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5/14(土) 『サウナのあるところ』上映ワークショップ@はじまりの美術館 レポート

対面でワークショップをするのはコロナ禍の前、2019年以来。その時は劇場公開前の『サウナのあるところ』のワークショップだったので上映はなく、映画を一緒に観るワークショップは相当久しぶりだ。今回は、はじまりの美術館さんの企画展「日常をととのえる展」の関連イベント「映画で感性をととのえる」というタイトルがついたワークショップ。これもちょっと特別な状況だ。kinologueのワークショップは「映画を通じて対話をする」ので、いつも対話テーマを事前に決めているが、対話テーマの奥には「日常をととのえるとはどういうことか」があるべきだ(美術館の方に言われた訳ではないけれど)。しかし「日常をととのえる」とはどういうことなのだろう。そして、なぜこの映画がこの企画にふさわしいと思われたのだろうか。事前にオンラインで企画をされた美術館の方と2回打ち合わせたが、やっと「こういうことかな」と自分なりにわかったのは実際に展示を見てからだった。

元酒蔵をリノベーションして、一直線な空間が面白い「はじまりの美術館」
ロビーにある手描きスケジュール。こういうところから働いている人たちが見えてくる。

企画展は7/3までやっているので、ぜひご覧になって体感して頂きたい。いいですよー!初夏の猪苗代。ゆっくり展示のご案内をしていただいて、浮かんだのは「継続と覚醒」。日常は毎日同じように継続していくものなのだけれど、ゆるやかに崩れていく。そこで覚醒する瞬間が日常を違うフェーズにもっていく。つまり、それが「ととのえる」ということなのかも。だから、人によって「ととのえる」が違うのは当たり前だし、自分の中でも「ととのえる」は変化をしていく。出展アーティストの作品からそんなことを感じ、映画とワークショップが、感性が赴くままに観たり聞いたり話したりすることによって、日常に覚醒をもたらすものでありたいと、やっと企画展の一部としての心構えができた。

会場は美術館ではなく、元幼稚園舎の「こどもの広場・プリモ」

到着した日の夜に開催したのが、『サウナのあるところ』の上映ワークショップ。サウナまわりは圧倒的に男性が多いのだが、今回の参加者はそうでもなく、男女比だとちょっと女性多め。上映前に「サウナは好きですか?」という質問と共に、軽く自己紹介を。サウナによく行っているという方やテントサウナを持っていて、レンタルもしているという強者もいれば、「サウナ、苦手なんですよね」という方もいて良きバランス。そして、映画を観る前に映画の原題と邦題について、少しお話。原題の"Miesten Vuoro"は「男の人の番ですよ」という意味。サウナがフィンランドの男性にとってどんな意味があるものなのか、原題を知ってから観てほしいと説明する。そして、邦題に「サウナのあるところ」とつけた意図も説明。「この映画の中の "サウナのあるところ"では実際どんなことが起きているのか、意識して観てください。そんな話を後で皆さんでします」とお伝えする。

子どもたちの発表会をやっていそうな舞台の壁に投影。スクリーンが大きくて立派。

上映が終わると、次々と湧き出てくる質問に答えながらワークショップを進めていく。フィンランドやサウナを知らないと不思議なシーンがいっぱいなので、質問したくなるのは当然のことだ。フィンランドに長期滞在されていた参加者の方にもフォローしていただきながら、少しずつ話をしていった。
「黙って、相槌をしないで、相手の話をじっと聞いているのがすごい」
それはフィンランド人の気質かもしれませんね、というと、東北の人たちの気質にも近いかもとのことだった。なるほど、そうなのね。「(あんな話を聞いたら)次に会う時に気まずくならないのかな?」という問いに「きっと話す相手を選んでいるから、気まずくならない気がします」という答え方がいた。そうなのだ、いつでも誰にでも、あんな話が出来る訳じゃない。一生に1回、その人にしか話さない話だったりするのかもしれない。「しかし、それをカメラの前で出来るのが、またすごいよね」。確かにその通り。そういうことがさらりと出来ちゃうのが「透明性の高い」フィンランドの人たちならではな気がする。

それぞれ「いつものサウナ」で撮影。それゆえに、カメラがあっても話せてしまうのか?

フィンランドの人たちはサウナで「ととのう」のか?もちろんフィンランドには「サウナ→水風呂→外気浴」で「ととのう」という形式はない。そもそも日本では、みんな「ととのう」のでしょうか?「テントサウナでの様子を見ていると誰もが『最高!』としか言わない。『ととのったー!』と言う人、見たことないです」という証言が飛び出す。笑。「最高!」は気持ちよくなって高揚して出てくる言葉で、「明日もまた頑張ろう!」という気持ちになるのではないかということだった。血がめぐって頭がぐるぐるする状態の「ととのう」だけでなく、「最高!」と叫ぶこの状態は「ととのえる」なのかもしれない。といった観点で考えると、フィンランドの人たちが過去の話を誰かに聞いてもらうことは、精神面で「ととのえる」と言えるのでは。「衣服の防衛がなく、小さな守られている空間であるサウナでは、汗や涙の老廃物と一緒に、自分の抑えていたものが出てしまうのは自然な現象だと思った。そういう状況の中で無意識に『ととのう』のかも」という話も。「ととのう」状態を意識的は作り出す行為が「ととのえる」だとしたら、それが日常の中の「覚醒」だ。そうやって "サウナのあるところ" は「日常をととのえる」場として機能していくのかもしれない。

場面写真を見ながら、それぞれに映画を観て気づいたことなどを話していった。

<参加者アンケートより一部抜粋>
「『ととのう』という経験が、フィンランドの本来の環境で生じてくるものではないということがわかった」「その日初めて会った人と映画の感想を話すという経験はとても新鮮でした」「このまま冷えた身体でみなさんとサウナの中で続きを楽しみたくなりました」「サウナってフィンランド語なんですね。知ってるつもりだったのが、よく知らなかったってことがわかりました」
猪苗代の夜は5月でも寒い。会場も途中から暖房を入れました。
ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました!

次の日の午後にやった上映ワークショックはこちら↓


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