クレナリアと本の魔法(2)


──それはまだ、クレナリア王妃が、女学生の1人であったころの話だ。


 白に近い銀色の目。ぷるんとした唇。あどけなさが残る顔立ちに、品の良い薄化粧。ほっそり、という言葉がふさわしい体は、たいていの男性どころか、女性だって抱き上げることができそう。
 そんな、可愛らしい、私──クレナリアの友人。ヴェレーナが、不安そうに私を見つめている。

「大丈夫ですか、クレナリア様」
「もう、学園の中なんだから、クレナリアでいいのよ。何度も言わせないで頂戴」

 見上げてくるヴェレーナの目が、ふっと曇る。分かっていても、彼女から『様』付けで呼ばれるのは、辛かった。

「……分かりました、クレナリア。けがはありませんか?」
「そう、それでいいの! 大丈夫よ」
「申し訳ありません。でも、驚きました……学園のそばで、暴漢が出るだなんて」
「心配ね。でもそれ以上に、シニル王子が取り押さえたときには肝をつぶしたわ」

 ヴェレーナが、本当に良かった、とつぶやいて控えめに微笑んだ。この王立学園は、王族を含め国内外の貴族が通う。知の殿堂を豪語するだけあって授業のレベルこそ高いものの、たまにこうして犯罪が起きることがある。当然、ともいえるだろう。学園を襲撃すれば、それだけで貴族の子を根絶やしに出来るのだ。暴漢騒ぎは目撃者も多かったことから、騎士団や護衛兵が対応してくれている。
 私たちはと言うと、学生の本分である授業に出ていた。とはいえ、安全が完璧に確認されるまでは、先生も来ないようだ。

「ヴェレーナ様」
「ありがとう、レイス」

 少し頷いて教室を出ていったのは、ヴェレーナの従者、レイスという青年だ。小さい頃からヴェレーナの傍にいて、メイドがするようなことまで心得ている。私もよく会うけれど、ほとんど会話したことはない。なんとなく、話したくなかった。だって彼と会話したら、その分だけヴェレーナとの会話が減ってしまう。
 せっかく学園という、話していても平気な場所にいるのだから。
 ずっと、ずっとずっと、ヴェレーナと一緒にいたい。そのくらい、望んでもいいだろう。帰宅すれば学園で学ぶ授業以外の内容、つまり、将来王妃となるための勉強が嫌というほど待っているし、現在の王国の立場についても知らなくてはならない。やることは山積み、だったら今できる最大のこと、ヴェレーナと話すことに集中したいもの。

 私にはそれが許されるはずだ。
 だってこんなにも、頑張っている。

「どうしたの? レイスに何か頼んだの?」
「ええと、さっきの騒ぎで馬が倒れたので、具合が気になって」
「そっか。昔からヴェレーナ、馬好きだもんね」
「はい」

 小さくはにかむヴェレーナは、本当に可愛らしい。青薔薇なんて呼ばれる私だけど、ヴェレーナの銀色の髪や、同じくらい色素の薄い目、それがぴったりと似合う小さな顔と体にはかなわないといつも思う。
 ヴェレーナと私は、父親同士が学校で知り合ったことから、小さいうちに友達同士になるよう引き合わされた間柄だ。だけど今では≪本物の親友≫になれていると思う。私は公爵令嬢、しかも、幼いうちに次期王の元へ嫁ぐことがほぼ確実になったせいもあり、ほとんど友人という友人を作る機会がなかった。作ったとしてもそれは社交界的な友人で……腹心の部下なんてもの、いったいどうやって得られるというのかしら。
 そんな中で出会えたヴェレーナは、本当に私にとって、救いの天使だった。

 初めて会った時、まるで天使のような白いフワフワのドレスを纏って、私にちょこんとお辞儀をしてきたヴェレーナの姿を、今でも思い出す。

「あなたがヴェレーナ?」
「クレナリア様!」

 出会ったとき、思わず、いつも教えられたことを全部忘れるほど、私は興奮してしまった。だって小さい頃のヴェレーナは、本当に天使のように愛らしく、なおかつ私に向けて、にっこりと可憐に微笑んでくれた。いつも、どこか作ったような笑顔しか見たことのない私にとって、初めてと言っていいほど可憐な笑顔。
 はしたないと思ったのか、咄嗟に乳母であり、私のマナーの師でもあるアリアが叱ってきた。慌てて淑女の礼をとろうとしたとき、サッとヴェレーナが駆け寄ってきたのだ。

「こんにちはクレナリア様! 私がヴェレーナです」

 慌てたのが、ヴェレーナを連れてきた、お父上のコッヘル侯爵だ。でもあの時、私はとても嬉しかった。
 何故なら後でヴェレーナが、

「クレナリア様の乳母様、怖い顔したね」

 と、囁いてくれたからだ。そう、アリアの怒った顔は、とても怖い。いくら侯爵令嬢とはいえ、あの小さかったヴェレーナが咄嗟に、私をかばってくれた。
 誰も、そんなことはしてくれなかった。
 できて当たり前、何故なら私は、王妃になるべき娘だから。だから、そんなこと、してくれる人はいなかった。

 その日から、ヴェレーナは私の光になった。
 ヴェレーナはコッヘル辺境伯の第三女、辺境伯は隣国との危険な領域を守る任務を仰せ使うが故に、王族への輿入れも珍しくない由緒ある家柄だ。コッヘル辺境伯とは私の父上も仲が良い。そう、仲良くしても、何の問題もない!

 毎日、毎日行われる、王妃になるための勉強。その中でヴェレーナに会えることは、何よりの幸せだった。小さい頃は彼女に泣きついたこともあったし、一緒に逃げようと言ってしまったことさえある。ヴェレーナはそのたびに、困ったような顔をして、一緒に勉強について考えようと提案してくれたり、家庭教師にお願いをしようと言ってくれたりした。
 私は本当は、そういうことじゃなくて、ヴェレーナが「そうしよう」といつものように笑ってくれたら、それでよかったのに。

 でも、学園に通うようになってからは、彼女と並んで授業を受けられるし、放課後の活動や試験勉強だって一緒に出来る。私の人生の中で、これほど彼女に会えるタイミングはもうないだろう。王妃として即位した後には、この王権が非常に強い国の中では、私と親友であるヴェレーナであっても、そう気軽に会えなくなる。

「ヴェレーナ、見て。新しい髪飾りの図案なんだけれど……」
「まあ、綺麗ですね」

 ニコニコと微笑むヴェレーナの笑顔を、私はそうして、じっと見つめた。
 ヴェレーナ、私の友達。ヴェレーナ、私のご褒美。ヴェレーナ、私の、わたしだけのもの。貴女は、永劫に、私の友達。

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