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九嶋のひとりごと②

ひとりごと、をかいてから約1ヶ月。
色んな認識や価値観やら、がらりと変わったので せっかくなら残しておきます。過去の俺はさようなら、よく頑張ったね。

無駄なことばかり考えていた

今思うと、なんでこんな無駄なことばっかり考えていたんだろう、ってことがたくさん。

今日も呟いたんだけども、こういうこととか。
「絵なんだから良くない?」って思うのに、多分、俺はいつも他人軸だったんだろうって思ってる。

自創作がNLやGLやBLとかに見えるのも嫌で、モヤモヤしていた時期もあった。いや、別に好きに解釈されていいし、他者の好きな妄想とかをやめてほしいとかではない。自分が、そういう風に作っている気がしてくる時があって。いや、事実妄想する時もあったりする一方で、真面目に少年漫画を作ってるはずなのに、なんで…、と勝手に頭を抱えていた。

今考えると、よくわからない。
たかが個人の趣味なのに、そんなのどうでも良くない?と今は思う。

真面目に少年漫画を作る一方で、自分のキャラを好きに妄想して何が悪いんだ、とさえ。だって可愛いもんね、しょうがないよ。
というか、俺の作ってる創作だよ?別に商業誌に載ってるものでもない。ええやんけ。何を勘違いというか、何を悩んでいたのかが本当によくわからない。(ただ、垢分けはした方がいいよ、というアドバイスは複数人からいただいている。それは納得している)


一人で色んなことを勝手に考えては「こう見えるんじゃないか」、と、他人から見える自分に怯えていた。
ね、ほら他人軸。

自分の創作の元素たちに「恋愛感情ないよ!」と公開してからかなり楽になったのも、10月はじめの頃の話だったと思う。

漫画じゃないと読んでくれない、という思い込み

そもそも、俺がまず変化する一歩をくれたアンケートがある。

これ、かなり衝撃的だった。
そしてみんながみんな漫画であれば読むわけでもない、というアンケート結果は本当に衝撃で…。

俺は完全な物語タイプ。アウトプットは文字列でブワ〜〜っと出てくる系。
ただ、文字のインプットは弱くて、本を読むのが困難な時もある。

それなのになぜ気づかないんだ、とさえ思った。
俺もインプットは「絵」が一番得やすいのに。

9月20日〜10月初めまで混乱しまくる俺と、11月まで変化し続ける俺

思い込みから解放されたが、今度はどうすればいいのかわからなくなって右往左往の色々と試みては、「なんか違うぞ」と混乱しては、また作る、を繰り返して頭の中はぐるぐるとしていた。

どうにか、伝えたい。でも、何もわからない。
他人が何を欲していて、自分はどうすれば自分の世界を知ってもらえるのか、まったくわからない。
10月初めまで、ずっと頭を抱えていた。

そこからの、9月30日、元素検定。物販でがらりと変化して。
そこをトリガーとして10月はいろんな変化があった。

漫画を意味わからないほどかいてみて、なんか違う、とは思ったが、それは混乱した違う、ではなく、
「本当に読みたいものじゃない」という確信を得るためのものになった。

俺は、元素たちが能力を使ったりしてバトルしてるのがみたいのであって、その日のぐうたら漫画を続けるために漫画をかいてるわけじゃない、とか。

友達と岩手旅行をして、宮沢賢治の施設を巡った。
ちょうど原本の公開をしている最中で、俺は銀河鉄道の本物の原稿を見て涙が出た。

なんと言ったらいいかはわからない。
ただ、悩みに悩み、向き合い、複雑な構成になりながらも書きたい事を10年も向き合った宮沢賢治さん。

「俺は?」
と思った。

本当にかきたい事を、かいてる?

別に、少年漫画と、セルフ二次創作が重複しても良くない?他にも「これは正確ではないかもしれない…」などなど、理由という言い訳だらけ。

だって、思いつくじゃんか。さまざまにたくさんのことを思いつきながら、
「こんなの、変かも」
「正しくないかも」
「おかしいかも」
「見られる目が怖い」

また、自分は自分を守る姿勢になるのか。そうやって、毎度毎度「自分のままに」と、気づいては、勝手に忸怩を憂いてまた同じように殻を閉じてしまうのか。と。

何度も俺は同じことをノートにかいている。
メモ帳にもかいている。
「自分の好きなものを」
「自分を解放したい」
などなど、そのままの自分でありたいと、いつもいつも思っては、自分のままになって、人からはみ出してしまう自分を勝手に恥ずかしい、と中途半端になってしまう。その繰り返し。

11月1日付近。俺はとにかくぼろぼろと泣いた。
「もう、いらない。俺のほしいものしか、いらない」

好きなもの、というものがあまりなかった

小さい頃から、俺はあまりほしいものがなかった。
いや、あったんだけど、「これじゃない」がかなり強く、母親も苦労したと思う。事実、母は俺の好きな食べ物がわからなかったという。

