第八回文学フリマ福岡 「大丈夫、きみはかわいい」 サンプル

2022年10月23日に開催される文学フリマ福岡にて頒布の小説です。
会場:エルガーラホール 8F大ホール
サークル名:きのみ屋
スペース:うー29



一.
「しばらくこの店に来られなくなるかもしれません」

 カウンター席で唐揚げとおにぎりをたいらげ、両手を合わせてお辞儀をする。頭を上げて、僕をまっすぐ見ながら、彼女はそう言った。
 当然ながら僕は「は?」と返す。

 お水をもらえますか、と彼女に言われてからはっとする。彼女のグラスが空いていたにも関わらず、水を注ぐのをすっかり忘れていた。僕は今、この店の従業員としてここに立っているのに。

 落ちつきを取り戻すように彼女のグラスに水を注ぎ、僕もロックの芋焼酎を飲む。芋焼酎の香りが鼻を抜けたところで、僕は彼女の言葉に存外ショックを受けたらしいと知る。

「なんだよいきなり。仕事忙しくなる感じ?」
「……その、しばらくダイエットをしようかと。このお店に来ると食べすぎてしまうので……」
「ダイエット? メシコ、そんなに太ってないじゃん」

 メシコは二年前くらいからこの店を訪れている常連客だ。
 この店は昼間は定食屋、夜は居酒屋という営業スタイルをとっている。彼女は最低でも週三回はやってきて黙々と食事をする。しかも大食漢なのだ。

 見た目は至って普通の女性だ。細身というわけでもないが、肥満というわけでもなく、特筆することがない体型で、まあ、健康そうとでも言おうか。その身体のどこに食べ物が仕舞われていくのか不思議だった。

 そういうわけで彼女は他の常連客や、店長である僕の叔父、そして僕からメシコと呼ばれている。飯を美味しそうにいっぱい食べるからメシコ。本当は芽衣子(めいこ)という。だけどメシコというあだ名を彼女は気に入っているようだ。

「いえ。だいぶ太ってしまいまして。このままでは……」

 普段はあまり表情を変えないメシコが珍しくうつむく。よほど増量してしまったのだろうか。
 しばらくうつむいていたので、僕は彼女の話の続きを促した。

「……ええとですね……」
「ははん? もしかして恋でもしてるとかー?」

 僕はポニーテールにした金髪の先をくるくると指で弄ぶ。ブリーチしすぎて毛先がだいぶ傷んでいるせいか、指先にちくちく刺さった。
 僕の言葉にメシコはゆっくりと顔を上げる。
 僕は唇の下に刺さったラブレットを口内から舌の先で押しながら、メシコの反応をうかがう。

 ──図星か?

「なるほどね、好きな人のためにダイエットだなんて、メシコってば乙女ちゃん」
「えっ? …………はあ」

 メシコはグラスの水を一気に飲み干す。今度はすぐに注ぎ足した。
 てっきり食事にしか興味がない子だと思っていたけど、しっかり恋をしているのか。

 僕はメシコと二年くらいの付き合いだし、たまにしか会わないけど、彼女のことはそれなりに知っているつもりだった。意外と知らないことは多いらしい。

 それはさておき、メシコはその想い人のためにダイエットをするつもりだ。それはご立派なこと。とはいえ、食事を抜くようなダイエットをするつもりなら、ちょっと心配だ。

 バランスのいい食事と適度な運動。ダイエットはこれに限る。世の中の人間は飯を抜けば痩せられると思いがちだが、人間の要である食を抜いてどうにかできるなんて実に浅ましい。

「食事抜くのはだめだよ。運動しろ運動。ジムとか通ったらどう?」
「ジムですかあ……私、長続きしなくて。前も……あのショッピングモールの中にあるジムに通っていたのですが、気づいたらその隣のトンカツ屋にばかり行くようになり……ジムをサボってしまいまして……」

 メシコらしい。僕もそのジムは知っている。確かに入口近くには揚げ物のいい匂いが漂っていて、運動してもその分だけ、いやそれ以上に食べてしまいそうだ。プラマイゼロってやつ。
 ジムの隣にトンカツ屋を作るなんて、あのショッピングモールもなかなか罪なことをする。ある意味商売上手なのだろうか。

「うーん……あ、そうだ」

 お客さんが忘れていったものを思い出す。僕は店の奥にそれを取りに行き、メシコの前に広げた。つい最近オープンしたジムのチラシだ。健康的なボディメイク、という黄色い文字と筋トレ用のマシンを笑顔で使う女性が載っている。

