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“遊び”について語り合う

ここ最近、職員室が忙しい雰囲気になっている。
今年度は、担任じゃないから余計に感じやすいのかもしれない。
何となく余裕のない感じがある。
「俺も、担任だったら慌ただしくしてたのかな。いろいろ職員同士のやりづらさを愚痴るのかな。」
いや、きっと違う気がする。
そういった空気が嫌で、静かにそっとストレスを感じるんだろうな。
もしくは、何も考えてないふりして変にへらへらと過ごすんだろうな〜・・・。

さて、昨日のことを書こう。
久しぶりに「まなびCafe」を開いた。
今回のテーマは
『子どもたちの“遊びと学び”を考えよう』
用意した資料は、岩瀬直樹さんの2つのブログの抜粋と宮原洋一著「もうひとつの学校」(新評論)のあとがきと帯にある汐見稔幸さんのコメントのコピー。
17:00〜のまなびCafeをやることを、定時前の打ち合わせで連絡した。
席から立ち上がって職員に連絡した時、「今日は参加者がきっと少ないだろうな〜」というなんとなくそんなものを感じた。

会場は私の教室。
「まだ誰もいないだろうけど、教室にいようかな」
と、教室に向かう。
「ん?電気がついている。あれ?つけっぱなしで出てきちゃったのか。」
と思い教室の黒板が見えた。
巨大な字で「まなびCafe」と。
そして教師用の机に、私より少し年次の若い同僚がどんと座って待っている。(笑)
いや〜、嬉しかった。
そうやって楽しみにしてくれてたんだなって思って、嬉しく、そして、ありがたかった。

その後、1人、2人と人数が少しずつ増えては、放送で呼ばれて減ることもあったが6名の同僚が参加してくれた。本当にありがたいことだ。

まず、どうして今回のテーマにしたかを話した。
私は、12年前くらいかな、幼児教育に関心をもっていて、非常勤として少しだけ幼稚園で働かせてもらったことがある。その中で、子どもの遊びはそのまま学びなんだな〜ということを感覚的に捉えていて、子どもの遊びと学びってとてもつながりがあるんだな。というより、1つのまとまりとして捉える方が、どうやら良いのかもしれないと感じていた。
そんなことを過去に考えていた中、10月上旬に岩瀬直樹さんが軽井沢風越学園のブログに「ぼくらはもっと積極的に「遊び」に向き合いたい」というテーマの記事をアップされていた。さらに、岩瀬さんはネット上の「アゴラ 言論プラットフォーム」に「校庭にS字を描こう」というテーマで掲載されていた。
それを読んでみて、改めて子どもたちの遊びを考えたいと思い、同僚と語ることって大切かも。という経緯から今回のテーマが発生した。

参加者とまずは自分たちの子ども時代の遊びを出し合った。ほんの少しだけ今の子どもたちの遊びについて話した後、岩瀬さんの「校庭にS字を描こう」の抜粋したプリントを読み合う。
読んだ後、こんな話が交わされた。とりあえず覚えていることを羅列すると、
・学びの中での遊び、遊びの中での学びというより、子どもにとって学びと遊びはセットと考えた方が自然なんじゃないか
・子どもたちのぶつかり合いを「安全面」と称して、私たち教師は子どもたちから多くの大事な機会を奪っているんじゃないか
・遊びの有用性をもっと追究し、大人は子どもの遊びについて理解と覚悟が必要
・子どもの遊びにもっと責任をもつことの大切さ
といった話がゆるやかに語られていく。なんかすごくいい雰囲気だった。
次に、岩瀬さんの「ぼくらはもっと積極的に「遊び」に向き合いたい」の抜粋を読み合う。
そして、対話は進む。
・今の子どもたちって見本がないと何かしようとしないよね
・自分から何かができない
・だからこそ、教師は示すと言うより子どもたちと同じ目線で遊びながら、そっと手放していくことが必要なんじゃないか
・示してあげることは大切だね
・仕掛け人になるって感じ
・学校によくある「全員外に行きましょう」は仕掛け?
・外に出て本読んでもいいとかいう呼びかけをしてる学校もあるよね
・それだけじゃ外に出たことが美しいみたいに終わる
・教師側だけの満足っていう感じ
・子どもが本当に外に出たいしかけが校庭に必要なんじゃないか
・そこもやはり大人の役割だね
・校庭に異年齢で自然と遊ぶ子どもたちの姿も生まれたら素敵だね
・そうするには、やっぱり教師が仕掛け役にならないと
・どうやっていけばいいのかな
・せっかく外に出ても仕掛けがない
・息子が通う予定の幼稚園の園庭はあらゆるところに仕掛けがあった。そういう環境設定にも教師は視点をもたないといけないね
・校庭にせっかく出てるんだから、倉庫が閉まってて体育の道具が使えないのって残念な気がする
・子どもたちが遊びを広げられるように、体育で使う道具を使いたい時に使えるように置くとか
などなど、いろいろな思いが交わされた。
「遊び」はやっぱり子どもを考える上で必須のものなのだと、昨日の同僚の語る様子を見て感じた。
「遊び」をテーマにこんなにも子どものことを考えようとしている。大人の役割や責任まで考えている。
昨日の対話が、何かを始めるきっかけになってくれたらいいな〜と願いを抱いてしまうくらい、参加者の思いが素敵だった。
週1で頭を使うちょっとした遊びを入れている同僚がいて、具体的にどんなことをやっているのか聞き合う場面もあった。
振り返ってみたら、今まで以上に自然と参加者が話しやすいようにファシリテートできたような気がしたな。

「もうひとつの学校」も扱いたかったのだが、時間になったので読んでおいてもらうことにして、会は終了。
「もうひとつの学校」では、多くの学校で盛んに行われている“コミュニティスクール”で、忘れられているとても大切なことが書かれていると捉えたため、今回の資料として扱った。
“コミュニティスクール”は、「学校」という場を中心にして行われるのであるならば、当然「子ども」が中心にならなければならないはずだ。果たしてどうだろうか。形骸化し、それこそ子どもの遊び場や遊びそのものについて語るような、子どものためのものになっていないのではないかと感じている。

“働き方改革”だってそうだ。よく「子どものため」というのを耳にする。
私は、そこにずるさを感じている。本当にそうだろうか。
「子どものため」と付くと、なんでも正解のようになってしまうのが私たちの仕事の悪い風習のように思う。
確かに早く帰ったり、休日にこっそり出勤をなくしたりすることは大切だ。個々人が家庭や趣味に費やす時間はリフレッシュ以上に得るものがあると思う。
しかし、子どものためを考えた「学び」のあり方、これまでの「学校文化」や謎の「規則」、それこそ子どもの「遊び」について勤務時間内で語り合えるような働き方改革となっているだろうか。
そういったことが「まったくできていない」というのが私の現段階の答えだ。

まなびCafeの話題から外れてしまったが、「もうひとつの学校」の内容をまたの機会に扱いたい。きっとみなさんにとっても価値ある学びが生まれるんじゃないかと思う。

今回のまなびCafeで、資料として活用させていただくことを快くお受け下さった、岩瀬さんには感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

次は、どんなことをみなさんとゆるやかに語っていこうかな。
来月は、もっと忙しくなるだろうけど。。。

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