対話は、対話らしいところから始まらないもの?
最近、親しい人とのすれ違いがあった。
けっこうモヤモヤしたものの、向こうが忙しいタイミングだったので、当初はLINEでの不満・リクエストで済まそうかと思った。
けど、私がLINEで長文を送る時は、たいてい一方的なぶつけ・押し付けになるので、過去の苦い経験を噛み締めながら、半分残っていた理性で「早めに対話した方がいい」と判断できた。
対話にはいろんな形式・流れ・内容があるが、今回は(相手が受け止めてくれるのわかった上で)不満をぶつけることから始まった。
こちらが出した分、「不満をストレートに伝えていい空気感」になり、その後はちょくちょく相手の不満も聴いた。
ここでの不満は、「〜だから許せない」「〜だからもう関わらない」みたいな極端に相手を遠ざける結論になり得ないとわかっているからこそ、丁寧さやオブラートさのない、未加工の状態で出し合うことができる(もちろん、どんな時も暴言や人格否定はNGだが)。
お互い不満を出し合うと、気持ちがスッキリする。
そこから、真の対話が始まった(自分で言っときながら、真の対話ってなんだろう?)。
不満を吐き出した後だからこそ、落ち着いた心で「考え方や感じ方がどう違っていたか」「自分は前提視していたけど相手が考えもしていなかったこと」「それらを踏まえて、今後どうするか」など話し合えた。
時間はまあまあかかったが、結果的に自分も相手もスッキリし、今後気をつけることも明確になった。
もし話さなかったら、話すまで微妙なストレスが蓄積したり、相手にもモヤモヤがあることに気づけず他責したりしていただろう。
また長期的には、今回と関係しないことで私や相手がモヤモヤした時に、どう対処していくか考える材料が増えた。
これによって、私たちの関係はまた一つ強固になったと言わざるを得ない。
まとめ
人と人は、お互いに信頼し、お互いに平静な時、はじめから話したいことのど真ん中を話すことができる。
逆にそうでない時は、雑談、不満、飲食、仲介者などいろんな補助を必要とする。
だが、それらの時間は無駄ではない。
(よほどの修行者でない限り)常に完璧な平静を保ち続けられる人はいない。
であれば、平静を前提とするのではなく、平静でない時に、自分も他者も傷つけない形で平静に戻る術を身につける必要がある。
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