そのくらい、細かくてどうにもならない好き嫌い。

正直、本屋で売ってる児童書が嫌いだった。装丁がなんとも気に食わない。(すみません)絵本の方がまだ好きだった。漫画も、まず、好きな装丁を探しては読んでいた気がする。

服もとにかく好き嫌いがあった。
何が理想なのかは乏しく、とにかく、「嫌」ばかり。
妥協をせざるを得ない毎日が本当に辛かった。

好きな色もなかった。
みんなが「緑が好き」とか、「ピンクがいい」と様々発言する中、俺は何色も好きじゃなかった。なんでみんな、そんなに自分のピッタリくるものを得られるんだろう、と羨ましい反面、俺は探すことをあまりしてこなかったと思う。
「どうせ、ない」
と小さな頃から決めつけてしまった、癖がついたのだと思う。

そこに多分、俺の原点はあって。
大きくなるにつれて自分の好きは増えていったけども、今でも飢えた感覚はある。どうしても何か、俺のほしいものが欲しい。だけど、あまりわからない。世の中にお手本もない。

それからお金があるだけ闇雲に作り続ける、という狂乱が始まったわけだが、それでも、薄いアイディアと欲しいはず、の欲求。そこには承認欲求も混ざっていた。
俺も、見てほしい。
俺も、ここにいるとわかって欲しい。
無視されたくない。

必死だった。

好きなものも、わかるようで掴めない。
好きだということをなんとか誇示したい。
俺という存在も、認められたい。

ごちゃ混ぜのままに、自分を守りたいと、誇示したいが引っ張り合って、足を引っ張っていた。それに自らが足を引っ掛けて転ぶ。その繰り返しでもあった。

転んだり、自分を表現できなくて泣いたりと、自分で作ったものに自分で転びまくることを繰り返してきたわけだが。
やっとに、「もういらない、」と確信できた。そのいらない、には、場所や自分を誇示する行為も含まれる。やっとだった。

自分が欲しいものだけを、作るということ

俺は今、正直自分だけが満足すればいい、と断言できるものしか作っていない。傲慢かもしれない。

正直、人が離れていくだろう、とも思った。

この絵を描いた時もそう。
正直、「この表情はえろすぎるかな〜〜〜(???)」とか
「これはカッコ良すぎるんでは(???)」とか思ってかいた。

なぜだかわからないが、俺はあまり自キャラを可愛い、かっこいいとしていいのか、不安な時があった。
自分のキャラをかっこいい?いいの?
手前味噌にも程がある……なんて羞恥に塗れていたが

俺は10月のある日。
よくわからないが思いっきりに自キャラを抱きしめた感覚を得た時があった。なんと形容していいかわからないのでそのままの感覚でかいてるんだが。
「大好きだ」
と思った。
「今までごめん」とも。
大事にしているつもりだったが、本当に、本当の意味で大事にできていたんだろうか。と、正直すぎる文章をかいてしまうんだが…

自キャラは、ある意味、痛いかもしれないが俺にとっては我が子なのだ。
我が子を、自分の欲求のままに使い、表面だけ愛で、本心では手前味噌だと褒めもしない。
毒親だと思った。
俺は一体、なんのためにこの子たちと過ごしているのか。
たかが、キャラクター、されど俺の自慢の作品のはず。

自慢の、はず、いや、自慢なんだ。

見てくれ!俺の最強のキャラクター!痛いかもしれない、されど、やる限りはイケメンで何が悪い、やる限りは美しくかいて、何が悪い。むしろ、かくならば本気でかかねば、誰が綺麗にかいてくれるんだ、と。
俺が、公式なんだよ、という、訳のわからないが、事実であることに目が覚めた。というか、このツイートのおかげで本当に目が覚めた。

なんのために、絵をかけるようになったのか。

本当だと思う。自分の欲求を満たすためでもあるんじゃないのか、と。自キャラを美しく、可憐に、自分が見たい姿を得るために、かけるようになったはず。

決して、自分の承認欲求のために、使う、右手ではない。

かいていて、恥ずかしいが、自分の恥を晒そうと思っているので正直にかいてます。恥ずかし〜〜〜

でも本当でしょう。俺の右手(利き手)は、俺のキャラをカッコよくかくためにあるんじゃ〜〜い!!!

ってことで、ヴァンパイヤの絵に戻りますね。
「この表情はちょっとあかんかもしれん」

と思いながらも、ええいままよ、知らんがな!
フォロワ〜なんて減っていい!俺が!かきたいし、俺は表情も褒められたりしたことがあるねん、(謎の関西弁になっていくのは謎)俺の特技を生かして自キャラをかいて何がわる〜〜〜〜い!!!!!

とかいたのが、あれになります。

正直、久々に本気でかきました。正直、下手だと思いました。(褒めてくれる方々ごめんなさい!ここでは正直に文章かきたいので!)

