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人生に正解がないことが不安だった

私はおそらく子どもの頃からずっと他人軸の人生を歩んできました。
自分の気持ちなんてあまり考えたことがありせんでした。

物心ついた頃から母は教育熱心でした。同居の祖母、母からみたら姑の存在の影響も大きかったのだと思います。祖母が亡くなった後も母は私に成績が良いこと、生活態度がきちんとしていることを変わらず求めました。
母に従うのは当然であまり疑問を抱いたこともなく、母の言う通りに勉強を頑張れば家庭でも学校でも居場所がありました。
母には悪気はなく、私の将来のためを思ってのことだったのだと想像します。
私の気質も相まって、素直に親や周囲の大人の話を聞きすぎていたのかもしれません。
私は自分の気持ちを考える、表現するという経験があまりなく、必要性も感じていなかったように思います。
何でも母に聞いて、言う通りにしていれば安心して過ごすことができていました。

しかし、高校生のときに母は突然病気で亡くなりました。
これでいいと言ってくれる存在が急にいなくなってしまったのです。
父ははっきり物を言わないタイプで、子どもの頃から私への関わりも控えめ、父に何かを相談する機会はあまりありませんでした。

母が亡くなってからの人生は、進路や進学先、就職、結婚など、自分の進む道すべてにおいて、これで本当に大丈夫なのか、間違っていないか、常に不安を抱いていました。
できることなら、これでいいんだよ、大丈夫だよ、間違っていないよと、誰かに言ってほしかったです。
「普通」とは何なのか。幸せになれる人生とは何なのか。誰かに指をさされたり悪く言われたりしない、恥ずかしくない人生とは何なのか。安心して生きていける人生とは。
母が亡くなってからもう20年も経つのに、最近まで長くそのような不安に駆られている状態でした。

しかし、自分の気持ちを深く見つめていく中で、やっと気づくことができました。
人生に正解なんてないのだと。

あらかじめ用意された正解なんてない。

これまで迷いながらも選択してきた人生の節目はきっとその時々でベストなものであり、人生の正解は自分で作るものなのです。
自分以外の他の誰かに教えてもらうのではありません。
また、もし人生に正解があるとしたら、それは他人ではなく自分で決めるものです。

今まで長い間、不安になりながらも自分はよくここまで人生を歩んできたと思えました。
これからもきっとたくさん迷うことはあると思いますが、自分だけのかけがえのない人生を歩むことが正解そのものなのです。

人生の最期の瞬間を迎えるとき。
これでよかった。本当に楽しかった。人間として生を受けて、私として生きてよかった。
そんなことを思いながら目を閉じたいです。

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