 このジムではひとりひとりにあったトレーニングメニューを作ってくれるそうで、評判もいいと聞いた。僕もそれなりの年齢を迎えて自分の身体が気になっていたところだ。

「一緒に通うってのはどう? 仲間がいればサボらないでしょ?」
「え……あ、いや、美晴(みはる)さんを巻きこむのは申し訳ないです。私の都合なので」
「べーつーに。メシコの恋がうまくいくようにサポートしたげる。それとまあ、僕もそこそこの年齢だしね。いつまでもかわいい格好できるように、身体に気をつけておかなくちゃいけないなあって思ってたし」

 僕は着ていたシャツの襟元を指でつまむ。新しく買ったオープンショルダーのトップスだ。
 かわいい上に、僕の身体の男っぽさが目立たないデザイン。こういう服に出会うのは意外と難しく、運命だと思って同じデザインのものを色違いで三枚買った。

 僕はいわゆる女の子向けとされている服を着るのが好きだ。これは僕がかわいいと思うから着るだけで、僕は身体を女の子にしたいだとか、心と身体の性別が合わないだとかは、あまり考えていない。

 だけど、男の身体でなければもっとかわいく着られるのにと思わなくもないし、男の身体でどこまでかわいくできるか、挑戦するのも嫌いじゃない。なんだか複雑だ。

 まあ、それはどうだっていい。今はメシコの恋のゆくえのほうが大切だ。
 メシコは切れ長の目を僕に向ける。ぽかんと口を開けていて隙だらけだ。そんなにぼーっとした顔してるとチューしちゃうぞ、とからかうと、メシコは呆れたように笑った。

「で、どうする? さっそく明後日見学に行ってみようか。僕、休みだし」
「いいんですか? お休みなのになんだか悪いな……じゃあ私、もうサボれないですね」
「だねえ。サボろうとしたら僕が引きずってでも連れていくから、覚悟してよ」

 メシコの顔が一瞬引きつったのを僕は見逃さない。僕の心に使命感のようなものが燃えあがる。僕はなにがなんでもメシコをきちんと連れ出し、尻を叩いてやる。
 まあ、僕がサボる可能性もなきにしもあらずだけど。

 翌々日の昼、僕とメシコは待ち合わせてジムへ向かった。待ち合わせ場所にやってきたメシコの口元には食べかすがついていて、指摘したら気まずそうに人差し指で拭った。

「先週オープンしたカフェのモーニングを食べてから来ました。ずっと気になっていて。大変美味でした」
「なるほどなあ……ってダイエットはどうした」
「……これから頑張ります」
「それってダイエット失敗するやつの台詞じゃん」

 今日は動きやすい格好で来てくださいとジムの人に電話で言われた。つまり、なにかしらの運動をさせられる可能性があるというのに、お腹いっぱい食べてきたというわけだ。

 メシコのそういうぶれないところが気にいってはいるけど、ダイエットが続くのか先行き不安にもなる。
 ジムはビルの一室にあり、大きな窓からは道路と歓楽街が見える。うちの店があるあたりもばっちり見えた。

「……今日の美晴さん、なんか雰囲気が違いますね。帽子をかぶっているからでしょうか」
「ん? そうだね。いつもに比べると、今日はボーイッシュな雰囲気かも」
「ふーん」

 ──話振っといて『ふーん』って。リアクションうっすいなあ。

 僕はメシコのこういうフラットなところが好きだ。他人にあまり興味がないように見えるけども、それがかえって楽だ。

 僕が男の身体を持ちながら、こういう服装やメイクをしていることをあれこれ言う人間がいる。他人はどうやら僕のことを気にせずにはいられないようだ。ひどい人になると、僕みたいな人間はどう蔑んでもいいと思っているらしい。

 確かに僕は少し特殊なのだろうという自覚はある。
 だけど僕は僕の好きなことをやって生きているだけだ。法にも触れていないし、恥ずかしいことをしているつもりもない。それに僕にだって当たり前に感情もあって、怒るし傷つく。

 だから、食以外のことにそれほど興味がなく、僕をただの『美晴さん』として見ているだけのメシコは一緒にいて楽だ。

「あ、ご予約の方ですね。こちらにどうぞ」

 スポーツ刈りの爽やかな男性スタッフが僕たちを迎えてくれる。僕を見て顔に困惑がにじんだ。

 明らかに見た目が男なのに女性物の服を着ているし、耳やら口元にシルバーのピアスがいくつか光っている。そんな僕が異様に映るのだろう。それはわかっているけど。

 スタッフはどうにか笑顔を張りつけて、なにごともなかったようなふりをする。彼は僕たちの数歩前を歩き、器具の説明しつつ、他のお客さんににこやかに挨拶をしていた。

 壁沿いに筋トレマシン、窓の前にはランニングマシンが数台並んでいる。筋肉質の若い女性がイヤホンをしたまま黙々と走っていた。
 部屋の一番奥はフリースペースになっていて、ここでストレッチもできるらしい。ときどき講師がやってきてヨガ教室をやることもあるそうだ。ヨガの説明にメシコは食いついていた。

