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ありがとう

つい先日亡くなった母方の祖父の家を整理していると、なんと私の名前が書かれたビデオテープを発掘。
流してみると、7年前に亡くなった祖母に抱きかかえられながら、まだ元気だった頃の祖父たちに見守られ、ふてぶてしい顔をしてお食い初めをしている動画が。23年前、私が生を受けて3ヶ月ほど経ったときの動画。

ちぎりパンの腕、我ながら可愛い。離乳食は全然食べなかったとか。

通夜で住職さんが「人間はつい『自分がやってやったんじゃ!』って思ってしまいがちだけれども、こういうときに周りの人のおかげで今の自分があると感じていただければなと思います」と挨拶をしていらっしゃいましたが、このお食い初めの動画を見てその言葉がまた沁みてきたのでした。両親はもちろん、いろんな人に愛されて、私は23年目の私を生きているようです。


今回で母方の祖父・祖母がふたりとも他界してしまい、二人の遺影が並んだ光景にはさすがに悲しい思いを抱かずにはいられませんでした。
最近まで大好きなトンカツやうなぎ弁当を食べていた祖父だったのに。息を引き取り、棺の中で少しほっそりして冷たくなっていたおじいちゃんは、もう通夜も告別式も終わってしまって、骨になってしまいました。

もっと連絡取ってあげたらよかったなあ、広島が少し遠いからって面倒臭がらなかったらよかったなあ、いろんなところに行って一緒に遊んであげたらよかったなあ、私が大学時代に神戸でバイトしてたときのカレーも食べたいって言ってたよね、城崎のカニもまた食べたいって言ってたなあ、おばあちゃんが亡くなってからひとりで寂しかったろうに…と、後悔はどうしても尽きません。
けれど、もう骨になってしまって、どこかで魂を漂わせているおじいちゃんには、今はきっとありがとうを思い続けるべきなんだと思う。

ありがとう、おじいちゃん。
大好きだよ。

おじいちゃんやおばあちゃんが大事な存在として、私の中に生き続けますように。
そして二人が生活していた広島が私の中で大事な場所としてあり続けますように。

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