かなえたい夢のある、いつかのどこかの、ひょっとして自分へ
こんにちは。
これは手紙です。
かなえたい夢のある、いつかのどこかの、あなたへの手紙。
かなえたい夢と聞いた時、私は「夢と、かなえたい夢は似たようで違うのではないか?」とふと思いました。
そんな自分の想いを書くために、私は手紙を書くことにしました。
ほかでもない、自分へ向けて。
私には夢がありました。それは「小説家」になること。
しかし、お金を稼げない、という直感に私は挫折しました。
経済的な不安を前に、私は夢をあきらめておこうと決断したのです。
年月がたち、改めて問われると、私の中の夢はよくわからない形に変化しています。
かなえたい夢とは何か?
おそらく。今の私にとっての夢とは、自立なのだと思います。
少し遡ります。
高校生のころは、本当に真剣に「小説家」を目指そうと、小説を読み、小説を書き、人に読んでもらい、文芸部活で意見を言い合う日々を過ごしました。
なぜ小説家になりたかったかと言うと、読んだ人の中に今まで考えもしなかった想いや感動、葛藤、挫折、あらゆる人生を追体験させられるからです。
私は誰かのために、文字を書きたくてしょうがなかったのです。
しかし「一般的な高校生」を過ごすうち、夢をあきらめ始めました。
いや、もっと言えば、私の実力では求められるような給与は稼げないと思ったのがきっかけです。
小学校のころの友人は、高校卒業後に「年に100万円貯める!」という目標を持ってすぐさまホテルマンとなり、あっという間にビジネスの基礎知識を身に着けて成長していきました。
中学校のころの同級生は「歴史を学びたい!」という意志を持って大学を選び、研究したい分野のために突き進んでいきました。
高校で出来た友人たちはそれぞれの道を選び、あるいはちゃんと「働く」ということに向き合い、成功を収めていきました。
一方の私は、何と言いますか。
若さがなんとか自分を生かしてくれているのだ、と思って生きていました。
何とか耳を塞いで、どうにかして、ただ日々をやり過ごすことでしか耐えられなくなっていました。
手に職を付ければ何とかなるのではないかと考え、医療系の大学へと進学しました。そう、夢として持っていた「小説家」に近い道筋ではありません。
大学の中でも、小説を書いてこそいました。
書くことで出会った人もいました。書くことで得られた感情もありました。喜びも、悲しみも、いろんなことがありました。
しかし私は、ちょうど大学生のような状態の、つまりは誰かに教えてもらう立場であり責任をもった大人になることから、逃げ続けることを選んでしまいました。
大きな失敗でした。人によっては小さいと言えるかもしれません。
しかし、私にとってはとても大きな、生涯をあきらめかけるくらいの失敗でした。
私は今、家族とともに暮らしています。
家族あってこその自分と思いますが、今の状況を苦しいともとらえています。両親の考えこそが絶対であり、失敗しない相手だと思って生きているからです。
ニュースで立派に働く人が出ると、家族が自分のことを何と思ったか、を想像して不安になります。
感情を抑えきれないで、パニックになることもありました。
ちゃんとしなくては、と考えると頭のどこかが言うのです。
今まで、一度でも、ちゃんとしていたことってあった?
ちゃんとしている、と思いつつ、繋がるような行動をとれないのはなぜ?
自分の気持ちと戦うことは、辛く、長く、誰かに見せることの難しい戦いです。
同時に、気持ちを落ち着けながら、それでも生み出そうとする何かがあるのだと、自分自身を慰められる戦いでもあります。
それでも。かなえたい夢だと思うと。
これが、かなえたい夢だと思うと、少しだけ前向きに思えることに気が付きました。
そうでなくてはいけない。
ではなく。
かなえたい夢としての自立があるのだと思うと、いくらか気持ちが安らいだのです。
自分がしたいことをして、自分で責任を取るのだと、ちゃんと受け入れるようになりたいと思えました。
失敗しても自分が痛い目を見るだけで、失敗したからと言って他人や家族が辛い思いをするわけじゃなく、あくまでもそれは副産物の出来事だと受けいれようと。
そしてなにより、今もこうして机の前に座って文字を書いています。
あきらめた夢ではありますが、文字を書くことに対する感情は執心として自分に残っていました。
何かを書き出そう、産み出そうともがくうち、思考するだけでなく、行動を考えるようになりました。
具体的には、3分以内に終えられるタスクに気が付いたら片付けるという取り組みをしています。
たとえば「○○へ行く」ような何時間もかかることではなく、床におもわず置いてしまった服を拾って所定のハンガーへかける、といったことです。
初めてから、少しだけ床が広くなりましたね。
さて。
少し堅い手紙では健康や活躍を祈るのだといいます。
しかし、健康や活躍を祈られるのは嬉しい反面、申し訳なく思うが自分なようにも感じます。
ゆえに自分へは、なにも残さずに終わりたいと思います。
手紙の先に夢があると思いながら。
この記事が参加している募集
よろしければサポートお願いします!いただいたサポートは美味しいコーヒーにし、また誰かが読んで「よかったな」と思える文章を生むエナジーにします!