上岡龍太郎師やヒトラーや

京都的な皮肉と知性の権化、のように言われている故上岡龍太郎師は、高知出身者の子弟。
故桂米朝師が上方落語を守ったのは言うまでもないが、米朝師の語り口を「下品じゃない本来の大阪弁」と評する東京の落語通は、ちょっとどうかな。米朝師は姫路の出身。
京都左翼の王者だった蜷川虎三元府知事は、東京・深川の江戸っ子。
ついでに、「ドイツ」を叫びまくっていたヒトラーはオーストリア出身。

俺が東京に転勤した時「東京で関西弁やめてくれない、不快なんだよ」と文句いってきた奴はたいてい茨城訛だった。
だいぶ落ちるが。
「京都人の脳内地図」って画像がネットに流れている。京都人にしか分からない、などと書かれているが、ありゃ大ウソだ。なぜならあの画像を作ったのは俺だ。京都市外で育った和歌山移民の子ですw
元カノは「京都人だから」と菜ぁの炊いたんばっかり食ってたが、両親とも丹波から出てきた人だ。

都市文化というのは、生粋の地元民には当たり前で、わざわざ守ろうとも思わない。
都市文化を守ったり、誇張して笑いに変えたりできるのは、他所から来たとか、他所者の子とか。ある程度の客観視が要るのだと思う。

冒頭で、上岡師が高知人子弟だと書いたが。
やすきよ両師とも高知→大阪だ。
高知、強いやん。
大阪は四国出身者が多いが、四国でも特に高知は辺鄙なので、人を送り出す側なのだろう。「南国土佐を後にして」という歌もあるぐらいだ。
東京における新潟や東北といったポジションなのだろう。

都会へ出てきて、上向いて、口開けて、その文化に魅了される。
または、都会で育っても、何年経っても地域社会の一員とは見なされない。
そうした経験が、そこの都市文化を担う、語り継ぐ人を作るんじゃないかな。

(逆に、同志社ばっかり採ってるから京都新聞は面白ないねんw)

どこが雑煮の話やねんw

うちの親父が結婚した時、雑煮についてオカンと相談して決めたらしい。
「うちは元々醤油だったが、大阪で新所帯を構えるから、関西で標準的な白味噌にしよう」

また、私の恩師、阪大の桃木教官は横浜出身だが京大で学んだ時に京都文化に耽溺。阪急ブレーブスを応援するわ、夏でも冬でも灰色のジャケット、車どころか原付にも乗れない。
京都人より京都人らしい師は、結婚された時に奥様と協議、白味噌雑煮と関東式雑煮の両方を作ることに定めた、と授業でうかがった。

雑煮は地域性を語るネタとして、冬のネットの風物詩になってますが。
都市文化を流入者が守る過程において、細かな差異を奪う標準化も起こるんだろなぁ、と。

テレビによって河内弁ベースに標準関西弁が制定され、地域ごとの方言が廃れるとか。
京都市の拡大で、周辺地域の独自文化が消えていくとか。
東京もそうですよね。標準語や江戸っ子が拡大したもんで、関東平野の方言が廃れている。志村けん師の「あにいってんだよ」などは非江戸の南関東方言だったそうです。

都市文化として、都市の豪商や花柳界や芸人の文化だけが紹介され、その地方に特有の物が駆逐されることも、起こっているかもしれません。
#うちのお雑煮

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