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14番目の月

#チコちゃんに叱られそう日記  28日目。

今日は自宅に帰る。

ルーティンな豪華あさごはんを食べ、洗濯機を回して自分が使ったシーツやらバスタオルやらを全部洗って干した。食器を洗い、「食べきれないから持って行ってくれ」と言われた食品類を常温と冷凍に分けて箱詰め、宅急便センターから自宅に送る。実家に置いておくと賞味期限が3年前とか5年前のものも食べられてしまう危険があるのでレトルト食品や乾物も油断がならない。わからないのではなく、「食品がもったいない,腐っていなければ大丈夫」という戦争経験世代の心性が危険である。

昼に、敬老の日なのに老人をひとり残して帰ってきた。玄関を出る時に父が目を合わせずあさっての方向を向いていたのが心にチクリと刺さる。高齢であちこち身体に不安を抱えながらひとりで暮らすことは生やさしくはない。いつ倒れるか、いつ車椅子になるか、毎日が戦いだろうと思う。

それでも自分も明日からは通常業務だ。また祝日があるけれど多分、9月いっぱいは10月からの仕事の準備に追われるだろう。10月からは毎週のように土日に仕事が入る。次はいつ行けるだろうか。どこにも穴を開けないように気を引き締めていかなくては。

空港に着くと、思ったよりも人出が多かった。空港近くで何やらイベントをやっているらしい。これからどこかに行くか帰るらしい人も以前より目につく。全国的に感染者数が減っているから皆何とかなると思っているのだろうか。自分もそのひとりなのだが。

ワクチンは済んだがあれは鎧みたいなもので、雨あられのように矢(ウィルス)が降ってくればそりゃ当たる。ツイッターのTLで、米国の中でもマスクやソーシャルディスタンスに無頓着な土地からそれなりに神経を使う土地に引っ越して安堵している人の言葉が流れてきたが、今ばかりは皆がマスクを付け続ける日本に住んでいて良かったと思う。

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ところで実家を行来きするようになって久しいが、この「行く時」と「帰る時」のエアポケットみたいな時間が心にものすごく滋養分を与えている気がする。だって何もすることがない。鞄を持って空港内をうろうろするだけであとの時間はすべて自分ひとりのものだ。二冊買ってしまった米澤穂信の本を読みかけ、余裕を持って空港に着いたので紅茶を買って人がいないあたりの椅子を陣取る。wifiはあるし電源もあるし、noteの下書きを書くこともできる。誰にも邪魔されない、自分だけの静かな時間。外からの刺激が入らないひとときを持つのはとても大切なことだと思う。


帰りは夫が迎えに来てくれた。老人向けの食事をしていたせいか猛烈にでかいソーセージが食べたくなり、新千歳空港2階の道産品ショップでお高い生ソーセージとブルーチーズを購入する。そのあと、しばし夕刻のドライブをして自宅に向かう。

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空は片側半分が一面のうろこ雲で、それが大きな鳥の群れのように沈んでゆく陽を追いかけていた。走って行くうちにどんどん暗くなり、空が薄青から灰色に変わってゆく。最後まで光を残しながら。

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そしてとうとう陽のかけらが彼方の地平線に消える頃、反対側に目をやると山際から大きな月が昇るところだった。写真は撮れなかった。そういえば明日は満月だ。


さっそくソーセージを焼いて遅い夕食にする。おいしかったのだけれど、ちょっと自分の好みとしては塩が効きすぎていた。生だし、保存のためにはしかたないのかもしれない。「これしかない!」みたいなものに出会うのは実はとても稀なことなんだろうなと思う。ものであれ、できごとであれ。

今日の、十四番目の月。

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今は雲が覆っていてスマホではこれが限界。明日はまんまるな月が見られるだろうか。

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