 今入会すれば入会金は無料ですよと言われ、その言葉につられたわけではないけど、僕たちはすんなりと入会を決めた。書類に必要事項を記入していく。

「ちなみに運動の目的を聞いてもいいですか?」
「ダイエットです。ちょっと太ってしまって」
「僕は……まあ、健康維持ですかね」
「なるほど。じゃあそれぞれにプランを作って、頑張りましょう。あ、書類のほうは預かります」

 スタッフは僕とメシコから書類を受け取り、中身を確認する。僕が性別欄に印をつけていなかったので、スタッフは勝手に男に丸をつけた。間違ってはいないし、僕もあえて書いていなかったのが悪いけど、勝手に書き足さないでほしい。

 どちらに丸をすればいいかわからなかったから、そのままにしておいたのに。こればっかりは僕のわがままなのかもしれないけど。

「まずはストレッチから始めましょうか」

 フリースペースでは準備体操用のストレッチの映像が流れている。僕とメシコはそれを見ながら身体をほぐす。

「美晴さんって身体柔らかいんですね」
「ストレッチは毎晩やってるからね。やんないと身体のライン崩れるし」
「なるほど。では私も今夜から毎日やります。健康的な身体を目指して」
「その意気だね。つーか最終目的は好きな人に振り向いてもらうことだろ?」

 メシコは指先をつま先に引っかけ、身体を折り曲げながら笑う。口角をわずかに上げただけのそれを、笑うと表現するのは微妙かもしれない。

「……振り向いてくれるといいんですけどね」
「なーに言ってんの。振り向かせんだよ。入会したんだから頑張るよ」

 僕はメシコの背中に軽く力を加える。メシコはぐえっ、とかえるみたいな声をあげた。
 ストレッチが終わる頃にスタッフが僕たちのところへ戻ってきて、筋トレ用の器具の説明をする。腹筋に効くだとか、下半身を鍛えるものだとか、様々だ。

 ダイエット目的のメシコはお腹周りと太もも付近をメインに鍛えて、すっきりとした身体づくりを目指す。ちょっときついなと思うところで筋トレをやめて、あとは有酸素運動で脂肪を燃焼させる。食事は三食しっかり食べること、とスタッフに言われてほっとしていた。

 ダイエット=ご飯を抜く、というイメージがまだ抜けきれていなかったらしい。食べるものにさえ注意すればいいだけのことなんだけどね。

「東(あずま)さんは見た感じ、筋肉つきやすそうな身体っぽそうです。僕、そういうの見てわかっちゃうんですよね」
「あはは……そうですか……」
「シックスパック目指しましょうよ!」

 僕は健康維持が目的だと話したはずなのに。しかも筋肉がつきやすいだなんて、僕が一番気にしていることをさらりと指摘しやがった。
 下手に鍛えて筋肉がつきすぎると、僕が着たい服がことごとく似合わない身体になるから、それが嫌で悩んでいるというのに。

 うるせえ、と言い返したいのをぐっとこらえる。僕は負けん気こそ、そこそこにあるものの、無駄な争いは好まない。とりあえず愛想笑いをしてから、ゆるゆるとトレーニングを始めた。

 僕とメシコを見て、スタッフさんは満足したように頷く。それからべつの客に呼ばれでその場を離れた。

「美晴さん、すみません。私に付き合ってもらったばっかりに」
「うん? なにが?」
「筋トレ、本当はあまりしたくないのでは……」

 スタッフと僕の会話のことを言っているのだろう。
 変なところでメシコに気を遣わせたことが申し訳ない。

「大丈夫だよ。僕は僕のペースでちゃんと運動するから、メシコは気にしなくていいの。それよりメシコ、入会したからには恋愛成就させるんだからね」
「え……ああ、はい」
「なーんか返事が弱いな。運動終わったら、カフェ寄って作戦会議するよ」

 メシコの目に光が宿った。やっぱり好きな人のこと想うと、元気とやる気が出るのだろうか。メシコにこんな顔をさせる男が少し気になる。どんなやつなのだろう。

「カフェですか! 実はもうふたつくらい気になっているところがありまして……!」

 ──いや、カフェに反応したんかい……。

 メシコは痩せたくらいで恋を成就できるのだろうか。なんだか、痩せればいいというわけでもなさそうだ。

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