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天職に転職したと、今なら思える

私は車での移動時は必ずと言っていいほどラジオを聴いている。ラジオの内容に集中しているわけではなく、バックミュージックという感じだ。しかし、脳は素晴らしいもので、興味のある分野の言葉を捉えたらラジオの内容に耳が傾くようになった。また、なんとなく景色に飽きてたらラジオから流れてくる歌を歌ってみたり、聞いたことのない話に感じ入ったりして眠気防止にも役立っている。

昨年12月のある日、車で2時間ほどかかる得意先へ行く時もラジオを聴いていた
。山中を通るのでラジオの電波の届かないところがある。電波が復帰して流れてきたのが「これぞ天職だと感じて転職した結果・・・」いうリスナーさんからのお手紙紹介だった。
「暇を持て余し、とある趣味のグループに参加したら楽しくて生き甲斐を見つけたと喜んでいた。半年ほどたった頃その内容に関連する仕事を見つけて転職した結果、毎日が楽しくて、活力が湧いてくる。学びも多くてまさに天職だと感じている」というようなお話しだった。単純に「よかったね〜」とその時は思ったのだが、新年を迎えて今年の目標!とか考えている時に思い出し、しばらく頭から離れなかった。
そして、人様の幸せ話を聴いて「いいなぁ」と羨ましがるのではなく、単純に「よかったね〜」と思えたのは、私も辛い苦しい時が多かったけれど、今の私も天職だと思えるということだと気がついた。

仕事に対する捉え方は人それぞれで、その仕事に従事する理由もいろいろだ。好きではないけど生活のため と割り切って働いている人もいるだろう。
私は興味を追いかけて、就職・転職・フリーランスと流れてきたが、途中暗黒の時代もあった。でもその時々は夢中だった。

「興味」を選ぶ基準にしたのは高校を選ぶとき。勉強の捗らない私に業を煮やし、当時平家だった実家を増築し子供の個室を作った。その際内装を好きなように選ばせてもらって楽しかったのだが、建築屋の社長さんの「将来はインテリアコーディネーターになったらいいね」と言われ、進路は高校の建築科となった。これが今の私の原始だ。が、入学して袴姿の先輩を見て弓道部に入部。勉強そっちのけで部活に勤しみ、高校3年の時高校生の部活としては最高峰の全国大会を逃したが国体に出れることになった。高校卒業後は就職と決めていたが、就職活動は国体出場のためままならず国体が終わった後の遅い時期に求人を出してくれたサッシのメーカーの会社に決めてしまった。全国大会・国体に出ると運動での大学の推薦もたくさんあったがまた1年生から始めるのがめんどくさかったので大学生にはなりたくなかった。高校卒業後、サッシメーカーに2年勤務した。社会人というものがそれなりに楽しく自分の給料で遊んだり買い物したりできるのが嬉しかった。が、同じことの繰り返しとなる仕事に1年で飽きてきて(今思えば偉そうな新人です)もっと面白い世界はないかと探していた気がする。
そして、スタッフと仲良くなってよく通っていたショットバーのお客さんから「お店の設計デザイン」という仕事を教えてもらい憧れを抱いた。そしたらその3ヶ月後、電車待ちで暇してた時にたまたま手に取った求人誌に店舗設計のデザイン事務所が求人を出していてすぐさま電話をし、面接に行ったのだ。
親の反対を押し切って転職をするのだが、それはバブルの絶頂期。すぐに工事現場に放り込まれ、睡眠2時間の過酷な職場だった。もう何度辞めたいと思ったかしれない。でも中途半端に辞めるのは許せなくて結局10年も務めた。仕事内容が変わりながらの10年だったが、最後は営業に出され、ウツで退職。当時の絶望感や不安は今でも思い出す。退職金は1円ももらえず、最後は一人で鍵を閉めて事務所を後にした。10年も勤めたのに寂しくやるせない気持ちでいっぱいだった。

そこから数ヶ月息をしているだけの生活を経て、フリーランスで活動することとなり、今年で23年。勤めていてもフリーでも悩めることは一緒だ。ただ、自分の采配で物事が進められるという点では私の性に合っている。そして勤めていては依頼して頂けないだろうと思われる広い範囲のお話をいただく。これも私の性に合っている。興味があれば知りたいし見たくなって、弾丸のように飛び出してしまうのだが、スケジュールが自分で組めるのも性に合っている。
本当にさまざまに、本当にいろいろな仕事を頂き経験を積んでこられた中で、今現在、主としているいくつかのジャンルの仕事は失敗もしたし、辛い思いもしたけど、自分で得意だなと思える。やりがいを感じられる。きっと天職なのだ。

でもその得意の根底には、大変な思いをした店舗設計のデザイン事務所時代の経験が大きい。そう思えば私は転職した時点で天職に就いたといえる。
最後のやるせない気持ちは心の奥底でずっと燻っていて、デザイン事務所の話を耳に挟むと小さな炎が顔を出し、チリチリと焼ける感覚があった。でもその燻りが私を動かしてもくれてもいた。
辛くて苦しくて悔しいあの時間は無駄ではなかった。今天職だと思える仕事に取り組めているのはあの時間の経験なのだ。そう思ったら長年抱えていた燻りが鎮火した。


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