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フィギュアスケートのみかた

(注:文中では選手の皆さんの敬称略で失礼します。)

フィギュアスケートが好きだ。

そもそも踊りが好きだ。リズミカルに躍動し、しなやかに途切れなくうごく身体。そこに限界に挑む技が切れ味良く挟み込まれ、音楽と一体になってひとつの美を作り上げる。わくわくする。そして一所懸命がんばっている若い人たちが自分の力の限りに挑戦する姿はいつ見てもすがすがしい。

ジャネット・リンの記憶すらうっすらある年齢なので、もちろん渡部絵美の3回転ジャンプも見ていたし、鍵山パパ(注1)どころがその前の佐野稔だって選手として知っていた。そんな風になんとなく好きだったところに出現したのが伊藤みどりだった。

あの人は天才なんだと思う。もちろん天才だという以上に大変な努力もされていたのだろうけど。こんなに女子がみんなぽんぽん3回転や、時には4回転も飛ぶようになった時代でも、古い伊藤みどりの動画でジャンプを見ると驚嘆する。1992年のアルベールビル・オリンピックのフリーで、はじめにトリプルアクセル(3A)を転倒したが、なんと最後の方で(注2)リベンジして飛んだのも中継で見ていた。ジャンプだけでなくてスピンもステップもすばらしく、どれほど努力したのだろうと涙が出た。

その伊藤みどりが現役引退した後しばらくはフィギュアスケートを見ていなかった。子育てで忙しかったのが大きい。かなり時間が経って2004年、トリノで荒川静香が金メダルを取ったのを見て熱が再燃した。でも当時はまだ日本の選手が活躍したから声援を送るというその程度だったと思う。

2004年に浅田真央はまだ年齢が足らずジュニアだったが、トリプルアクセル(3A)を武器に破竹の勢いで上昇していた。滑るのが楽しくて楽しくて仕方ないといった風で見ている人が幸せになるスケートだった。そんな彼女も大きすぎる期待を背負うようになり、怪我もあり、2回出場したオリンピックの頃は悲壮感があって見ているのが苦しかった。みんなあんなにプレッシャーをかけなくてもいいのに、と、自分だけは「真央ちゃんを心で応援しても表には出さない」と変な決意をしたのを思い出す。

それでも当初は何も考えず単に自国の選手を応援するだけで、わかりやすくあらわれたメダルや「何位」という順番で考えていた。多くのフィギュアスケートファンもそこから始まるのだろう。羽生さんなら羽生さんだけを見つめる。羽生さんが一位になればうれしい。でも何度も見ているうちにスケートという競技のあれこれがわかってきて、他の選手も目に入るようになる。

テレビの地上波だけを見ていると国内外の有名選手しか出てこないことが多いが、このごろは地方予選やインターハイなどがネットでライブ配信されることもある。そうするとどれだけ多くの人たちががんばっているかも見えてくる。4回転は飛べないが非常に美しい動きをする選手、難易度は低くても心に残る演技をする選手、トップまであと少しの選手、演技の前後に人柄がにじみ出るような選手。知れば知るほどそれぞれの個性が感じられどの人も応援したくなる。小学生の頃から試合に出ていた選手が数年経ってシニアの大会に顔を見せると、まるで親戚のおばちゃんになったような気がしてうれしい。どの国であっても、何位であっても。

日本のスケオタには国際試合を見に行く時、鞄にたくさんの国旗を入れていく人がいるという。自国の選手が演技する時はもちろん日の丸を出して応援するのだが、出場しているそれぞれの選手の国の国旗も買って持参して、出るたびにそれぞれの国旗を出し入れしながら応援するのだ。米露などのメジャーな国だけではない。ラトビア、イスラエル、カザフスタン。メキシコにもフィリピンにも選手がいる。韓国もシングルは強い。ずっと見ているともうどの選手もみんながんばれと思う。テレビやネットで見ているだけで世界中に甥や姪がいる気になる。

フィギュアスケートはそもそも個人競技である上に採点競技だ。つまり速さや高さなどのはっきり見える「記録」が出るわけではない。相手と直接たたかって勝ち負けがわかるわけでもない。だから「誰々に勝つ」という形では自分の力がわからない。いきおい、「どの技ができた」「どのくらいのレベルと評価された」という点が基準になる。この競技の大きな特徴はそこだと思う。

選手同士が意外に仲良くしているのもこの競技特性があるからではないだろうか。ファンも、自分がフォローしているファンの皆さんはとにかく最初のひとりから最後までみんな応援することが多い(注3)。観れば観るほど競技の真髄が「自分が今ここまでできる」と「試合でそれを十分発揮する」のすりあわせなんだとわかってくるから(注4)。他人と比較しても仕方ないのだ。今の自分に勝てるか、今の自分ができるすべてを表現できるかがフィギュアスケートなのだ。優勝争いに絡まない低い得点でも大喜びする選手がいるのは、それが彼/彼女にとって大勝利だからだとわかると、見方もずいぶん変わってくる。

ずっと見てきて今あらためて思う。
フィギュアスケートは楽しい。技を見ること。技と技の間のつなぎを追い、音楽との調和を味わうこと。その選手が、いま持つ実力の最高を発揮できることを祈りじっと見守ること。ここに書いた以外にも違う見方はたくさんあるだろうけれど、どんな見方であってもフィギュアスケートの味方でいたい。そういうスケオタに、わたしは、なりたい。


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注1) 鍵山パパ  フィギュアスケート男子シングル鍵山優真選手の父、鍵山正和氏。優真選手のコーチであり、アルベールビル、リレハンメル両オリンピックのフィギュア(男子シングル)日本代表。

注2) 「最後の方」というのがすごいところ。体力を使う3Aを一回ころんだ試合中に、どうしてもオリンピックで飛びたいと再び挑んで成功した。体力も驚愕だしあんなところで美しく飛んで降りるのも信じられない。

注3) もちろんそうでない人もいる。推しの演技がうまくいかないと他の選手をけなすような人もいるが、そういう方は速攻でブロックさせていただいている。

注4) 試合前に提出する演技プロトコルがある(TVでも時々出てくる)。もしも全員が自分の最高の演技をしたとしたら、あの事前に出す演技プロトコルでだいたいの順位は決まってしまうのだ。だからこそその「予定」に対し、「自分がどこまで素晴らしく演技できたか」が指標になる。


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