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料理より皿

コミュニケーションは、内容よりも形式をイメージしよう。料理よりも皿をイメージしよう。
フランス料理を思い浮かべる。真ん中に料理を少し乗せ、余白は十分にある。この余白の使い方を覚えておいてほしい。
これまでの失敗は、皿より料理に頭が向いていた事による。
感受性の濃い自分は、性質上余白を余白のままにしておくことを苦手としている。だからこそ人よりもコミュニケーションにおける皿の認識が必修になってくる。
これまで料理しか頭になかった。皿を意識に入れる。
皿とは余裕である。余裕がなくなるのは、余白をなくすからである。どんな皿を出しても良い。余裕がないときは小鉢でも良いし、使い捨てる紙皿でも良い。手元にあるテキトーな皿に、つまりは今の自分の余裕に応じて、一口サイズくらいの不味目の料理をのせていけばいいのだ。自分の余裕に応じて。
皿の認識の徹底は、言葉と間のバランス他、内容と余裕のすべてのバランスを劇的に変えるはずだ。
小鉢に入った付け出しに妄想やネガティブをかさ増ししていき、入りきれずに溢れさせることはもうお終いになる。
余白を余白のままにしておく、これが幸せへの正道だ。一品一品出せばいい。自分と相手の余裕の量を感じながら。ひとつの皿の容量が少なくても、次の料理まで同じ皿である必要は全くない。継ぎ足さないことだ。修行中の身である。失敗作を出してこそ、次の一歩の根拠となる。料理は不味くて良い。料理より皿、内容より余裕である。
皿を小分けにして満足を分散していけば良いのだ。料理より皿、内容よりも形式である。

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