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祖母との思い出

2023年12月30日、祖母が亡くなった。

93歳だったらしい。昨日が通夜で、今日は告別式。

最中は長いと感じる時も多かったが、終わってみれば、あっという間だった。

斎場は、6年前と同じ。祖父が亡くなった時とまったくと言っていいほど同じ流れだった。

違ったのは、通夜の後、斎場に残らなかったことくらい。

前回は深夜まで斎場に残ったが、今回は思ったより身体が疲れていたのと、親戚のおばさん(祖母の長女)が泊まるということで、まあいいかと見送った。

祖母より祖父が特別とか、そういうのはない。


祖母との思い出

大阪で生まれ育った私は、祖父母との二世帯住宅で暮らしていた。祖父母は違う階だったので、毎日顔を合わせるわけではなかったが、他のいとこたちと比べると、接していた時間は何十倍も多かった。

特に幼稚園時代は、母のパートが夕方まであったので、15時頃に自転車に乗った祖父が迎えにきてくれて、たまに帰り道にあるスーパーでお菓子を買ってもらうのが楽しみだった(あれ、祖母じゃなく祖父の話になっちゃった)。

つまり、幼稚園児の頃は、平日15-17時の98%くらいを祖父母と過ごした。

正直に言うと、これはかなり退屈な時間だった。(私から見ると)祖父母はいつも同じルーティンで、同じような番組を観ていたからだ。

私は祖父の部屋で祖父が観ているつまらないテレビを眺めるか、祖母のいるリビングでブロック遊びするかのいずれかだった(本当は他のこともしていただろうが、その2つの記憶が強すぎて、思い出せない)。

私がブロック遊びを終えると、よく祖母は「おばあちゃんは片付けが好きやから」と言って、片付けを手伝ってくれた。いま思えば、本当はそんなこと思ってなかっただろうが、4歳くらいの私は「おばあちゃんは片付け好きなんだ」と信じ込んでいた。


他にも思い出はある。(在日韓国人なので)伝統料理の牛のテールスープをつくってくれたこと、よく「男前」と言ってくれたこと(すべての男孫に言う口癖である)、、、

あれ、意外と思い出せることがない。小中学生の頃なんて、まったく思い出せない。

特別なことなんて、なかったんだと気づかされる。

と同時に、特別じゃない日々が平和で、穏やかで、意味のあったものだと気づかされる。

これからも、穏やかに、安らかに見守ってください。ありがとう。

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