期待と幸せ

私は数年前に2週間ほど入院したことがあります。病名や症状は伏せますが、入院中に価値観が大きく変わるきっかけとなる経験をしました。

その出来事と感じたことを数年越しの日記として書き綴りたいと思います。

食べることから学んだこと

入院中、私はご飯をろくに食べることができませんでした。お腹は空きますし食欲はあったのですが、流動食のようなものしか食べることができない状況だったのです。

病院側がメニュー通りに作ったものを私に合わせて特別に細かく刻んでとろみをつけてもらい、それを食べていました。

見た目はもともと何の料理だったのか判別が難しいほど細かく刻まれ、味に関しても刻まれた上に、味の無いとろみに包まれているためとてもではないけど美味しいとは言えません。

お腹は空いているのに、流動食しか食べられない。しかも、量も物理的に摂取できず、とても辛かったこと覚えています。

足りない栄養は点滴でカバーしていました。常時針に刺されっぱなしなのもなかなか辛い経験でした。

2週間ほどの入院生活でなんとか病状が回復してきて、そろそろ普通のメニューでも食べられるだろうという判断が下され、久しぶりに他の人と同じご飯が出てきました。

その日のメニューはロールキャベツ。ケチャップがかけられていました。

それを食べながら、私は一人で涙を10滴以上流してしまいました。

「こんなに美味しいものが食べられるなんて…ほんとにありがたい…」

本気でそう思いました。

私が患った病気は一時的なものであり、高確率で完治するものです。もう二度とご飯を食べられない体になるという可能性があったわけでもありません。

それでも2週間もの間のみ、ご飯を食べられなかったというだけで普通のご飯が神の恵みかのように思えたのです。

それ以降、私は食に対する価値観がガラリと変わりました。

 ″ご飯を食べられるだけでもありがたい″

私はこの瞬間を境に、食へのこだわりがほぼ皆無になりました。

世の中には、グルメと言われている食にこだわりを持っている人もいます。

もちろん食べることを楽しんでいることには変わりがないですし、食の世界のより深いところへ自分で進んでいき、自ら最高の幸せを手に入れにいくという考え方は尊重できます。

しかし、こだわりが強すぎる人は、想定より味の質が良くないものに対しては不満を抱き、ストレスを溜めてしまうこともあるのではないでしょうか。

私は、家であろうと外であろうと出してもらった食事に対して、ストレスを感じることがなくなりました。

感謝がもたらすもの

先ほどの食に対して言えばこだわることができるときは、とことんこだわって食事を楽しみ、そうでない時もその時に食べられるもので食事を楽しむ。こう言った考え方が自分の人生を自ら幸せなものにできるのではないかと考えます。

入院時の体験によって私は食への感謝の気持ちや、こだわりがもたらす副作用について意識することとなりましたが、これは食に限った話ではないと思います。

食以外においても感謝の気持ちがあるかどうかで、幸せの度合いやストレスの受けやすさが変わるのではないかと思うのです。

そうは言っても、なかなか他のことに応用させることは簡単にはいきません。食に関して言えば、2週間たべられなかったという出来事が鮮烈な印象を脳に叩き込まれたため、たまたま一瞬で私はこのような考え方になれました。

その時はとても辛かったけれども、結果ラッキーだったと思います。

では、このような鮮烈は印象をもたらす出来事に出会わないと、感謝の気持ちを持てないのかというと、少しずつ考え方を変えるやり方もあるのではないかと考えます。それは習慣を用いるやり方です。

初めは、意識するだけでも良いと思います。例えば、

今日会社で休みを取れたのは、同僚がフォローしてくれたからだ。
家族が家事をやってくれた。
席を譲ってくれた。
道を聞いたら丁寧に教えてくれた。
お店でおまけをくれた。

この辺りなら、普段から感謝を意識している人も多いかもしれません。

レジの人が、お金を精算してくれた。
レストランで、自分のところまで料理が運ばれた。
テーマパークのスタッフが案内してくれた。
親が自分のために仕事をがんばってくれている。
家族が朝、起こしてくれる。

この辺はいかがでしょうか。当たり前と思っている人もいるかもしれません。

ありがたい(有ることが難しいと書く)の反対は当たり前です。

普段、これはやってもらって当たり前と思っていることは意外に多いのではないかと思います。

私も以前は、やってもらって当たり前と思う側の人間でした。

しかし、サービス業なのだからやってもらって当然と思っていては、100点満点スタートの減点方式となってしまい、マイナスな感情をもつことはあっても、プラスの感情を持つことはありません。

私はこれがすごく損なことのように思えてならないです。

よく例に出されるのが、電車です。日本では定刻通りに電車が来ることがほとんどです。数分遅れるだけで駅員さんが謝罪のアナウンスを流します。でも海外では遅れてくるものだと認識しているところもあるそうです。

乗客としてはどちらの認識の方が、ストレスが少ないのかは自明です。

私は加点ばかりされていく幸せな人生を送りたいです。

まとめ

感謝をすることで、どのように脳に影響を与えているのかは専門家にお任せします。しかし、私は感謝の習慣を身につけることで、加点方式の人生になりつつあります。

まずは一つ一つを意識するところから始めて、やってもらえて有難いと思うことを増やしてみても良いかもしれません。

そこから徐々に、感謝の気持ちを言葉にして相手に伝えるなどの行動に移していくことによって、さらに加点方式を楽しむ人が増えてくれればと思います。

タイトルには期待という言葉を使いましたが、期待しなければしないほど幸せになれるということではありません。

期待はするけれども、期待通りのものを与えてもらえると、とても嬉しい。期待通りのものが来なくても仕方がない、じゃあどうする?今できることをやろうという考えになれると良いのではないかというお話でした。

何か少しでも皆さんのストレスを減らせるお役に立てたのなら私も大変嬉しく思います。

(おわり)

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