ。哀しき定めである。

Chanceをリリースして感じた手応えは予想以上に大きく、このまま行けばメジャーデビューも夢ではない,とそんな予感さえ感じていた。なので、ライブを敢行したり、mvを撮りまくったり、これまで内向きだった音楽制作が、急に社交的になっていった。今思えば一番充実していた時期だと思う。と同時に戸惑いも見られた。これから本気で音楽をやるのか,やらないのか,高3の梅雨にして非常に有意義な時間を過ごせたと思う。

話を戻そう。僕は友達と一緒に光が丘公園にいた。新しくできた未配信曲のミュージックビデオを撮影する為に、早朝4時から、誰もいない公園を韋駄天の如く疾走しようという漠然とした内容のもと,撮影に挑もうとしたのだ。
撮影が終わった瞬間、友達と得た感情は疲労を感じるどころか,むしろ完成しきったという充実感に包まれていた。


アルバムを本格的に制作し出したのは、chanceが完成した3月辺りからだった気がする。もうリリースされてから丸一年経つわけだが、当時の心境は、とにかく皆が聴きたいと思うようなアルバムを、と思い,これまでの中途半端な制作方法から脱却し、一曲ごとに曲の密度、つまり完成度を高めるようにした。その用意周到さというのも、chanceの製作時、当時iPhoneの GarageBandの最大トラック数の限界を行き来していた自分にとっては,なんら大したことないことだったのだ。

とにかく良いアルバムにするようにと、おそらく過去イチ時間をかけて制作した。あわよくばパソコン音楽クラブあたりの人が聴いてくれたら願ったりだといった勝手な思想に耽ったりもした。

振り返ってみると,結果的にいいアルバムになったと思う。むしろ何で聴かれないんだと思う位に一曲一曲の情報量がえぐい。本当にお疲れ様でしたとしか言いようがないアルバムなのだ。

どこからどう話したらいいのかわからないくらい、圧倒的音の洪水。一曲目"Chance"から、オルフェウスといった合成音声に挑むのはラッパー・starcream氏によるポップなメロディー。チャンスのボーカル募集ツイートにいち早く反応していただいた,レスポンスの速さはさすがラッパーと言ったところか。とにかくその水と油状態な声のアンサンブルに絡むように、重厚かつ爽快な四つ打ちが、とんでもない名曲然とした雰囲気も纏っている。筆者も客観性を見出すために,コードを一つづつ違ったトラックを友達に聴かせるなどして、どれが一番いいかを聞いたり、自分がガレージバンドの中で最良だと思う音を一つずつ選んだりと、孤独に一人で作業しつつも、snsなどで沢山の人と交流することにより、さながら録音スタジオであるかのような臨場感を味わえた。ちなみに,mvも楽曲に匹敵,いや、それ以上もの情報量を持つ内容となっている。ぜひ,試聴をお勧めする。
そして間髪入れずに次曲"out of running"では、シームレスにレトロな70sディスコサウンドが繰り広げられる。これのオリジナルトラックは、youtubeに転がっていたサンプルパックからだというのは目を瞑っていただきたいが、大量に出てきては消える効果音や人の声など、とにかくサンプリングに対する意識は尋常でない。よくこれがサブスクに登録できたかと頭をよぎるのも束の間、3曲目"perfect days"のお出ましだ。この曲は歌を歌っていただいたシロメさんの力が大きい。彼が昔製作した楽曲をリメイクして欲しいと、今回アルバムに収録といった形でアレンジさせていただいた。初めて,本格的にpop然とした楽曲を制作するというのもあり、某著名アーティストなどから着想を得るなどして、大いに楽しんだ。それはロックからvaporwaveまで、自分が信じる楽曲に一瞬の隙はなかった。それは、単なる四つ打ちポップソングに終わるのではなく、纏わりつくようについて離れないノイズのようなギター、そして効果音がさながらシューゲイザーのような様相も呈していた。それは、一言では言い表せない、感情の塊であり、この時自分は楽曲が完成するか,そんな問題は蚊帳の外であった。つまるところ完成した楽曲はどれも金聖サウンドそのものだ。いや、それを確立してみせたのだ。
そして4曲目、light bacillusは友人が歌詞を提供してもらい、原題の鴨エンジンから曲調をイメージしながら制作した。なんとなくz世代特有のナードコアのような、そんな感覚で制作していた。計画が頓挫してしまったが,アニメop風のmvを制作しようと画策していた時期もあった。誰かやってくれませんかね。
次曲park lifeは、blurのパークライフに対するアンサーソングといったところだろうか、tofubeatsの生声や、Google翻訳によるパークライフのボイスなどと言ったサンプリングセンスが冴える。
続くインタールード的曲・6曲目:集中豪雨警報発令を交えての7曲目My Carbonated Water feat.KaKa4は、とにかくkaka4さんのアーティストイメージを崩さないようにと、tohjiやpool$ideなどといったhiphopを参考にしつつも、自分なりのエレクトロサウンドを展開した。
8曲目paniculata feat.oxydoll は、盟友oxydollによる ロボットボイスと、どっかからサンプリングしてきたハスキーな女性ボーカルがアルバムの緊張感をカンフル剤の如く中和していく。ここまで記してきたように、ジャンルレスなトラックが、一曲毎に所狭しと並び,もはやそのスタイルは現在のdrugpapaにまで一貫している。今の金星を創り上げたようなアルバムなのだ。
続く9.Buble gum、10.on Airも、hyperpopを想起させるようなサウンド、かつ短いながらもその尺を存分に堪能できるような密度の高い構成が続き、ハウス色の強い11.Night Right、オリンピック期だったのもあり、タイムリーに制作した
12.Acid Olympic/archery  ,13.Acid Olympic/boxingといったハウスミュージックが連立して登場。もはやここはクラブなのではないか?と一瞬倒錯してしまうぐらいの本気ぶり。
最早何でもありなのだ。アルバムといった媒体で、マイナーミュージックの必然性を、popな形で我々に提供していたのだ。
そしてその夏はピークを迎え、14.Another Brother feat.TAULASで一旦幕を閉じる。15.SCREWP'U は友人がラップを録り、
16.潜在的旅行-Potential Experienceでは疲れたので閑話休題にとアンビエントを、みたいな感じでアルバム然とした雰囲気はまとまりつつあり、いよいよ終盤へ。
おそらくここまでに辿り着くまで相当の時間と労力,そして容量を使い果たしたと思う。何をそこまで駆らせる気になるのだ,と申せばそれはやはり,自分に対する挑戦でもあり、音楽に対する挑戦でもあった。
17.Soar high upwards into the skyにて,これまでの内容が一旦空中分解してしまう、そんな鬱っぽい雰囲気が漂う。まるで何事もなかったかのように、鳴り響いているのは奇妙な音色のシンセサイザー、そして意味深な赤子の声だ。後味の悪さ。それをないがしろにするかのような最終曲:There is absolutely no music(Internet dreams never break) では,楽曲終盤にて、これまでの楽曲がメドレーで流れる。どこかで聴いたことのあるような展開であり、終わり。