でも、下手だな〜〜〜と思ったけど、改善点がよく見えて、ものすごい勉強になった。めちゃくちゃ、次はこうする、など、メモを大量にかいた。

絵を本気でかくと、承認欲求とかゼロでかくと、得るものがある、と学んだのも初めてだった。恥ずかしながら、初めてだった。

「自分の絵さいこ〜〜」とは思ってないけど、次はもっと美人にするぞ、とか。というか、俺が知らんがな〜〜!ってかいたのでその時点でかなり満足しているため、いいねがなんぼでもどうでも良かったし、むしろこの時点で27もいただけたのがまじか〜!?と思っている。

それに、いつもよりもコメント頂けたし、まじか〜〜!?!?!と思っている。え!?!?良いってまじで!?!?フォロワ〜減ってもいい!!!!ってかいたのに?!?!みたいな……

話を戻します。

俺は、こんなふうに、これから「俺が本当に好きだと思うもの」しか作らないと決めました。
人が離れていってもいいと思ってます。というか、自分が満たされないものを作ってる方がなんて失礼なんだ????とも思うし。

いくら他人に必要とされようと、いや、もちろん仕事ならばちゃんとやるんですけども。

創作って、自分のためなのにね。

他人軸は怖い。褒められたり、求められたりすれば、喜んでしまう。自分がいいとは思ってなくても、いいものだと思ってしまう。
もちろん、商業なら絶対必要な感覚だと思います。

でも、俺はただの作家。
作家だから、俺が作る家に招くわけですよ。

「どうぞ〜〜これが俺の作った俺のための家です」
って、俺の宝物しかない家に、みんなは来たいわけですよ。

褒めに来てくれてるわけじゃない。
褒められるための、装飾品を並べただけなんて誰でもできる。
ブランドの壺や茶器を並べて、一見綺麗だと思わせるなんて誰でもできる。

みんなが見たいのはそんなものじゃない。

そもそもに、俺は恥ずかしながら、今更ながら気づいたことがあるんです。
「見てくれること自体、当たり前じゃない」ということ

ある意味、本当に、お客様なんですよね。
わざわざ俺のところを訪ねてきてくれる、お客様。
俺の話を聞いてくれることが当たり前なわけないのに、見てくれることが当たり前なわけがないのに、俺はものすごく傲慢だったと思っています。
今も、こんな恥晒しを読んでくれると思ってかいてる部分も傲慢です。

一応は、俺の変化を記録したい、意味でかいてるんですが…
駄文をここまで読んでくださる方、ありがとうございます。

もちろん、薄っぺらな表面だけの感謝なんて、俺は好きじゃないんです。社訓で何度も感謝感謝〜とかいてる会社はどうなんだろうと思っているくらいですし…。感謝と言えば、有り体だけ良い人に見えるのも、俺は好きじゃないし、感謝をすれば何か返ってくると期待するのもどうかと思っているんです。(すみませんボロクソにかきました)

ただ、本当に、俺は、対する人を軽んじていた部分があったのは事実だと思うんです。適当、って言葉は良い言葉と教わりましたが、人に対しての適当は良いことでない、なんて…今更すぎて、これこそが忸怩なのですが。

俺が全ての承認欲求を捨て去ったわけではないし、承認欲求は人間に備わったものだし、あるからこその原動力にもなったりと悪いことではないと思うんです。
それでも、ある程度、良い意味で「どうでもよくなり」やっと承認欲求が邪魔していた景色が見えるようになった、気がしています。


「知らね〜」と清々しさ

最近の口癖が、「知らね〜」とか、「知るか」とか。

思い返せば思い返すほどに、何でもだもだしていたのかさっぱりわからない。
たかが自創作。されども自創作。

それでもやっぱり、俺の創作。

俺は作家で、創作を作って、楽しくしてるだけの人間。

好きにやって、よかったのに、何を勘違いしていたのか。

やっと理解して清々しい。
かつ、どうでもよくて、どうでもよくなくて、楽しくてたまらない。

この文章をかいていて、似ている欲求が隣り合っていて難しいと思った。正確にかき分ける力は俺になく、ただの自己満足変化日記になったが、それで良いと思っている。
そう、それで良いんだと思う。

自己満足、で良いんだと思う。

自分をまず一番に大切にし、自分の「欲しい!」を殺すことは絶対にせず。(ドクストの七海龍水も欲しい!言ってるし、フランソワも欲しい=正義っていってるし)
本当の本当の本当の、心の中にある、絶対これが好き、だけをしっかり大事にする。それだけで良かったんだと思う。

ある意味、幼い俺は正解だった。
いらないものをいらないと言える俺で良かったんだと思う。

成長するに従って、妥協するしかない、と覚えたのがいらないものだった。作れる技術を強引に得たのだ。もう、欲しいものしか作らない俺で良いんだと思う。強く、思う。


なので、今日も「知らね〜〜」と笑いながら、好き勝手な俺にとって最高で最強の原稿をやる。良かったねえ、俺。本当に、良かったね。






COMITIA146とコミケ※受かれば に出ます〜〜〜その時に最強の俺の癖(ヘキ)な本を手に取ってくれたら嬉し〜〜です!
COMITIA146は本の装丁凝りすぎて間に合わないのでコミケかな……

B5全面にアバロンの箔押し見積もったらすげ〜〜〜ことなって大笑いしてたよ!絶対いつかやる!!!!!!

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