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高草の麓から三輪の山に還る分け御霊 その1

高草の山のふもとの守り人

激動の昭和の始めから
三代のスメラミコの時代を
生き抜いた
尊い分けみたまのひとつが

今  此のとき
身軽に   速やかに  スムースに
光の姿に戻っていくため…

懐かしい故郷に
還る準備をしています


静岡県藤枝市 神神社




時代の大波に
呑まれることもなく……
流されもせず…

うちに秘めた熱い情熱を
大神のコトシロに委ね

悠々と……
靭やかに 強かに

その生き方は
後世に子等に
語り継がれることでしょう

人々に教え導く身でありながら
猫好きの イタズラ好きな
愛嬌たっぷりなアマノジャク
そんな一面もありながら……

周囲に調和をもたらす
荒ぶれたココロを
静かに諭し
大きな愛で多くの人々を
包み込んでくれた……



高草の神々に愛され
護りつづけてきた
その敬愛は
多くの人々の胸に
しっかりと
刻まれることでしょう…

この一年間の
私の母との関わりを通して
神神社への参拝について
振り返ってみることにしましょう


まず事の始まりは
昨年 祖母の命日だった
次の日から ……
不思議な
私 以外の想いのエネルギーを
感じましてね

意味も分からず…….
毎月の新月と満月に
この神神社に
ご挨拶に来ることを
決めたのでした

それが2021年2月12日
皇紀2681年 睦月 新月朔日でした

その日の早朝
理由がわからないまま
この日でなければならない
とても強い願いのような
意識によって
動かされた感覚 ……

当日の朝
母に伝え
結局二人で行くことになり
歩行や立っているのも
おぼつかない母と
生気のなかった伯父は
ここで久々の再会をしたのでした

私には
二人が顔を見合わせた瞬間
母の目に生きる力が
蘇ったように見えたんです……

普段では5分と立っていられない母が
玄関先で30分ほど親戚と伯父と
話をしていたのだから……

その瞬間に伯父と母の二人に
生みの親の祖母が
激動の昭和を
仲睦まじく支えあってきた
年老いた二人の子ら
兄妹に労いの気持ちで
二人で過ごす
最期の楽しいひと時を
もうしばらくは与えたい  ……..

それに
力を貸して欲しいのよ  ………
と 私に
言ってこられたんだって
感じたのでした 



杉之坊



今まだ
魂が躰から分離して
まだこの世の何処かで
逢いたかった方々の処へご挨拶に
行っているのかもしれないね ……

みんなとのお別れに
猶予の時間をくださるなんて
本当にお優しいお心遣いを
自身の最期まで
皆のために想う
伯父の尊い在り方に
敬意をもって感謝するばかり ……

二人が楽しそうに
昔ばなしに
花を咲かせていたあの空間に
ご一緒させていただけた喜び …


親孝行を
させていただいたんかな…と

二人の口から
「この子(私)が(母を)
連れてきてくれたおかげで
先の短いわしら二人が
こうして会えて
想い出話ができるって
こんなありがたいこと
ないよなあぁぁ … 」

そう言った伯父の
少しかすれた声がまた
聞こえてくるようです …


仲良しの二人




私は  太古の叡智から
今 まさに
女神の時代が
到来していることを
學び得たこと…

そして
その叡智がものがたる
時代を超え
次元すら超越した
自然界の
原理原則があることを
次の世代たちに
今風に伝え
遺していく志事が
有ると確信することが
できました … 

人は誰もが
目には見えない
何かの働きにより
突き動かされる
感性を持っているのですね



在りし日の祖父母




さようなら …… さようなら

さようなら  おじちゃん……


三輪山の
オオモノヌシとコトシロヌシ
国造りの
オオクニヌシとスクナビコナ
天之磐船の
ニギハヤヒ イチキシマヒメ
三貴神の
アマテラス ツクヨミ スサノオ
裏天皇制の
ヤタガラス アジスキタカヒコネ
・・・・・

この1年で八百万の神々たちが
もっと身近に
もっと愛おしい神々になったよ

ありがとう ……..


本当に
ありがとうございました

💗💗💗💗💗💗💗💗💗
心より感謝申し上げます
💗💗💗💗💗💗💗💗💗




今日も

最後まで

お読みいただき

ありがとうございました


                         ----  トヨウケミタマ  ----







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