ここで最初に戻ろう。アルバムタイトル
の"breakout the internets dream library"とは、一体何を暗示するのか。それは私にも分からない。が、それは単なるキーボードクラッシャーみたいな軽すぎるノリではなく、我々z世代のインターネットによる知りすぎた音楽観というものがある。

アルバム制作当初はキーボードクラッシャーを全面的にフィーチャーしようと考えたが,ネタっぽくなりそうなのでやめた

今は何でも簡単に聴きたい音楽にアクセスでき、その間にあるはずだった行為、いきさつ、知識が生まれないことにより、音楽を聴くことの喜びがないように感じる。そんなつまらない人間になるなら音楽を聴くのはやめてしまえ、裸になって旅に出てしまえ,とつい喝を入れてしまう。
大体何なんだ、昨今の音楽というのは。
若者の多くは倍速で曲を聴き、ストリーミングに払う金さえも躊躇い、挙句の果てにはギターソロを飛ばしてしまうではないか。一方音楽に慣れ親しんだ中年は、ロックの過剰コンプレックスに追いやられ、もはやフェスで踊ることすらままならなくなってしまっている。それに加えて、ネットによる一種の内向性、そしてコロナによるノットコミュニケーションが,音楽の退化を加速させている。こうなれば,一回全員のパソコンやスマホを叩き壊して、ゼロから始めたら、きっとその劣等感からいいことが生まれるんじゃないか,と言ったかなりprimitiveな仮説を提示しているわけなのだ。
音楽に罪はない、
それどころか力があるんだ。
音楽を聴いていて一番素晴らしいと感じる、その真髄はダンスミュージックにある。音楽という特有の言葉では表せないfeelingで、今すぐにでも死にそうな人が一人でも助かったらいいなと言うポジティブな気持ち。それこそ今の現代に必要ではないのか。そう言う音楽があれば、もうなんでもいい。そんな批判的かつ破壊的な意義を持たせようと、z世代が提唱するこれからのミュージック宣言がいまここにある。
今,また光が丘公園にいる。ここで,みんなは何を思い,何を聴いて生きているんだろう。それは音楽とともに、インターネットとともに経年変化していくのだ。


禁聖闘士星矢



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