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良いものって、どんなもの

こちらに来てから、自分の今までのものの見方が揺さぶられるような瞬間に度々遭う。その中でも、最近、大きかったものが自分にとっての、「良いもの」。

時は1ヶ月ぐらい前に遡って、私は山奥にある、観光者向けの商店街に来ていた。ガラス細工屋さん、チョコレート工場、ワイナリーと、通り過ぎていくと、日本の着物などを扱っているお店を見つけた。生憎閉店時間を過ぎていたが、ガラス越しに店内を見渡すことが出来た。店内には色鮮やかな着物、扇子、小物などなどが陳列されていた。

たくさんの品揃えと丁寧な陳列、とても良い印象なのに......なぜが何かが違うと感じた。言葉では言えない、ただただ感じた違和感。一緒にいたオーストラリア人に話すと、日本のものには厳しいなあ、さすが専門家!とからかわれてしまった。

確かにそうなのかも知れない。

別に着物や日本文化に対して深い知識があるわけでも、毎日和装で過ごしているわけでもない。着物を好んで着ることはあるが、あくまで自分が好きなだけ。きちんとされている方々には着付けや身のこなしがなっていないとよく叱られる。

でも、自然に生まれる違和感は止めようがない。私があのお店で見た品々はとても美しかった、でも、何かが違った。

このモヤモヤが晴れたのはつい先日、近所の古道具屋さんで、本当に古い日本の漆の簪を見つけた時。一見とても古いものだけど、見たときに受ける印象よりも、何か惹きつけられるものがった。ふとその品の前に立つと、どこか遠い記憶を呼び起こすような感覚を覚える。

ああ、これが私の感じた違和感だったのか、とその時気付いた。

私にとっての良いもの、とは、表面の印象を超えて、私に語りかけてくるもの。多分それは、作り手の記憶や魂が作品を通して私に語りかけるから。そして、私はものと対話を長らくおざなりにしていたことに気付いた。あの簪を見つけた時、どうしようもない懐かしさが込み上げてきて、思わず涙ぐんでしまった。語りかけてくるもの、そしてその語りに耳を傾けるような暮らし方は、きっと人の生を豊かにする。私は、まだまだ修行中だが、今日も多種多様なものとの出会いを楽しんで、生きていきたい。





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