「『文法』に関しての個人的意見と、思い出すことなど」(下)


(こちらの前編、

「『文法』に関しての個人的意見と、思い出すことなど」(中)|木ノ下朝陽(kinosita_asahi) はこちら、


また、前々編(「『文法』に関しての個人的意見と、思い出すことなど」(上)|木ノ下朝陽(kinosita_asahi)) )はこちらです。

よろしければ、こちらも併せてお読み頂けますと、有り難く存じます)



閑話休題。



で、…我が高校時分の、「古典文法叩き込み」のお話ですが、
結果はと申し上げますと、
「古文」のみに関しましては、定期試験も、それに学力テストも、学年全体で普通にトップクラスでした。

(本人に言わせると、「普通に頑張ってただけ」という、…まあ、非常に鼻持ちならない答えしか返ってきませんでしたが)

ただ、
「文法」が判っただけで、授業に出て来ない、古文や漢文の文章でも、読解は随分と容易になったので、
学力テストもそうですが、ランダムな出典に拠って出題される模試、ひいては入試では、かなり有利だったかと。


このように、別に天才でも何でもない人間でも、
文章構造を学び、理解することで、
随分と古典文学に対するアプローチが変わったと思います。


毎度、又聞きで恐縮なのですが、

夏目漱石は、帝大の教授になった時に、
それまでの、どちらかというと作品内容に耽溺する型の授業から
きちんと文法を身に付ける形にシフトしたこともあって、
学生達から「スカン」を喰らったとか。


(例に拠って手元に本がないので、
何巻目に入っていたのかは、生憎ながら不明ですが

香日ゆら氏の『先生と僕 ~夏目漱石を囲む人々~』にあったかと。

ご参考までに、Kindle版の第1巻のリンクを貼っておきます。

紙版は、エムエフコミックスから出ていますが、
現在、新刊は出回っていない模様です)


ですが、漱石本人としては、

自身が「本来の母語ではない言語」を学び、
現地に留学もし、

更には松山中学や熊本五高(共に旧制)で教えた経験から

「言語を自分のものとするには、
まず文法を通して文章構造そのものを理解することで、
自身の読解力の基礎とすることが肝要」と、

身を以って知っていたからこその、方針転換だったのでは、…と。


ええと、

要するに
「文法」は、ニンジンやホウレンソウみたいなもので、

少なくともお子達には
一見ちょっと取っ付きにくいし、
習いはじめは、色々な意味で「訳わからん」になるかも知れないけれど、

身に付ければ、一生モノの武器になるよ!
…っていうお話でした。


大変にお粗末様でごさいました。

























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