そこに愛はあるのか
お世話になっております、記野 紗季です。
今回のテーマはずばりメンズエステにおける“愛”について。
ずっと考えていたことなんだけど、やっと書いてみる気になりました…フゥ
よろしければ最後までお付き合い下さいまし〜
ではどうぞ。。
「愛情を感じた」?
それを考え始めたのはあるお客様からのお言葉がきっかけだ。
ありがたいことにお見送り後頂いたメッセージに「愛情を感じた」と書かれていたのだ。
初めてそんな風に言って頂いた当時の私の脳内はこんな感じだった。
愛情…? 愛…?? あい…??? AI…????
あぁ、母なる愛…宇宙(コスモ)…?????
リアルにコレである。
元来私は自身のことを愛情深い方だとは思っていない。
どちらかと言えば薄情かも知れない。
色恋らしき営業というのもしないタイプだし、そもそもできない。
そんな私がそんな風な印象を持たれたのだから自分にとっては大ごとだった訳である。
で、そこそこ長い月日をかけて考えてみた。
メンズエステにおける“愛”なるものについて。
前置きが長くなった。
結論から言うと、そこ(記野の施術やら接客)に“愛”はあったのだと思う。
私自身が日常的に「愛」という言葉自体を使わないから馴染みがないだけで、お客様には“思いやりや慈しみ”を意識して接し施術しているから。
そのお客様と私では呼び方が異なっていただけで、そういった思いを受けて言葉にしてくれたのが「愛情」だったのだろう。
けれど、思ったのだ。
そうすると私はすべてのお客様のことを愛していると言えるし、それはつまり誰のことも愛してはいないということなのではないかと。
そしてこうも思った。
そこ、つまり手の届くところにある“愛”に価値があるのだと。
どういうことかと言うと誰しもみんな誰かの愛しい人なんだとは思うけれど、遠く離れた場所にいる誰かからの愛ではなく、今、すぐ目の前の触れようと思えば触れられるところにある愛が求められているからメンズエステに価値があるのだろう。
愛されたい?
「愛されたい」とか「愛がほしい」とはよく聞くけれど、そもそも“愛”なんて目には見えないし「愛してる」なんて言葉だけならいくらでも言えてしまうし、本当に求められているのはそんな言葉じゃなくて“愛”をもってして接することだと思う。
その表現方法は人それぞれだけれど、相手に喜んでもらおうとする行動が“愛”や“愛情”に通ずるのではないだろうか。
愛されるのは、やはり愛をもって周りに接することのできる人だ。
人に与えたものが返ってくるものだから。
そうして誰かを想う気持ちを持って過ごす日々というのは控えめに言っても相当素晴らしいものだ。
人によっては愛されることよりも。
いかがでしたでしょうか。
愛にも色んな種類があるけれど、愛情深い人って魅力的ですよね。
もし貴方に愛する人がおられるなら、伝えられるうちに思う存分その愛を伝えて下さいまし。
善は急げです💗
では今日はこの辺で失礼致します。
またの機会にお目にかかりましょうね💋💭
記野 紗季