木の日常

これから
気の向く時に、気の向くままに私が日常の中で感じたことなどを描き綴ろうと思う。

木の日常だからと言って私が木というわけでも、木になったつもりで書くという訳でもない。

私は平凡な女子大生だ。
平凡だからといって他の「平凡」な方達と全く同じ意識や考えを持っているなんてことも無い...はず

「普通」や「平凡」と言った言葉を否定したくはない。言葉が存在している以上それらが切り取っている世界があるはずだからだ。例えば「普通」という言葉がなければ「普通の鉛筆」というものを表しにくい。また、「普通の鉛筆」と聞いた日本語話者かつ日本文化に溶け込んでいる人ならば、ほとんど同じものを想像することが出来るだろう。
ただこれらの言葉を人間に対して使うとき、それは少し傲慢であるとも感じる。人間の上にいるというか。人間界にやってきた悪魔が見下して発する「人間ども」に似た視点からの形容のような。

高校生のとき、テレビの言う「最近の高校生」が自分の周りの人、あるいは自分自身と乖離していると気づいた。最近のSNSでは「主語が大きい」ものを嫌う文章が目につく。「若者は」、「日本人は」のような。通っている大学の色もあるだろうが、そういった主語により敏感になれるのはポジティブに捉えられるべきことだと思う。

おっと、TOEICの勉強するんだった。
文章はまとまってないが今回はこの辺で、

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